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Chara「命のまつり」その47~あなどるなかれ、高齢初産婦の底力

高齢の割には大きく体調を崩すこともなく、夜勤も続けながら
なんとか産休に突入することができた。

体重は後半のびすぎてプラス6㎏、ちょっと増えすぎた。
里帰り出産で実家に帰る前に、家系ラーメンとか麺めんを食べてむくみがでたりしていた。 
この頃は食事について、農薬や肉類に含まれる残留ホルモン剤や抗生物質、食品添加物などについて疎く、口コミを見ては好きな物を食べに行っていた。

実家に帰ってからは、とにかく歩いた。
朝30分、夕日が海に沈む頃30分くらい
青い海に目をこらしながら、潮の香のする風を感じて歩いた。
冬の日本海の風は肌にしみた。
母やシーズーのナナちゃんと一緒にたくさん話しながら、田舎の自然を感じながら歩いた。

42歳で高齢の上、普段から運動もあんまりしてなかったし、
きっと産道が固くなってんだろうなぁ~
私、無事に自然分娩できるだろうか・・・という不安も正直あった。
手術室の仕事をしていた時、帝王切開には何度もかかわってきた。
だから帝王切開のイメージはあったが、自然分娩は看護学生の実習で1回見学しただけだった。
どうなる42歳の私、もう予定日はまじかだ。

私の曾祖母は明治生まれの人で、私が生まれる前にすでに亡くなっていたが
産婆のようなことをしていたと父から聞いた。学校で勉強したとかそんなんじゃぁなくて、地元で知らず知らずのうちに近所の人の出産を手伝っているうちに頼られてお世話をしていたそうだ。
田舎ゆえに、本物の産婆さんが来るまでに時間もかかるし、近所の経験のある女性が地域の分娩を支えていたのだと思う。
本当に昔ながらの出産があったのだろうなぁ~と想像する。

そして、予定日の数日前にお腹がきゅーっとなって出血があった。
もしや、これは・・・「お・し・る・し」では・・・・・
時間は夕方の5時、夕食の支度をしようとしていたところだった。

母に聞くと、「もう40年の前のことじゃけー、わからん」と予想通りの返事

その内、お腹がきゅーっと繰り返す感覚がはっきりしてきた。
病院に電話し母に送ってもらい入院した。

診察の結果、「陣痛が始まっていますね~。ちゃらさんは高齢ですからしばらくかかると思いますよ。お母さんは帰ってもらってもいいですよ」
とやりての助産師さんから言われた。

そうだよな、高齢だし若い子だって初産では10~12時間かかると本に書いてあったもんなぁ~と納得した。

助産師さんは、我慢できなくなったら知らせてねと言いいなくなった。

が、しかし・・・・

夕方の5時に入院後、いつの間にか私の子宮口は開いていったらしく

もう我慢できません!! 痛いぃぃいいいいい


とコールを押した時には、子宮口は全開大でいよいよ分娩が始まろうとしていたのだ。夜の23時だった。

高齢初産婦だって、甘くみてただろう・・・・と妙な優越感を感じながら分娩台にあがった。

助産師さん「ちゃらさん、年の割に早いわよね。お母さんに連絡するけど、
産まれちゃうかもね」

あぁ・・・・、うぅぅううう

あんなにイメトレで練習した呼吸法もなんのその、息を止めて力みすぎて
SPO2(酸素飽和度)が下がってきたみたいで、酸素マスクをつけられた。
次は膀胱を空にして分娩をすすめるために導尿をされた。

そして、おしるしから6時間40分後に無事に娘を出産したのだった。

命をありがとう💖

私がこの世に生を受けた時からともに生き抜いてきた原始卵胞、
最後に1個だけとれた42年ものの卵子よ、無事に育ってくれてありがとう。
不妊治療に協力してくれた夫にも感謝した。
治療費は全額、私が捻出したがもうそんなことはどうでもよかった。

こんな感じて42歳の高齢出産は無事に終わった。


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