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シルクロードを断捨離する

廊下の収納スペースから平山郁夫を救出した。

我が家の断捨離ストーリー②

家族の恥を晒すかのように、先日、汚部屋の片付けについて書いた。これが、意外と読者の方々から共感を呼んだので、今回、さらなる恥を晒すことに決めた。片付けをすればするほど、我が家の汚点が浮き彫りになり、そして、散らかった物たちが捨てられて徐々に汚部屋がすっきりしてくるにつれて悟ったことは、家族の犠牲になっていたのは、じつは物たちだった、ということだ。本来の使われ方をされることもなく棚の奥にしまい込まれて、存在さえ忘れられた物たちが、クローゼットの暗闇の中でじっと耐えていた長い年月を思うと、気の毒でならない。

先週、廊下の収納スペースを片づけたら、なんと平山郁夫画伯の飾り皿を発見してしまった。

これを収納スペースから掘り出した時、正直、嬉しくなかった。どうしてこんなものを放り込んだままにしていたのか? そして、そもそもこの飾り皿を我が家が手にした経緯は何だったのか? 娘でありながら私はまったく知らなかった。この絵皿が制作されたのは昭和55年。私がまだ幼ない頃だ。当時、NHKがシルクロードを特集したテレビ番組が放送され、それを記念してシルクロードを描いていた平山郁夫さんが記念絵皿を作ったらしい。付属のパンフレットにそう書いてあった。本来ならリビングなどに飾るべきはずの絵皿を、昭和が過ぎて平成も終わり令和になるまで廊下の物入れに放置しておくなんて。我が家はまるで時間を閉じ込めていたみたいだ。 


平山作品は、家の別の場所からも出てきた。こちらは本棚の上に置かれた色褪せた段ボール箱に放り込まれていたもの。箱に「シルクロード」と書いてあるから、おそらくNHKのテレビ番組が撮られたのと同時期に出されたものだろうと推測される。収納棚から掘り起こされた作品たちを眺めてみると、当時の人々がシルクロードに対して抱いていた「感情」のようなものを感じることができる。「時代感」とでもいうのだろうか? 当時はシルクロードに対して、多くの人が漠然とエキゾティックな憧憬を抱いていたのだろう。バブルの頃で、当時は多くの日本人がブランド品を好んで買い、海外旅行にこぞって出かけた。とはいえ、シルクロードとなると遠くて、交通の便も悪く、ホテルもないから、簡単に旅できる場所ではない。観光地化されていない場所に冒険する感覚で踏み入るところ。それがシルクロードだった。今よりもずっとお金持ちだった日本人が、贅沢な暮らしにある程度満たされて飽きてきた頃、最後に残った未開の地がシルクロードだと思ったのかもしれない。現在のように、中国政府の「一帯一路」構想と混同されるような場所ではなかった。

父は平山郁夫が好きだったのだろうか? 父に訊いても、覚束ない答えしか返ってこなかった。
「昔、いっときブームだったんだろう。だから買ったんだ。いや、もらったのかもしれない。たぶん仕事の関係でもらったんだろう」
父はそう答えた。
「何を言っているの! 平山郁夫はいっときのブームとか、そういうレベルの画家ではないんだよ!」
私は腹が立ち思わず大きな声を出してしまう。断捨離を始めるのがもう十年早ければ、父の記憶ももう少しはっきりしていたかもしれない。そう思うと悔しい。
断捨離をもっと早くに始めていればよかった。汚家(おうち)に暮らし続けたことで失ったのは、衛生的な環境だけではなく、大切な記憶だった。それなりに価値があったであろう物たちが、その価値を失うまで放っておかれ、さらにはその物にまつわる記憶まで、シルクロードの砂のなかに埋もれるように忘却されたのだ。
我が家は色々な家庭の事情があって、これまでずっと掃除を後回しにしてきた。掃除に手が回らないほど介護と介助に追われていたからだ。最近になり色々なことが落ち着き始めて、ようやく住まいに取り組もうという段階になって気づいたことは、時すでに遅しだった。

私の家のようにならないために、みなさんは、早く汚(お)片づけを始めましょうね。まあ、私のような読者さんはいないでしょうね(苦笑)
我が家の断捨離ストーリー①はこちら↓



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