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どこへも行けない道を走る

ジムを辞めました。

ジム、です。そんなの絶対すぐやめるに決まってるだろ、と今は思うのですが、そのときの自分はやれると思っていた。

年末にやりきれなかった仕事を抱えたまま年を越してしまったことが原因。
年始に会った人間が複数人、ジムについての良い方の話をしていた。仲間とジムに行くようになって楽しい、リフレッシュになっている、筋トレによって生活に張り合いが出てきた、気分転換になって良いと思う、など。
なんか良いなとその時は思った。いくらもがいても達成できている気がしないタスクが山積みでアップアップしながら生きている日々の中で、小さな目標を気が向いたときにそこそこ達成できる(それが出来なかったとしても誰に迷惑をかけることもない)筋トレというものがあると、何か気晴らしになりそうだと思った。(ちなみに私は子供の頃からひたすら運動嫌い人間であり、ジムのことも「なぜ存在するんだ?」と疑ってきた。通常の精神状態だと「筋トレが気晴らしになりそう」などと絶対に思わない、とにかく何でも良いから救いが欲しいと思っていたに違いない)

そして私は「今年の目標はジム通いに決めた。美しい身体を手に入れてみせる!」と散々周囲に言いふらし、ついに自宅徒歩数分のところにある「2ヶ月間月会費無料キャンペーン中」のスポーツジムに入会手続きをしに行ったのであった。

しかし初日からもういきなり雲行きが怪しい。

有酸素マシン、あの地面がコンベアになっていて速度を変えて走り続ける運動器具、それをもう、まず早速疑ってしまった。
最初はもう「本当にジム通いを始めた自分」に酔う。「言ったことをちゃんと実行してまずえらい」の気持ちでうきうき走る。しかしもう早々に、この今走っている道は、どこへも行けないのに・・・ということに気づいてしまう。
どこへも行けない道を走って、何になるのか?という気持ち。電気で動かされている道をひたすら走る。走っているのにどこへも行けない、ただ同じ場所に留まり続けている、走っているのに。走ってもどこにも行けない。時間だけが過ぎていく。これは何なのか、何だっけ、これって何のためだっけ、これを自分は自ら求めてここにやってきたのだが、一体これが何になるのか?

などと思いながらも、事前に決めた時間までは走り切る。なるほど少し汗ばんでいる。暑い。ウォーミングアップされた状態になれている気がする。

程よくあたたまった私は次は筋トレマシンに触ってみたのだった。当然のごとく筋トレマシンのこともすぐに疑うことになる。
持ち上げても何にもならないおもり。いくら持ち上げたって何にもならない。何にもならないのに何度も持ち上げる。より重たいおもりを持ち上げたって、何も起こらない。何も起こらないのに持ち上げ続ける。怖くなってくる。何にもならないおもりをただ持ち上げ続ける営みが丸ごと怖い。

しかしそれでも事前に決めた回数はやってみる。もう、意味がわからなくてもとりあえず事前に決めた回数までやってみた先に何かがあると信じなければやれない。とにかくやれば分かるはずだ、やってみれば私にも分かれるはずだからと言い聞かせて、やる。

確かに事前に決めた「ここまでやる」をやり遂げるという部分には意味があるのかもしれないなと思う。小さな「自分えらいね」ポイントを獲得できる。「自分えらいね」ポイントを一定程度獲得することは適度に自尊心を保ちながら暮らす上では重要だから、ジムのことをこのポイントを比較的簡単に得るためのシステムなのだと思うとちょっと納得がいく。

しかし「ここまでやる」の、やる、の中身、を分かれない。「ここまでやる」の、やることを分からないままやっているからつらい。

しかもジムの後はむっちゃくちゃ腹が減る。自分は普段一日二食しか食べないので明らかにカロリーが足りない。限界までお腹がすいてしまい、食べ物で得られるカロリーだけでは足りず身体の一部までカロリーに変えて消費している感がある(これがダイエットということかと後になってちょっと思う)自分の肉体を切りわけ差し出している感じがしてくる。ジムに。ジムに自分の肉体を切り出して払っている。自らの意思で。
意味わからんすぎる、なんで?という気がしてくる。帰って普段の倍量のご飯を食べる。この倍部分のご飯は、どこへも行けない道を走り、何にもならないおもりを持ち上げることに使われたのだと思うと、なんか腹が立つ。そんなことを自分の意思で、やっている・・・

初日でもう、こんなことを思うやつは、だめである。
明らかにジム適正が無いです。

それでもその後、2回は通った。続けてみなければ分からないことが必ずある。続けた人間だけが分かる。分かれる。分かれるには、続けなければいけない。
しかし3度目にジムへ行った次の日、インフルエンザを発症した。

インフルエンザの威力がなかなかだった。
滅多に風邪を引かないので高熱のしんどさを忘れていた。思い出した、ここまで高熱が出ると何も出来ない、起き上がることも眠り込むことも出来ない、ただ身体を横たえていることしか出来ない、無力な塊・・・
丸二日寝込んだ。

はい。

滅多に風邪を引かない私がインフルエンザにこっぴどくやられたのは、ジムで無駄にカロリーを消費したせいではないかと実は思っている。本気で思っている。カロリーを使い果たし過ぎて、免疫が落ちたのでは?と、本気で思っている。
風邪を引いている場合ではない。ので、ジムはもう良い・・・

それっきりジムには一切行かなくなった。
笑けるほどの三日坊主である。本当に3回で行かなくなった。3回坊主。
2ヶ月間月会費無料キャンペーン期間中にきっかり辞める恥知らずっぷりである。2ヶ月坊主。後半の1ヶ月は実は1回も行っていない。
恥を知ってくれ。

「カロリーを消費し過ぎて免疫が落ち、インフルにかかった。ので、ジムを辞めました」という話を知人にしたら、「なんか体育休むやつの言い訳聞いてるみたい」と言われた。大正解、言い訳を喋りまくり体育休むやつでした、私。

しかし信じてもらえないかもしれないがジムのことをディスっているわけではない。むしろジムという存在について前よりも肯定的になった。
思うにジムは、とにかく何かを数多く「こなす」場所である。「こなす」ことの中身とか、意味とか、そういうことは考えたくない、ただ「こなし」たい、ただ数多くこなしたい、そういう気分の時に良い場所なのだろうと思う。
いや違う違う、違うよ、私が「どこにも行けない道」と思っている道を、「どこかへ行ける」と本気で感じて走っている人がいるということだ。身体を動かすことそのものが何か救いの人にとっては、「どこかへ行ける道」なのだろうな。
私がどこへも行けない道、と思っている道を、「どこかへ行ける道」と信じて走り続ける喜びを知っている人にとっての場所。
ただ単に、私の場所では無いだけであった。

思えば、私も他人にとって「そんなことして、何になるの?」と言われてしまうようなことを、熱心に続けている。私にとっての「どこかへ行ける道」としての営みを、やれば良いだけである。ジムである必要は、無い。
誰かがジムで得られることを、私は別の場所で得ている、だからジムを分かれなくても、別に大丈夫である。
ということを、ジムから教わった。

ありがとう、ジム!

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