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3.26 fri 引っ越す人たち。目的と手段の順序はさ

 県外に出て行く。友人から報告を受けた。彼女も私も去年の春に今の仕事を始めて、色々とお互いの話をしてきた。考えてみると、市内で同時に働き始めた友達は彼女くらいなのだ。全く違う仕事だけど、それだけで何かを共にしてきたような心強さがあったから、なんだ、寂しい。心細いという表現がしっくりくる。定期的に会うようになってまだ日は浅いけど、荒れ狂う日々も彼女がいることで少し和らいでいた。

 寂しがってはいるが、彼女の転職はおめでとうと言うタイプのそれである。目的がはっきりしていて、そのために動き続ける彼女は、見ていていつもかっこいい。「目的と手段の順番が逆だよね」とお互い、たまに話す。彼女の目的はブレないし、私は手段が先行する。最近モヤモヤするのは、向かう場所が定まっていないからではなく、手段の中で動きが鈍っていることに気付いたからかもしれない。彼女と話しながらそう思った。

 卒業に際して人が出て行くのは「え〜んさみし〜」くらいに思えるけど、卒業後に残っている人が出て行くのは、それよりもっと動揺する。深い付き合いがなくても、またそのうち会えるっしょと思っていたのがひっくり返されるからだ。「えっあっ会わなきゃ」と思っている間にその人は旅立ってしまって、動揺したままになる。彼女以外にも、尊敬していた先輩が金沢を離れる。一年半くらい前に「いつでも飲みに行きましょう」と言ってもらってから、結局一回しか会えなかったから、もっと好きをひけらかして甘えていればよかった、と後悔していた。という話を友達にしたら、すんでのところで会う場を設けてくれた。大感謝。口にすれば花開くところにいられてよかった。

 みんな自分の人生を動いている。「環境を変える」という言い方があるけど、それって結構大事なのかもな。目的、改善や不満の解消以外にも、単純に換気をするために動く。引っ越しや転職みたいに目に見えたイベントでなくても、何かしら日々に換気は必要なのかもしれない。私の換気ってなんだろう。快を高めていくのとは違う、換気。走りたくてたまらなくなるときがある、それと似たような感じで、生活の何かを揺るがしたくてたまらない、そういう胸騒ぎがする。

先生の歩きたばこを咎めた路地を少女の春のすべてだとして
(2020.8)

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