春雷
手紙の冒頭に書かれる時候の挨拶。
普段は使わないような、季節感あふれる言葉が使われます。
私はそういう言葉が好きなのですが、あくまでそれは「普段使わないような言葉」というのが前提でした。
そんな言葉を、定型の時候の挨拶ではなく、平文の中で普通に使う人と最近知り合いました。
言葉を使うということは、世界の中にその言葉が示す事象が見えているということ。その人の文章を通じて、私も同じものが見えるようになるかもしれません。(多分。そう思いたい。)
先日、仕事帰りの電車の中でアナウンスが流れました。
これから到着する駅の近辺で激しい雨が降っているから足元に気をつけてください、とのこと。
珍しいアナウンスが流れたな、と呑気に構えていましたが、降りてみたら、外は景色が白くみえるほどの大雨。
折り畳み傘しか持っていない。いやだなあ。
そんなことを考えながら家にたどり着きました。
その夜届けられたメールの中に書かれていた言葉が「春雷」。
私が外にいたときは、雷は鳴っていませんでしたが、メールをくれた人の頭上では雷が轟いていたそうです。
春も雷も知っている言葉ですが、春雷はわかるような、わからないような。
前置きが長くなりました。
春雷です。
雷というと、私は夏のイメージを持っているのですが、夏と春の雷は成り立ちが違うのだそうです。
夏の雷は熱さによって生じ、夕立をもたらすもの。
太陽の熱で地面があたためられ、地面によってあたためられた空気が上昇気流となり、積乱雲を生じさせ、雷が発生します。
春の雷は、寒さとあたたかさの境目に生じます。
冬の寒気をもたらすシベリア高気圧の勢いが弱まると、偏西風に乗って移動性の高気圧と低気圧が交互に西から東へとやってきます。多くの場合、前線を伴い、寒冷前線付近では冷たい空気に潜りこまれたあたたかい空気が急上昇し、積乱雲を生じさせ、春雷となります。
寒さとあたたかさの間から生まれるから、春雷は雹を伴い、春の訪れを示すのですね。
さて、どしゃぶりの雨に春の訪れを感じた人と、いやだなあと思った私。
その差を考えるとうんざりしますが、それよりもこの世界、見方を変えれば、今より何倍も豊かにみえるのかも、と(無理やり)前向きにとらえることにしましょう。
※皆さん、雷にはくれぐれもお気をつけください。
参照元
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