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「Art Festival 2022」瀬戸内国際芸術祭編

担当:CHISATO

channelによる、みなさんとの対話と交流の場、PLAZA。
日本や海外で実施されている芸術祭にフォーカスし、その実態や内容についての知識をシェアしながら、様々な切り口からディスカッションを行っていくPLAZAの芸術祭企画の第1弾となる今回は、大地の芸術祭と瀬戸内国際芸術祭の比較と考察をしました。今回は瀬戸内国際芸術祭について、当日のプレゼンテーション内容をレポートでお届け!

はじめに

私は、2022年の瀬戸内国際芸術祭において春・秋会期を通して運営スタッフとして、会場の一つである女木島という島に滞在していました。


女木島のビーチから見ためおん(船)と月



島で暮らすという贅沢な体験が出来たと同時に、滞在先の施設が出展作家のレジデンススぺ―スであったこともあり作家との交流も深め、それが結果的に作品と深く対峙し理解していく特別な時間にもなりました。また同時に島民の方との交流も持ち、あたたかなもてなしを受けると同時に、見えない線引きを感じる瞬間もあり、常に緊張と弛緩の淡いの中で心が揺れ動きながら日々を過ごしていたという側面もありました。
更に、2会期を通じて関わらせて頂いたことで、芸術祭の始まりから終わりまでを見ることができ、社会情勢に伴った変化や芸術祭だからこそもたらせること、そして課題点なども末端にいながらも感じることがありました。そうした経験を踏まえ、拙いながらも日本を代表する芸術祭の一つである瀬戸内国際芸術祭について私なりにお話できたらと思います。

瀬戸内国際芸術祭について

さて、まずはそもそも瀬戸内国際芸術祭ってなあに?というところから始めましょう。

瀬戸内国際芸術祭は、英語で表すとSetouchi Art Triennale。トリエンナーレとは、3年に1度行われる芸術祭という意味のアート用語で、瀬戸内国際芸術祭も3年に1度、瀬戸内海の12の島と2つの港を舞台に開催される現代アートの祭典です。

開催場所
高松港、直島、豊島、小豆島、男木島、女木島、大島、犬島、宇野港(岡山県)。
そして、春会期のみの会場である沙弥島。秋会期のみの本島、高見島、粟島、伊吹島。

会期
2022年は105日間の会期。

春会期(4月14日~5月18日)
夏会期(8月5日~9月4日)
秋会期(9月29日~11月6日)
の3シーズンに分かれます。
会期が分かれているのは、大地の芸術祭との相違点です。

プロデューサー、ディレクター

大地の芸術祭と同様、
総合プロデューサーは福武總一郎氏。総合ディレクターは北川フラム氏が務めています。

さて2022年は70万人を越す来場者が訪れ、2019年に至っては100万人を超える人々が訪れる瀬戸内国際芸術祭ですが、意外と知られていないのはテーマや開催に至った経緯。
今回私は、福武氏と北川氏の共著である『直島から瀬戸内国際芸術祭へー美術が地域を変えた』を読み、また過去の北川氏のインタビューや瀬戸内国際芸術祭公式HPなどから成り立ちや思いを紐解きました。

著書はこちら↓

瀬戸芸のテーマ

芸術祭の軸となるテーマは、「海の復権」

豊かな養分やエネルギーに溢れる瀬戸内海は、近代になってすべてが陸地で発展していくようになると、海と島の大切さが忘れられ、周りが海という閉鎖性や管理のしやすさが注目され監視する場所や周囲から隔絶し情報をシャットダウンする場所として利用されるなどしてきた歴史があります。
それは例えば、会場になっている大島のハンセン病患者隔離や、犬島の精錬所、豊島の産業廃棄物不法処理問題などが上げられます。こうした状況に加えて、過疎高齢化が進むことで島の活力が失われ、地域力が減退していくという課題もあります。

このような背景を鑑みた上で、瀬戸内海で芸術祭を行う上で一番に考えることとして「本来の海のありかた」をあげ、テーマを「海の復権」にしていったという経緯があります。
このテーマには、島の過疎高齢化という現実に対して、そこに住んでいるお年寄りにもっと元気になってもらいたいという願いが込められています。
そのための切り口として、アートや建築があり、芸術祭を維持していくことで地域の問題と向き合っていくことになりました。

ここで気が付いたことは、瀬戸内国際芸術祭はアートのためのアートによる祭典、ではなくあくまで地域復興を目的としており、そのための切り口がアートなのであるということです。この大前提を押さえておくと、瀬戸芸への見方や考え方が少し変わります。

瀬戸芸の経緯

さて、続いて瀬戸内国際芸術祭が始められた経緯を見てみましょう。

始まりは、遡ること1988年。
直島に、キャンプ場を作るという福武總一郎氏の父である福武哲彦氏(福武書店創業者)の計画を引き継ぐ形で参入し、当時の直島町長である三宅氏と共に直島の南側一体のエリアを文化的なエリアにしていく計画である「直島文化村構想」が、ベネッセアートサイト直島の原型となります。
その後、国が主催する「全国都市再生モデル調査」に応募し、500万円の補助金がついたこと、また香川県の若い職員グループからも国際芸術祭の提言があったことから、「瀬戸内アートネットワーク構想」というプランが生まれた。これは、瀬戸の島々の現状をリサーチし、地域活性とアートを結びつけて提言したものでした。
2006年の大地の芸術祭から総合プロデューサーを務めていた福武氏は、北川氏に協力を依頼し2010年には1回目の瀬戸内国際芸術祭が開幕します。

しかし、なぜ瀬戸内海の島々に現代アートなのでしょう。

著書で福武氏はその理由を、
「文学や音楽、映画などは、どちらかというと送り手が主体で、どこか作者の意見を落ち着けてくるところがある。その点現代アートは受け手が主体となれる唯一のメディア」であること、また
「アートが主張するのではなく、アートは自然や歴史の持っている良さを引き出し、それらの相互作用で観る人を動かす。感動やある種の感情を引き出すもの。これは単なる鑑賞ではなく、見ている人の生き方を変えてしまう可能性すらある。これが現代美術の持つ力だと信じている」
と述べています。



数字で見る瀬戸芸

このような経緯で始まった瀬戸内国際芸術祭は、2019年には経済の直接効果が112億円、来場者数は約117万人を突破するなど観光産業としても主要なイベントになっていきました。
2022年は、コロナ禍や秋会期に入る前までの入国規制の影響で来客数は2019年程伸びませんでしたが、約72万人の来場者数を記録しています。

https://setouchi-artfest.jp/press-info/press-release/detail454.html

このように、社会的に影響を持つようになった瀬戸内国際芸術祭。SNSのフォロワー数を見てみても、Instagramとfacebookではフォロワーが6万人を超えるなど注目度の高さが伺えます。


女木島について

さて、今回は数ある島の中でも今回は私が滞在していた島、女木島についてお話をします。
高松からフェリーで20分と、最も近く行きやすい島で夏は海水浴客が集まります。

フェリーから見た女木島!

女木島は、瀬戸芸の全ての島の中で唯一、出展作家の作品を購入することができる島であり、「女木島名店街」という独自のプロジェクトを行っていました。
出展作家は、展示と販売を両立させるために様々な工夫を凝らして、商品やワークショップの企画を行っていました。また、フードマーケットやカフェなども芸術祭の一環として登場。美容院、卓球場なども兼ね備えた総合デパートのような展示会場になっています。


このようにお買い物ができます♪


訪れた人が気軽に楽しめる仕掛けに満ちた島ですが、高齢化により島民の人口が減少し、実際に暮らしている人は100人を切っているという話も耳にしました。
また、女木島に限らず今回の芸術祭では感染対策のため島民の暮らすエリアは立ち入り禁止になっていたり、作家や関係者も島民との接触が制限されていたりするなど、島民や島との関わりはこれまでの芸術祭よりは限られていた側面はあるようです。
また、作品を販売するというユニークな試みをしている本プロジェクトですが、実際に販売をしながらこれは商品なのか、作品なのか…というジレンマに陥ることもありました。
売れるものは売りたいし、売れたら嬉しいけれど、購入するという行為が主軸となっていくのは何かが違う。しかし、実際に販売している作品はどれも面白く手に取ってほしい。そんな思いが心の中に駆け巡りながら販売業務をしたり、接客をしたりしていました。
それでも、遠方から訪れてくれたお客さんが作品を面白がってくれたり、喜んで下さったりしている様子を見ると、やはりやりがいも感じました。

(女木島の作品紹介などはまた別の機会に!)

瀬戸内国際芸術祭についての考察と問い


今年は海外からのお客さんが来られなかったということもあり、瀬戸芸の現場を回しているボランティア・こえび隊が例年より少なかったことで、芸術祭の構造の問題点が浮かび上がった年でもありました。大規模なイベントを毎日やり続けるには、それなりのマンパワーが必要です。12の島と2つの港に置かれているそれぞれの作品の監視や、案内や誘導する役割など多くの人員が必要となります。それを、これまでは全国や世界各地から集うこえび隊というボランティアが主軸を担って運営していました。ですが、今年は感染症の影響もあり、こえび隊の数が減少。常に人手不足であったことから、今までボランティアの力がどれだけ大きかったかが分かります。

さらに芸術祭の現場ではよく耳にする「やりがい搾取」。この問題については、複眼的な視点から思考していくことが求められますが、金銭が発生しない中、1日中作品監視や案内業務をすることに対して何の見返りもない、ということに対して疑問を持つ方もいました。
その一方で、普段は会うことのできない人とも出会うことができたり、アートが趣味という共通の嗜好を持った仲間と出会える場として貴重な場所であるという意見も聞きました。
ボランティア、という言葉に対する意識や認識の違いもありますが、ボランティアという無償の労働力で成り立っている芸術祭、という事実については多角的な視点から論じていく必要がありそうです。(これは瀬戸芸に限ったことではありませんが)

このように、実際に現場に入ってみるとそこからしか見えない景色や聞こえない声が私の目や耳に届き、日々入ってくる膨大な情報を整理しながら思考していくことの連続でした。どの問題に対しても答えはなかなか出ませんが、全てを総括して考えをまとめるのであれば、芸術祭とは”関係発生装置”なのだ、ということです。

芸術祭は、行政から民間会社、島民から国内外の旅行客、アーティストまで様々な人が関わり織りなされていく一大プロジェクトです。
この大きなプロジェクトの元で、普段は交わることのない様々な属性の人々が集い、語り、関係性を生み出していく。同時に、普段訪れることのない場所に訪れ、瀬戸内の海の美しさや島の地形を楽しむ。人と人、人と場所、人と作品など様々な人やもの同士の関係性が生み出されていき、それらは芸術祭が終わったあとも縁となって繋がっていく。
その仕組み自体、そして芸術祭の持つ可能性自体は魅力的であると感じます。
私自身も、瀬戸内国際芸術祭があったからこそ得られた豊かな人とのご縁に今も支えられています。一方で、島に入り芸術祭に携わる中で感じた、ん?という疑問やもやもやした気持ちに関しては、それが一体どこから生まれ、何がそうした感情の根源にあるのかを考えていきたいと思います。(それらは、まだ自分の中で言語化が難しいのです)

瀬戸内国際芸術祭での経験を踏まえ、これからも芸術祭や芸術について自分なりに思索していきたいと思っています。


女木島の作品、三田村光土里さんの「MEGI FAB」にて!

♡大地の芸術祭プレゼンテーションレポートはこちらから↓


♡PLAZA当日行われたディスカッションレポートはこちらから↓



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