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大学4年生、春

最近よく桜色のシャツを着ています。桜は花より葉桜が好きで、夏に近づくころのツヤツヤの葉が特に好きです。

大学4年生、春

大学4年生の春、わたしが最近考えていることをぽつぽつと書きました。
春、心がざわざわする季節。落ち着いてなにかを考えることがちょっぴり難しくて、まだ問いにならないような小さな芽をいくつも抱えています。育つのにはまだ時間がかかるかもしれないけど、一緒にのんびり見守ってくれる方がいてくれたらうれしい。今日も読んでくれてありがとうございます。



①なぜ「そうじゃない道」を選ばないのか

就活をしている友人を見ていて、そんなに嫌ならなぜ「そうじゃない道」を選ばないのだろう、と最近よく考える。

就活をしない道もあるし、違うやり方で就活をする道もあるし、あるいは、就活のずっと前から準備をしておく道もあったと思う。少なくともわたしは、いわゆる「就活」をどうしてもしたくなかったし、わたしには合わないと思っていたから、そうじゃない道を探して選んできた。そういう道もある。
それなのに、「そうじゃない道」を選ばないことを自分で選んでいるのに、どうしてそんなに文句を言うんだろう、と思ってしまう。

文句を言うこと、そこにはどんな意味があるんだろう。どんな思いが込められているのだろう。
なんとなく、その文句が、自分の選択から目を背けるための逃げ場になっているんじゃないか、と思う。自分が選択を誤ったのではなく、社会が/会社が/システムが悪いのだと、そういうふうに責任転嫁をしてはいないか。みんなと同じ道を行くことで、みんなと同じ苦しみを味わうことを望んだのはその人自身ではないのか。
でも、その一方で、社会や会社やシステムを変えることから目を背けて、そこから逃げ出したのが自分(わたし)なんじゃないのか、と思う。逃げているのはわたしのほうかもしれない。文句を言いながらもそこに抗おうとすることが、わたしにできなかっただけじゃないのか。

わたしにはわたしなりの信念があってそれを選んだばすだった。けど、いまとなってはなにが正しかったのかわからない。

②誰に席を譲るべきかわからない

電車で座席に座るのが怖い。いつも座席を譲るべき相手がわからなくて、いつ誰にどうやって譲るべきかずっと悩んでいる。

自分が元気なときは出来るだけ座らないようにしているけど、長く電車に乗るときや疲れているとき、ちょっと体調が悪いときには、やっぱり座りたいなと思ってしまって、
そんなときには、ごめんなさい、と心の中でつぶやいて、消えちゃいそうな気持ちで座席に縮こまって眠ったふりをする。気づいていて譲らないのではなく、気づいていないんですよ、というプラカードを掲げようとする。ずるい。

声をかけることが苦手とか、断られたら気まずいとか、そういうことではなく、「いつ誰に」そうすべきなのかわからない、それが怖いのである。そうすべき相手を前にして、自分がそれに気づかないことが、正しい行動を取れないことが怖い。

しかしそもそも、なぜわたしは座席を譲らなければならないと思っているのだろう。譲ることを義務のように感じているのはなぜだろう。
あるいは、みんなはどうやって、自分がこの座席に座るに値するのか知ることができるんだろう。そもそも、「座るに値する」人などいるのだろうか。

電車に乗るたび、座席がたくさん空いていますようにと願ってしまう。自分が座っても誰にも咎められないように。

③悪意(悪さ)はどこにあるのか

悪意、あるいは悪さとは、行為者側と受け手側とどちらにあるんだろう、という疑問を最近特によく考える。

例えば書店でコソコソしている人がいたとして、それを見たわたしが「万引きかもしれない」と思う場合、万引きと受け取られるような行為をしたその人が悪いのか、行為を万引きと結びつけて考えたわたしが悪いのか。
それが本当に万引きだったら万引きした人が悪いような気がするけど、もし万引きじゃなかったらなんとなくそう思った自分が悪いような気がする。悪意とか悪さって、一体どこにあるんだろう。

マイクロアグレッションとか、痴漢・盗撮とか、そういう問題でも同じ構造があるなあと思っていて、「そう思う/受け取るあなたが悪いんじゃないの」という主張はどこまで認められるんだろう、というところも気になる。
悪さをどこかに固定するというか、「この人が悪い!」って言えることは、私たちが思っているよりずっと少ないんじゃないかなあ。

どう悪いかとか、ほんとうに悪いのかとかではなく、悪さとはどこにあるのか(宿るのか)という考え方が、自分にとって新鮮でおもしろい。差別の問題を勉強して、自分の考え方がすこし変わった部分かなと思う。善悪で物事を判断することのむずかしさ、それにこだわることに意味があるのか、誰かに責任を帰すような仕組みや制度を考え直すきっかけにもなっている。

*ちなみに、映画「君たちはどう生きるか」を、ここ数ヶ月で3回観ました。悪意という言葉はたぶんそこから引っ張られて出てきたんだと思います(怪我するシーン、むずかしい)。


おわりに

大学4年生の春、わたしはこんなことを考えています。
あんまりまともな問いじゃないかもしれないけど、ここからどういう風に変化していくかもじっくり見ていきたい。

このシリーズの次はきっと夏だね。ところで夏っていつから?はやくスイカ食べたいなあ。


読書案内

最近わたしが読んでいる本を紹介します。内容と関連はあまりありません。


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