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母と過ごした2ヶ月半

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2022年8月。私は27歳、母は59歳。急に足が動かなくなった母は、ガンが脳に転移しており、余命1,2ヶ月と宣告される。私は仕事を休み、自宅で母の介護がスタートしました。母と過ご…
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2022年10月の記事一覧

17 訪問入浴?お家でおふろ?

母は、数回だけだったが訪問入浴を利用した。 ところで、訪問入浴ってなんだ…?! お湯は…?浴槽…?移動は…? 初めてなのでなんとなく、私も緊張。 初めましての挨拶を済ませるとスムーズに準備に取り掛かっていました。 ⚠見ている側の感想 母は病人で痩せているけど… まだ?59歳だし… 女性なのでせめてすべてスタッフが女の人とか、もう少し見えない工夫はできないものなのか!?!安安と体にさわるな!? というのが正直な感想です…。 高齢者への対応が多かったり、抱えるために

16 処方箋?

退院して一週間が経ったとき、 急に痰がからむようになった。 ゲホゲホ。 ゴロゴロ。 喉の下辺りに痰が絡み苦しそうな様子。 往診の際、相談してみると 痰の薬である アンブロキソール、カルボシステイン を処方された。 ところで、訪問診療って 紙の処方箋があるわけじゃないし、 薬が無くなったらどうするんだ? と、思っていたら 先生と薬の相談した後、先生が自宅近くの訪問診療対応の薬局へ連絡を入れてくださり…そこに受け取りに行くというだけだった。 様々な医療機関がこうや

15 日常

母が家に帰ってきたということで、ほとんど毎日来客があった。 母の友人、親戚、様々な人が遠方からも お見舞いに来てくれた。 入院をしていたら、会っておきたい人にも会えなかったよなと思うと本当に退院してよかったと感じた。 母はおしゃべりだ。 友人たちとの会話に同席すると 病気の話もそこそこに、好きな推しグループの話をしたり昔話に花を咲かせたり…… いくつになっても女子なんだなぁなんて可愛らしく思った。 笑うのが1番だ、とニコニコしながら呟いている。 彼女曰く、推しグル

14 4人ぐらし

父、母、姉、わたしの家族4人が揃った生活がスタートした。 私も姉も高校卒業後実家を出たので、家族揃った生活は10年ぶりくらいだ。 母のベッドは一階の畳の部屋。 「ごはんも、寝るのも、ここでみんなでやろうよ」 普段使われていない客間だったが、せっかく家族が揃ったのだし、母を一人にさせるわけにもいかないので提案した。   初めてのことだらけで不安がなかった訳では無いがこの新しい生活に、ワクワクしている自分がいた。 【こんな時間は貴重だろうなぁ、帰ってきた母と何を話そう

13 母が帰ってきた日

母が帰ってくる日だ。 お昼ごろに自宅に到着なので お昼ごはんを朝のうちに作っておこう。 と思って早起きして作った肉じゃが。 細かく、細かく。 誤嚥したら大変だ。 せっかく帰ってきたはじめの日。手作りのものを食べさせたかったんだ。 ご飯を出して、母は言った。 「もう少し具、大きくして。」 笑ってしまった。 元気な証拠。 なによりだ。

12 訪問看護の看護師さんってなにするの?

自宅で看る、となると必要になるのが 訪問看護(看護師さん) 訪問診療(お医者さん) 訪問介護(介護士さん) でした。 すべての手配はケアマネさんがスムーズに行ってくれ、3つそれぞれ別の会社にお願いしました。 とりあえず、病院の先生やケアマネさんからのアドバイスの元利用回数などを考えたが… 一体何をしてくれるんだ? どのくらいの回数が適当なのか? 初めてのことでさっぱりでした。 一番多く来てもらったのが ①訪問介護の看護師さん はじめは週に2回お願いしていましたが、

11 自宅での介護【準備したもの】

8月下旬、母は自宅へ戻ってくることとなった。 参考までに、新たに準備したものや便利だったものを紹介します。  ✰私の母の場合 書き出してみるとたくさんあったなぁと。大体がドラッグストアの介護用品売り場で購入した。 終末期の前半と後半で使用頻度がかわるものがありました。 ※特にスポンジは後半痰がからむことが多くなり、一日何本も使用することに。 母の場合ですがご参考までに。

10 看護師さん

入院中、看護師さんは 母へも、私へもとても丁寧に接してくれた。 全脳照射の治療が終わった後は 自宅で過ごすと決めていたため、 自宅での看護の際必要なこと、病院で行っていることを一つ一つレクチャーしてくれた。 ・尿の捨て方 ・着替えの仕方 ・褥瘡(床ずれ)を防ぐための圧抜き ・クッションの位置 ・食事や薬の提供方法 など…入浴のお手伝いもさせてもらった。 質問をすればしっかりと答えてくれ、 着替え方については動画を取ったほうがいいかもしれないと提案してくれた。 母が摂

9 母が歩けなくなったワケ

一年前、母は珍しい大胸筋への転移が見つかった。場所が悪く手術が出来ず抗がん剤治療となった。 抗がん剤治療はさまざまな副作用が出る辛いもの。 その一つが手足の痺れ。 母は足の痺れが取れず悪化する一方だったが 先生へ何度相談しても、副作用でしょうと突っぱねられるだけだった。 しかし日に日に歩けなくなる母。 車椅子となった母に先生は驚き、やっと検査となった。 そこで見つかった深刻な状態の脊髄と脳への転移。 脳転移は癌の転移の最終地点とのことで、 これまで脳のMRIは取

8 入院のはじまり

救急搬送された母は一旦全脳照射を行うため入院となった。 8月の入院の際の面会は、コロナにより制限付きだった。 ・特定の2名のみ ・15分間 ・期限内の陰性証明書提示 ・ワクチン3回目の接種件提示 (条件は病院、病棟によって異なるそう) 姉と私の2名と決め、私は毎日面会に行った。 PCR検査も、期限が切れてしまわないように2日に1回予約し検査。 あまりにも通いすぎて検査所の人から覚えられていた自信がある。 気遣いの母は、看護師さんへ物事を頼むのが憚れるようで私が訪れると

7 余命宣告

救急搬送後、待合室で待つ。 先生から静かな声で呼び出された。 「ご家族の皆さん、お話しがあります。」 母の状態の説明だ。 現実を突きつけられる瞬間が、遂に来てしまった。 先日検査したMRI検査の結果とともにゆっくりと説明が始まる。 「脳の白い影がガンです。脳へのガン転移が多く見られます。」 母の脳は真っ白だった。 ガンが目を圧迫していたことで視線がズレていたのかもしれない。 「予後1〜2ヶ月でしょう。 かなり進んでしまった状態なので1ヶ月程かもしれません。急変の

6 救急車

今朝は通院。 朝起きて、通院の身支度をしながら 母の異変に気づいた。 片目の視線がズレている 呂律が回らない 加えて下半身不随となった身体で普通の乗用車への乗車も難しい。その中で30分も車に揺られて通院はもはや不可能だった。 「救急車を呼ぶ!」 父の判断は正しかった。 救急車で通院となった母。 近所の目を気にする母は、 「ピーポーは鳴らさないで!」 と強く言っていた。 しかしピーポーサイレンは必ず鳴らさないといけないらしい。

5 久しぶりの帰省

「お母さん、このままじゃ危ないと思う。」 母親をそばで見ていた姉からの連絡だった。ストレートに伝えてくれる姉に私は救われた。  母に連絡をしても、 「大丈夫、お仕事頑張って!」 「こっちのことは気にしないで!」 心配をかけないようになのか、詳細を伝えられなかった。 【私も家族なのに】【頼って欲しいのに】 抗がん剤治療中だった母は1ヶ月の間で急に歩けなくなってしまったという。 杖をついてなんとか歩く。 その一週間後には 歩行器。 次の週には 立ち上がることもできなくな

4 ちゃぴ、ごめん

2021年秋 ちゃぴ、ごめん 最悪な結果だった 検査結果分かったら連絡するねと言われた当日。そわそわして、仕事中にLINEを開く。 目に飛び込んできた文章。 ギュッと心臓を誰かが掴む、あの感覚。 あふれる涙を隠しながら素早く拭った。 丁度一年前。 秋晴れの午後。 手術の難しい箇所に転移が見つかった。 大胸筋への転移。 そこから、最後の抗がん剤治療との戦いが始まったんだ。