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Chara「命のまつり」その42~夜勤をしながら不妊治療を続ける

思い切って、ネットで調べたクリニックを受診した。

医師から「○○さん、もう高齢だからね、すぐ体外受精した方が
いいよ。時間がないからね」とさくっと言われた。
私「えっ、すぐですか?」とびっくりした。

いろいろエビデンスを説明され、とにかく成功率が著しく低下するから、
いそぐしかないんだと力説された。
30~35歳では40~45% 、年齢が進むにつれて成功率は低下し 40歳では約27% 、 43歳以上では約14% と急激に下がることをグラフで説明された。

ふっ~、(´·ω·`)・・・・・
治療すればわりと妊娠できるのかと楽観的に考えていた私は
37歳という年齢に直面した。

反面、私の住んでいた田舎では、体外受精(IVF-ET)や顕微授精(ICSI)を受けられる病院はなかったし、治療を受けられる環境があるだけでも
希望があった。

あとは、夜勤を続けながら排卵や生理周期に合わせてタイムリーに通院できるだろうか・・・・という心配。
医療観察法病棟の看護師の仕事で、社会復帰前の外泊の付き添いも予定されていた。思いきって同僚に不妊治療をしていることを打ち明けるしかない・・・・、そう決心した。

当時の夜勤は、
日勤(8時30分~17時15分)後帰宅して食事や仮眠、その日の夜に深夜勤務(0時30分~9時)というものがあった。
他にも準夜勤務(16時00分~0時30分)が終わり、翌朝日勤をするという過酷な勤務だった。
あ~、こんなんでやっていけるかなぁ~私。

そして治療費(当時は自費だった)、1回の体外受精、前後の検査や排卵誘発剤の注射代、ざっとみつもっても50万~70万、諸経費を加えるともうちょっとかかりそうだった。

夫は、バイト生活で貯金もなく費用をもらうことは現実的に難しかった。
とにかく、治療費のために働くしかなかった。

あの時の私を突き動かしていたものはなんだったんだろう・・・

命のつながり

自分の生きていたことを証明する存在としての子ども

両親や祖父に希望を届けたかったのだと思う。


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