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思想の無い髪

腰まで伸びていた髪を切った。
耳くらいの長さまで切った、多分50センチくらい切った。

今までちょっと髪が長すぎた。
髪が長かったのは伸ばしていたからではなく、ただ気づいたら伸びていた。
住むところがころころ変わるうちに美容院に滅多に行かなくなり、前髪やら毛先やらを自分で整えるので十分、と思っているうちに腰まで伸びた。

自分にとってはただ気づいたらここまで伸びただけ、ではあるものの、腰まで髪が長いと「長いねー」「伸びたねー」といちいち言われる。
髪が長いことに何のこだわりも無いので「長いね」と言われても困る。座っている時に「座ってるね」と言われても困るぐらい困る。理由なくただ座っている時に「座ってるね」とわざわざ言われても何も言うことが無いのと同じくらい、「髪長いね」に対して何も言うことが無かった。
伸ばす理由もわざわざ切る理由も無いうちに髪は淡々と伸びていた。

そんな髪を突然切りたくなった。今すぐ切りたい、もう絶対切りたいと思った、理由は、脚立だった。
脚立に上り降りしなければならない作業が一週間ほど続いた。脚立は何度乗っても苦手である。怖い。高いところの作業はもっと頑丈な乗り物でしたい。段を上るたびに足元でカタカタ言っている気がして信じれない。信じれないのに、しかし脚立でやるしか無い。
腹の底がこしょこしょするような気持ちで脚立に乗って作業をしているときに、髪の毛が非常に邪魔であった。
束ねていても腕くらいの長さがあるのに、自分の思うように動かせない部位、髪。身体のすべてを使ってバランスを保ちながら作業している中で、髪だけが言うことを聞かない。髪だけが好き勝手に(重力に従って)はら、はらと思わぬ方へ動く。怖い。その度にひやっとする。
これで懲りた。これが終わったら、落ち着いたら、絶対に髪を切る、切るぞと思いながら脚立を上り降りした。

髪を切るべく久々に美容院に入った。私はけっこう美容院が好きである。匂いが好きだし、くるくる回される椅子が好き。大きい鏡も好き。
長い髪は地層みたくなっていて、初めて会う美容師でもある程度、ここはブリーチしてますね、パーマ当ててましたかなどと髪の歴史を読み解く。

しかし、長い髪だと切るのもいちいち大げさだ。
一発目は自分で切りますか?とはさみを差し出される。いい、いいと思う。
結構ですすぎる。
儀式にしないでくれと思う。この長さまで髪が伸びたことにも伸びた髪にも、何の思想も執着も未練もない。爪を切るのと同じことである。
何の思い入れもないものを、勝手に儀式にしないでくれと思う。普通に切ってくれと思う。自分の髪を自分で切ることにいちいち感動したりしないし、全部任せたくて美容院に来てるんだから普通に切ってくれ、と思う。

「自分で切りますか?」の一言で相当イライラしてしまった。(美容師さん、気遣いなのにごめんなさい)
長い髪に対し散々「長いね」といちいち言われてきたことへの小さい苛立ちの集大成って感じで一気にイラついた。
人の見た目の全てにいちいちこだわりがあると思うな。という苛立ち。自分にとってとてもどっちでも良いことを「どっちでも良くない」わざわざこうしているんだというふうに誤認される感じ。
ほんとにどっちでも良いんです。

めんどくさい人になってしまった、ね・・・

髪を切ってよかった。
めんどくささ全部葬った。


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