大きな目標が見つからなくても大丈夫。最初は本当に小さな好奇心から始めることが最重要

自分の学生時代の話。
小学生の頃、成績は悪くなかったので、親の勧めもあって私立中学を受験した。無事、中高一貫校の私立中学に合格し、高校受験なしで何も考えず高校へ進学した。大学受験では滑り止めしか受からず、就職についてもどこか他人事だった私が、当時考えていたこと、そしてそれを踏まえて今思うことについて駄文を並べていく。

小さな目標から始まった、目標のもてない中高時代

小学生当時、受験した理由は?と聞かれたら、周りの人と違うことをするという好奇心だけだった。自分が進学した私立中学は、その地域でこそ有名だったが、別に超がつくほどの進学校だったわけではない。ただ、周りの友人たちは皆揃って公立の中学へ進学する中で、自分だけが別の中学に進学することに優越感があった点については否めない。つまり、この時の目標はこのちっぽけな「優越感の獲得」であったわけだ。

ところが、中学に進学してしまうと、当然この優越感はなくなるわけで、ほとんど同程度の学力が備わった人の中に埋もれる。小学校という小さな世界の中で勝手に優越感に浸っていた私は、何事にも突出できない環境に対して不満があったわけではないが、目標を立てることができなくなっていた。

殊更悪いことに、中高一貫校に進んでしまった結果、多くの人が通る高校受験という一大イベントについて考える必要がなかった点、中学生特有の「サボり=かっこいい」的な価値観の相互作用によって、本当に何の目的もなくただ中学生をしていただけだった。

ここで言える事は、やりたい事なんて自分から探しに行かないといつまで経っても見つからないという事。当時、勉強も本気でしてなかったし、言わずもがな読書なんてこれっぽっちもしてなかったし、部活も中2の時点では退部していた。では遊んでいたかというとそうでもなくて、別にお金があるわけではないので、ただ同じような境遇の友人と恋愛について妄想したり、流行りの音楽について情報交換したり、ハマっていることについて駄弁ったりするだけだった。

今になって思い返すと、中高時代の記憶ってほとんどないことに驚く。
もちろん、年齢を重ねるごとに記憶が薄れているんだろうが、それ以上に、本気で取り組んだことがあまりにもなさすぎる
※中高で本気だったのってこの時くらいだと思う。

中高時代に、そんなに崇高な目標が立てられるか?と問われると、正直なところ難しいと思う。だけどおじさんになった今、学生にもし声をかけられるんだとしたら、勉強・スポーツ・文芸・趣味、大きな目標なんてなくていいから、何か1つ本気で取り組んで続けてみてほしい

そんな感じで目標を持てないまま大学受験を迎え、本気で大学受験について考えることもできず、結果、滑り止めしか受からなかった私は、大学時代にはどうなったかというと……

目標のないまま迎えた大学受験と、手応えのない大学時代

親の反対を押し切って建築学科に進学した私は、新しい環境に入ることで、自分が(良い方向に)変わるのではないか?と期待していた。
ところがどっこい、やっぱりただ環境が変わるだけでは、自分は変わらない。正直なところ、建築に全く興味がなかった私は、ただ単位取得していけば、知識も身につくし、やりたいことが見つかると思っていた。

仕送りももらっていたのでバイトも必要以上にはしなかったし、部活やサークルにも入らなかった。当時の感覚で言えば「なんかグッとこない」。というよりも、新しいことを始めることで得られるものをかなり軽視していたように思う。

それよりも自分が魅力的に感じてしまったのは、初めての一人暮らし。
1人で1つの空間・1人の時間を占有していること、完全に1人で使えるPCが手に入ったこと、これが自分にとっては魔力的な魅力を持っていた。やりたくない事はやらなくてもいいし、やりたい事はいつでもできる。今思えば、ほとんど自分のためのストックにならないことばかり。
※まぁこれらは今も嘘偽りなく大好きなので仕方ない。

こうやって、勉強は必要以上せず、バイトもしない、部活・サークルもしないでいても3年までは全く困らなかった。大学院に進むつもりでいたので就職活動もろくにせず、変わらずのうのうとしていた。そんな中、3年時に友人の紹介で先輩の卒制の手伝いをすることになった。この先輩はとても優秀な先輩で、卒制で優秀賞をとった後、某有名大学の大学院に進学した。

自分も翌年には卒制・卒論のため研究室に配属される。このとき配属される研究室は、3年後期に行うゼミで参加した研究室になることが一般的だと先輩から聞いていたので安心していた。ここで参加したゼミは、自分が希望する建築設計を軸にした教授の研究室だったからだ。

ところがいざ4年になると話は一変。配属前に希望する研究室の教授と面談がある。少々の不安と、根拠のない自信と、これまでの授業課題を持って面談に臨むと、教授から開口一番、「設計はやめて構造とか環境とかに行った方がいいよ」と言われた。

発言の意図が汲めず、さらに話を聞いてみると、これまでの課題についても設計に対しての考察が浅いし、何よりこなしてきた件数が少なすぎる。成績自体は悪くないから設計ではなく、別の分野に進むべきだということだった。サークルにも参加せず、授業課題しかやってこなかったのだから当然と言えば当然。

しかし、どうしても造ることを希望した私は、「環境が変われば、変わると思うんです」と食い下がったが、暖簾に腕押し。ここの研究室を希望する連中が、これまでどんな活動をしてきたのか、授業課題以外の活動のポートフォリオを突きつけられ、そのボリュームの多さとクオリティの高さに頭が真っ白になった記憶がある。終始、教授は柔らかい言葉で自分を諭してくれていたと思うが、端的に言えば「君じゃ無理だ」というものだった。

これまでやりたいことが見つからず、環境が変われば見つかるだろう、という希望的観測で過ごしてきた私が、教授にこう言われて、ここで初めて現実を目の当たりにする。やりたいことは自分で見つけること、やりたかったら自ら行動すること。ただの感情だけのやりたいは、現実では通用しない

それから卒制を、目標をどうしたか

自分が希望する研究室への所属が叶わなかった私は、自分たちの代で勇退する教授のところに配属されることになった。そこは、自分と同じような境遇の人が多かった。いわゆるダメ人間の掃き溜め。

とは言え、卒制は提出しないと卒業できない。大学院受験も控えているので考えなくてはいけない。ここにきて本当に何も考えていなかった自分と対峙しなければいけなくなった。

まず始めにやった事は、自分が何に興味があるのかを探すこと。反対された卒制を無理やりやることにしてしまったので、何かしら自分で課題を見つけて、それに対する設計をしなくてはいけない。ところが本当に全く勉強してなかったので、何に興味があるのか見つけることができず。

自分はやればできる人間なんだと信じて疑わなかったが、ここまでできないのかと打ちひしがれた。しかし時間は過ぎていく。何かを見つけなければいけない。とにかく全然意味がわからないまま、新建築や商店建築などの建築関連雑誌をめくる。そんな中、出会ったのが『ふじようちえん』だった。

建築はユニークで、建物全体を遊具として捉えたコンセプトにも感銘を受けた。しかし、自分がより深く興味を持ったのはグラフィックの方だった。そこで知ったのが佐藤可士和氏、そしてグラフィックデザインだった。自分の感じたものを言葉に発することさえできなかった私は、具体的に何が興味そそったのか今になってもわからない。ただ、「なんとなく楽しそう」と思ったのは間違いない。

ここにきて建築ではないものに興味を持ってしまった私は、大学院ではなく専門学校へ進学することを決意。そして卒制は、グラフィックデザインを調べていく中で興味を持った広告デザインに焦点を当てたものを設計することにした。

制作過程については割愛するが、まぁ建築についての知識はほとんどなかったため、非常に残念な仕上がりだったし、時間もなかったので徹夜のオンパレードでなんとか乗り切る状態になってしまったが仕方ない。とは言え、なんとか「なんとなく楽しそう」をきっかけに進むことができた。

専門学校もなんやかんやあって今

とりあえず大学を卒業し、ようやく自分がやってみたいと思ったことを学ぶ専門学校へ進学。ここでも彼女できるわ、めちゃくちゃ好きになってしまったわ、共依存になるわ、別れるわ、病むわ、で目標とは全然関係ないところで酷い有様だった私。ここでもかなり酷い形での卒業だったが、在学中に縁があった会社になんとか就職。大学時代とは違い、もう就職するしかなかったし、とりあえずやりたい仕事には就けそうだったのでとりあえずよし。

そこからデザイナーとして今に至る。長文失礼した。
とまぁここまで根気よく読んでくれた方はもうお気づきかと思うが、私は学生時代に本当に失敗ばかりしてきた。それは、目標を環境任せにして、目標を保とうとしなかったからといっても過言ではないだろう。学生当時の私は目標を崇高なものとして、そして大きな目標を持つことが最重要だと思い込んでいたと思う。

理想的なのは、大きな目標があって、そこからブレイクダウンしていき、小さな目標を立てて、実行に移すこと。しかし、何にもわからない小中高あたりから大きな目標を立てる事はやはり難しい。

最初は本当に小さい好奇心でいい。その好奇心のまま、行動することで道が開けてくる。自分の場合で言えば、「小さい環境下での優越感獲得」や「グラフィックデザイン、なんとなく楽しそう」だ。褒められた動機ではない。

だが、大学4年のあの時、教授から諭されなければ、自分は今もなお気がつかなかっただろう。目標は環境から得られるものではない。そして環境が自らを引っ張り上げてくれるわけでもない。

目標は小さな好奇心から、大きなものにしていけばいい。目標に対峙する前に環境を整える必要があるのであれば、希望する環境を取得するための価値観や能力、知識が必要だということも忘れてはいけない。環境は望むだけでは手に入らない。

まずは小さいことから始めよう。本を読もう。絵を描こう。勉強しよう。運動しよう。やりたいと思ったら大きなことではなく、自分の中での最小単位から始めること。それが長く続けられる秘訣なのかもしれない。

■今日のオススメ本

とはいえ、お金はやっぱり大事。
早いうちにお金について勉強するともっと選択肢が広がる気がするので、
こちらをオススメ本として今日は終わり。

お金の仕組みについて、小中学生でもわかるように書かれた良書。
お金をどうやって手に入れるのか。中学校のクラブ活動を舞台に、
おカネの教室が開かれる。

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