八手水亭

八手水亭(はってみてい)です 何も言ってない

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最近の記事

思想の無い髪

腰まで伸びていた髪を切った。 耳くらいの長さまで切った、多分50センチくらい切った。 今までちょっと髪が長すぎた。 髪が長かったのは伸ばしていたからではなく、ただ気づいたら伸びていた。 住むところがころころ変わるうちに美容院に滅多に行かなくなり、前髪やら毛先やらを自分で整えるので十分、と思っているうちに腰まで伸びた。 自分にとってはただ気づいたらここまで伸びただけ、ではあるものの、腰まで髪が長いと「長いねー」「伸びたねー」といちいち言われる。 髪が長いことに何のこだわりも

    • ぐびといけ

      どうにもできない感情をどうにもできないとき、ぐびといくしかないと知った。ぐびといく、を昨日初めてやった。 ぐびといく、は酒をぐびといく、やつである。 酒をぐびといったのが初めてだった。そんなふうに酒をあおったのが初めてだった。酒は好き。酒はよく飲む。しかしぐび、といくのは初めてだった。 怒りで熱々になった頭を、冷ます、冷ましたい、冷ましたい、冷まさねばと思っていた。冷ますにはごく、ではダメだった。ごく、ではまだ全然ぬるかった。頭の熱さに比べて酒が全然ぬるい。もうごく、では

      • どこへも行けない道を走る

        ジムを辞めました。 ジム、です。そんなの絶対すぐやめるに決まってるだろ、と今は思うのですが、そのときの自分はやれると思っていた。 年末にやりきれなかった仕事を抱えたまま年を越してしまったことが原因。 年始に会った人間が複数人、ジムについての良い方の話をしていた。仲間とジムに行くようになって楽しい、リフレッシュになっている、筋トレによって生活に張り合いが出てきた、気分転換になって良いと思う、など。 なんか良いなとその時は思った。いくらもがいても達成できている気がしないタスク

        • 怖いものが一つ減る

          去年の夏、めちゃくちゃに腹が立つことがあった日初めて水風呂にザブンと全身で浸かることができた。 自分の仕事に対して初対面の人間に全然関係ないところから突然理不尽な評価を投げられてめちゃくちゃ腹が立った日(しかし今思えばその時の突然の理不尽な評価もまた一つの栄養にはなっている)めちゃくちゃに腹が立ち、腹が立ちすぎてフリーズ、何も考えられなくなりただその場は時間がすぎるのを待つことしかできず、少し時間が経つと言い返すこともろくに出来ない自分にもめちゃくちゃに腹が立ち、理不尽な言

        思想の無い髪

          全てを間違ってきた気分

          これまでの選択の全てを間違ってきた気分。 これまでの選択の全てを、間違えた方を選んできてしまった、という気分。 全ての選択のそうじゃない方、そっちじゃない方、間違えた方、を選んできてしまった。あーあ、自分だったらそっちは選ばないよ、間違えちゃったねと、言われている気分。全部の選択を、間違えた方を選んできてしまった、気分。 もう間違えるのが嫌すぎる。間違えた方を選ぶのが嫌すぎる。間違えたくなさすぎる。どうやっても間違えてしまう気がする。 何をどう頑張っても間違えてしまう気がし

          全てを間違ってきた気分

          女の裸の像を作る人間のずるさ

          最寄駅の前の広場に、女の裸の像がある。毎日私はその前を通る、今日もいつもどおりその前をただ歩いて通り過ぎる、通り過ぎたのだったが、ふと、その女の裸の像を何ともなしに見上げた。いつも目に入ってはいたが、今日はなんか、見た。見て、裸だなと思った。 女の裸の像は、ただ裸だった。本当に裸だった。本当に、何も一切まとっていない、本当に裸だった。本当に裸のその像を見て、ふと、なんだかものすごく、ずるさ、という言葉が浮かんできた。ずるさ。女の裸の像の向こうに、それを作った人間のずるさが見え

          女の裸の像を作る人間のずるさ

          おのれの愚かさによって一段と遠いインド

          さくらももこ『さるのこしかけ』を読んでから、私はインドにずっと行きたい。『さるのこしかけ』のインドの話を私は自分の家のあかない玄関のドアの前で読んだ。 鍵をどこかに忘れてきて、帰ってきたのに家の玄関をあけられなくて、管理会社に電話して、鍵あけ屋さんを待っている間に、読んだ。おもしろすぎて、鍵あけ屋さんが全然いつまでも来てくれなくて永遠に家に入れなくても全然平気なくらいおもしろかった。 善とか悪とかごちゃ混ぜの世界。私は生きることが善、生きることがすべからく善だという考え方に

          おのれの愚かさによって一段と遠いインド

          人が人のこと好きなことにどうしてとか無いよということをわかりたい

          人が人のこと好きなことに、どうして、とかは無いということをわかりたい。 人が人のことを好きなことにどうしてとかは無い、ということをわかりたい。 好き、というのは状態であって、状態、というのは陥るもの、そうなっているもの、気づいたらそうなっているものであって、そうなっていることに対してきっかけはあっても理由は無い。ということをわかりたい。 やさしい人がいる。やさしい人が、どうしてやさしいのかを考えている。 やさしい人がどうしてやさしいのか、を考えている。 やさしい人がやさ

          人が人のこと好きなことにどうしてとか無いよということをわかりたい

          きれいがうんぬん

          きれいになったね、きれいになったねとときどき言われるようになってきた。わかる。わたしは随分きれいになった。きれいになったなと自分でも思う。 随分きれいにはなったが、それでもまだときどき、きれいになりたいなあと思う。「もっと」きれいになりたいとは違う。「きれいになりたい」のであって、もっときれいになりたいのとは違う。 いくらきれいになったと言われても、きれい側にはなれないのだと思う。いくらきれいになっても、きれい側には行けない。きれいかどうかは最初から決まっていて、後からい

          きれいがうんぬん

          悪事のこと

          わたしはいつも悪事、悪事をしでかしている。わたしがしでかしている悪事はほんとうに悪い。全部こわす可能性あるほど悪い。気がついたら悪事に悪事を重ね今ではかなりでかい悪事のかたまりになってしまっている。わたしのイメージではそれは泥団子のようなかんじで、悪事は泥みたいなかんじで、表面に塗り重ねられるかんじで、どんどんでかくなってくかんじである。 いつかいっぱいまででかくなったこの泥団子がわたしをつぶすと思ってる。つぶして殺すと思ってる。でまわりのものもぐちゃぐちゃにこわすと思って

          悪事のこと