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閏月は季節の迂回路

前回の記事で古代ギリシアの暦の話を書きました。

暦のことを調べながら、ずっと頭にひっかかっていたのは、以下の記事でした。

旧暦では、今年は13カ月あって春が長いのだそうです。
古代ギリシアの暦について調べてようやく、閏月が遠い古代ギリシアの話ではなく、今ここにもあった、とようやく実感した次第です。


少し前に、時候の挨拶のような言葉を、普段のやり取りの中で使う人と知り合った、という記事を書きました。

仕事からの帰り道にどしゃぶりの雨に見舞われ、いやだなあ、と思いながら帰宅したら、雨どころか雷にも見舞われたその友人から、季節の変わり目の春雷が鳴っていた、という言葉をもらい、物事は捉え方次第なんだな、と思った出来事を書いた記事でした。

さて先日、またしても夕立と落雷に見舞われ、帰りの電車が止まってしまいました。迂回路を使ってようやく家にたどり着き、春雷のことなど忘れて、その話をその友人にしたところ、こんな素敵なコメントをいただきました。

夕立に見舞われる夏になってしまいましたね。
旧暦ではまだ春であるのが不思議です。
迂回路で帰られて良かったです。
閏月も季節の迂回路なのでしょう。

地球が太陽の周りを一巡するのに要する時間を1年間とする太陽暦。それにあまりに慣れてしまい、太陰暦の考え方には、高校時代に世界史を学んだ時から!苦手意識を持っていました。

ところが、最近noteで月や二十四節気の話題を目にするようになり、月を日々の基準とする考え方も悪くないのかも?と思い始めました。
そんな矢先のこの言葉。

いつもの年と違い、閏月が存在する今年。
1つ多い月は、季節が少しだけ回り道をしてゆっくりと通り過ぎていく時間。
そんな捉え方をすると、矢のように過ぎていく毎日に、少し立ち止まる余裕ができる気がしました。


長くなりましたが、クッキーのパッケージから始まった暦の話はこれで終わりです。
誰も食べないカラブ豆クッキーの残りは、私が遠慮なくいただくことにします。

おまけの話

月のご縁で、私の好きな記事を紹介させてください。

「月を見る生活をしていると…」

「月を詠んだ歌を比べて、これほど対照的な二首はないのでは…」

「お月様の笑い顔は、サーティワンのアイスが…」

「出無精だけれど気持ちはお月さまの向こうまで…」


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