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社会による教員のサブスク――定額働かせ放題の給特法

教員残業代見直しを求める画期的な訴訟

2021年10月1日,現役公立小学校教員の田中まさお氏(仮名)による埼玉県を相手取った訴訟の判決が,さいたま地裁で言い渡された。

教員は教職員給与特別措置法(給特法)のもと,休日・時間外勤務手当を支払わない代わりに,月額給与の4%を「休職調整額」名目で払うと規定している。勤務時間外の部活動指導や教材研究や授業準備などの日常業務は,自主的な活動とみなされ,残業代は出ない。

原告は月当たり60時間を超える時間外労働が「タダ働き」とされていることの違法性を訴え,労働基準法37条にもとづく割増賃金請求を行ったが,判決は原告の請求を棄却した。また1日8時間を超える時間外労働をさせていることを違法として,国家賠償請求を行ったが,こちらも棄却された。

毎日新聞は社説のなかで,教員の長時間労働や給特法の見直しが変わらない要因の1つとして,「教職をほかの職業と異なる『聖職』とみなし,教員の献身を当然視する考え方が社会に根強いため」と指摘した。

また,埼玉大学教育学部准教授・高橋哲は本件訴訟を次のように評価した。

本件判決は,その法律判断において問題点が少なくないものの,給特法が「定額働かせ放題」の法律であるとの認識や同法のもとに教員を「聖職」として取り扱うことへのアンチテーゼを確実に投げかけていると思われる。

『世界』2021年12月号: 27

高橋の「定額働かせ放題」の法律という表現は,給特法の本質を表現する面白いキャッチフレーズだと思う。

毎日新聞も高橋も,社会が教員に「聖職」として位置付け,長時間労働を強いてきた現状を批判している。

言い換えれば,まさに社会による「教員のサブスク」である。

私の時間外労働は労働時間に入らないという衝撃

私も教員として働く以上,時間外労働とはお付き合いしてきた。

朝5時に出勤し,夜の9時ごろ帰宅するなんて日もあった。部活動は大会前に練習させてあげたいと思えば,土日は6時間。もちろん部活動手当(900円)が出るのは3時間までだ。

自分でいうのもなんだが,そうじゃないと終わらない!ってことはほとんどなかった。仕事量も負担がある役職にはないし,仕事の割り振りは気を付けているつもりだ。

けれども,それでも,平均して月60時間を超える時間外労働が当たり前にある。部活動が終わる6時の時点で,すでに1時間半の時間外労働であり,そこから授業を作ったり,宿題の点検をしたり,保護者への電話連絡をしたり,いろいろなことをすれば自然と7時は過ぎているのである。

ちなみにだが,ここにあげた私の時間外労働のすべてが,本件判決では「教育的見地から自主的に決定した」として労働時間性が否定されている。

驚くべきことに,授業準備時間については,一コマ「5分」が相当とされており,それ以外の時間は先と同じように「教育的見地から自主的に決定した」として労働時間性が否定される。

先の高橋准教授はこの件について次のように述べている。

しかしながら,この「教育的見地」によって導かれる教育活動にこそ,教師という仕事の核心があるように思われる。すなわちこれらの業務は,使用者の指示によって一律に業務内容が確定するのではなく,教師の経験,専門性にもとづきその必要性と業務内容が確定される領域であり,専門的判断によって付加されることから,「専門的付加価値業務」とも呼びうる領域である。そして本来的にこれらの専門的付加価値業務が,正規の勤務時間内で処理される必要性があり,そのための自由裁量時間の確保こそが,教員に固有な勤務時間管理のあり方として求められる。

同上: 30

すなわち,教師の経験と専門性から業務内容が確定する「教育的見地」によって導かれる教育活動こそ,正規の勤務時間内で処理されるべきである,という結論を私は強く支持する。そして,高橋の「この「教育的見地」によって導かれる教育活動にこそ,教師という仕事の核心があるように思われる。」という一文は強く心を打つ。

もちろん,不必要な業務を整理するなどの工夫を続けていくことはもちろんのこと,発達段階を踏まえた教育活動の工夫,個別の生徒へのケア(心理的,身体的なサポート),保護者との適度な距離感をもった連携などに多くの時間を費やしていけることを願う。

本件訴訟は現役教員の田中氏(62)によって起こされた画期的訴訟である。再任用職員でなければおそらくこうした訴訟に踏み切ることは,自分のキャリアを考えるとできないと思う。改めて勇気ある訴訟だったと思う。

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