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Chara「命のまつり」その52~義母の看取りに思う、医療とは

2011年3月14日に帰郷し、しばらく同郷の主人の実家で暮らした。
私の実家にはナナちゃんというシーズーがいた。
娘は犬のアレルギーがあり喘息や皮膚症状がでるため、
実家で暮らすことを諦めた。

主人の実家では、肺がんの化学療法を受けすっかり心身ともに衰えた義母とその世話をしている義父が2人で暮らしていた。
一緒に暮らすことになり、私も義母の世話をするようになった。

義母が早期の肺がんとわかり手術をする時、抗がん剤による化学療法をする時、私は何も言わなかった。

自分だったら、まずしない。
自分の両親にもすすめない。
もし、自分の両親が30年以上医療に関わってきた私の説明を聞いても
自分から抗がん治療をしたいと望むのあれば、多分とめなかったと思う。
嫁という立場もあり、距離を感じていたと思う。
高齢者のがんは無理な治療をしなくても進行が遅いことなど説明してもよかぅたのかもと思うが、多分、私の言うことより長年つきあっている主治医のことを信じただろうと思う。

当時、画期的な抗がん剤と言われたイレッサだったが、結果は多くの副作用が報告された。義母もすっかり衰弱し認知機能も低下していた。

人々は心身の健やかさや病気から回復するため、苦痛を和らげるために医療を求める。その時、提供される医療が本当にその人にとって最善の選択になっているか正直疑問を感じることがある。
特に、がん治療においてはあらゆる分野から情報を得たり、治療経験者の話を聞くことを進めたい。がんサバイバーだってたくさんいる。
もちろん医師のセカンドオピニオンもありだと思う。

高齢の両親はそんな情報を知るすべもなく、田舎の病院の医師に言われるまま検査を受け続け、言われるまま手術をして、抗ガン剤治療を受けた。
それも、その人の運命かもしれないと思った。

そして、義母は廃人のようになっていった。

義父は家で最期まで看たいと言った。
食事もおかゆを一口か二口程度しか食べない状態だった。
何を聞いても、「そうねぇ~・・・・・・」と何か返事をしようとするの
だけど上手く言葉にならず、じ~っと見つめていることがよくあった。

4月になり、桜が咲いた。

ある天気のいい日、義父と私は義母を連れて桜を見に行くことにした。
最後の桜になるんだろう・・・・と思った。
ベッドから義母を私がおんぶして車に乗せた。
春の日差しの中、義父と義母、私と娘は車に乗って市内を走り
桜を見て回った。

義母はもうあまりしゃべることができなかったけど、目をあけて景色をみていたように思う。

そして、義父がかかりつけ医に看取りについて相談した時
「いつでも連絡してくれれば行くから」という返事だったと聞いた。

しかし、
実際は早朝5時頃、義母の呼吸が止まった時、
義父が医師に電話をしたら、
「救急車を呼んでもらったほうがいい」と言われ、
仕方なく私たちは救急車を呼んだのだった。

そして、病院で死亡が正式に確認された後、検視を受けることになってしまった。

医療を受ける立場の弱さや無力さをリアルに感じた経験だった。


ライフコーチングをしています。
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