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亀とエンデ

前回に続き、また亀の話です。
私、亀がそんなに好きだったっけ?と思う程、次から次へといろんなところに連想が行きます。
あとちょっとだけ、おつきあいください。

ドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデは亀が好きなことで有名で、自身も5匹の亀を飼っていたそうです。

エンデの代表作の1つ「モモ」の中では、甲羅にメッセージをうかびあがらせて会話をする、カシオペイアという亀が登場します。この亀がなんともかわいらしくて、私が大好きなキャラクターです。

カシオペイアは三十分先のことを見通せる力を持っていて、その力で主人公のモモを導きます。なぜ三十分だけ?ちょっと不思議です。
ミヒャエル・エンデはこの疑問にこう答えたそうです。

未来というのは、いつもさしあたっては次の三十分、あるいは次の一日というものから生まれるからですよ。

子安美知子「「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として」朝日新聞社

この言葉に、私は、少し前の記事でご紹介した、理学博士の佐治晴夫先生の言葉を思い出しました。

一人称で考えれば、自分の誕生も終焉も意識の外ですから、一人称の人生は永遠です。思う存分、冒険の旅に出ることの先に最高の未来が待っていることは確かです。

東急株式会社『SALUS Well-being』

自分が責任を持てる、主人公でいられる時間は、きっとそんなに先の未来の話ではないんですね。

来年のことをいうと鬼が笑う、という言葉がありますが、今なにをやろう、次はどうしよう、くらいの短い時間を積み重ねているうちに、気がついたら来年になっていました、というくらいの時間感覚でいればいいのでしょう。

マイスター・ホラは友人のカシオペイアのことを、こんなふうに語ります。

じぶんの中に、じぶんだけの時間を持っている。だからなにもかもが静止してしまっても、カシオペイアは世界のはてまでだって行けるんだ。

子安美知子「「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として」朝日新聞社

自分だけの時間。自分だけの世界。その中で思う存分、生き抜けば、「世界のはてまでも行ける」。佐治先生の言葉にある「最高の未来」と言い換えれもいいかも、と思います。

簡単ではありません。それでも、リスクにばかり気を取られ、先回りするような生き方をしてきた私にとって、マイスター・ホラの言葉は、背中を押してくれる、明るく気持ちのいい言葉です。

こんなに魅力的な亀を作品の中に作り上げたエンデ。
「モモ」は、時間をテーマにした作品ですが、そのテーマを担うキャラクターに、なぜ亀という生き物を選んだのでしょうか

エンデの亀観(?)を表現している文章を2つ紹介させてください。

カメは、私が見るたびに改めて気に入ってしまう動物です。そのわけは、ひとつにはカメはまったくなんの役にも立たないからです。カメは敵をもたないし、味方ももたない。カメはただ世界を通り抜けていき、だれの助けにもならないし、だれの害にもならない。存在するだけ、そう、ただいるだけでしかない。

子安美知子「「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として」朝日新聞社

カメの顔をじっとのぞきこんでみたことがありますか、カメってやつは、ふしぎな微笑をしているんですよ。まるでなにごとかを知っているのだけれど、それを言わない、とでもいった微笑なんです。そんなことをカメは体現している。

子安美知子「「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として」朝日新聞社

亀好きの皆さん、亀をみてこんな風に感じられますか?

おまけの話 その1

「モモ」をもう一度読み返したいのに、みつかりません。
「あの本を処分するわけないのにねー」と家族全員が探し回ってくれましたが、どうしてもみつかりません。カシオペイアと一緒に世界のはてまでいってしまったのでしょうか。

おまけの話 その2

一瞬一瞬を輝きながら駆け抜けているようなnoteクリエイター、jolly さん。以下の記事に、今回の記事とつながる彼女の生き方が見えるような気がします。


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