見出し画像

Chara「命のまつり」その50~2011年3月の衝撃と動物的な直観

育休を本当は3年とりたかったけど、いくらなんでも
ながくないか・・・・、仕事もしないと生活が・・・、
そんなこともあり、無事に保育園もみつかり仕事に復帰した。

東京の保育園事情を甘くみていたが、幸運にもすぐ近くの認可保育園に行くことができた。卵と乳製品全般のアレルギーがあることを相談し、食事の献立を毎月確認して対応していただいた。食物アレルギーの子どもが増えている背景もあり、保育園側も協力的だった。

ただ、食事の時の娘の席について聞いた時、内心寂しい気持ちになった。
「他のお子さんの食事を○○ちゃんが食べちゃうこともあるかもなんで、席を少し離さしてもらいますね」と言われた。
そうだよなぁ~、子どもだもんね、遊びの延長で色んなことがあるよねと納得した。
ある日の保育参観の日、娘の食事風景を見た。
ひとつのテーブルに子どもたちが4人向かい合わせに座っている。
テーブルとテーブルはくっついているけれど、娘は1人でテーブルに座わり他のお友達から離れてポツンとしていた。
配慮してくているのだけど・・・、
ごめんよ、娘、寂しい思いをさせてと心の中でつぶやいた。

食物アレルギーはあったけど、娘はもりもり食べて、3月生まれのわりに体も大きい方だった。ただ、食事の前15分くらいにインタールという粉薬を少量の水で溶いて毎食飲ませていた。保育園でもお願いしていた。

最初のうちは仕事中も、娘がアナフィラキシーにならないか、誤ってお友達の食事を食べたりしないか心配だった。
そのうち、心配から大丈夫、なんとかやっているという安心に変わっていった。

そんな頃だった
3月11日、私は仕事が休みで家でくつろいでいた。
びっくりするような衝撃を体で感じ、そこからしばらく続く揺れに
体の動きが止まっていた。
このまま家の中にいてもいいのか怖くなり、いそいでマンションからそとの
駐車場にでた。まだ揺れていた。身体がぐらぐらしていた。

揺れが収まった時、娘のことがふと頭に浮かんだ。
迎えに行こうと自転車で保育園に向かった。
幸いにもマンションの中は少し物が落ちた程度だった。

娘に、どうしてた?と聞くと
先生に言われて机の下に隠れたんだよと娘は言った。

娘の顔を見たとき、ホッとしたけど、
妙な不安感と胸騒ぎが残った。

動物的な直観みたいなものが働いて
全身が命を守るアンテナみたいになった感覚だった。

そして、3月14日
私たち家族の人生の転機が訪れたのだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?