もうだめだ

私の心の奥底にはいつも憎悪が潜んでいる
元気な時、そいつは頭まで布団をかぶってすやすやと眠っている
落ち込んだ時、そいつは暴れ出す

私にとって、生活習慣が一度乱れるとなかなか直すのは大変だ
昼頃に起きて、朝食を昼に食べて、ぼんやりしている間に眠ってしまって、
目が覚めると外は暗くなっていて、絶望する
目が覚めてからも、ベッドの上でぼんやりとスマホを触ったりするから、気づくと1時間経っている、なんてこともざらにある
重い腰を上げて晩御飯の支度をし、食事を済ませると幾分か気持ちは晴れるのだが、問題はその後。風呂だ。

風呂に入るのはなんでこんなにも苦痛なのだろう、いや風呂自体に罪はない。風呂に入れば気持ちがいい。湯船に浸かって湯気を身に纏う時間が私は好きだ。それなのに、なぜ風呂に入るまでがしんどいんだろう。

そうこうしているうちに日付が変わり、2時、3時、4時・・・と、時間は過ぎていく。
そんな生活を3日から4日ほど続けないと、「これじゃだめだ」と思えないらしく、なかなか元の生活リズムには戻れない。

これが諸悪の根源である。

生活習慣が乱れてしまうことに対し、私はひどく苦痛を覚える。同時に、自己嫌悪にも陥る。なぜ午前中にセットしたアラームで起きられないのか。なぜベッドの上で何時間もスマホを触ってしまうのか。なぜ朝食の後にベッドに入ってしまうのか。なんで風呂に入れないのか。
なんてダメな人間なんだ、私は。普通の人ならできることが、できない。できる日もあるが、できない日の方が圧倒的に多い。
そうやって負の連鎖に雁字搦めになると、憎悪がそっと目を覚ます。
おれの出番だと言わんばかりに、そいつは動き始める。

ああ、憎い、自粛期間から彼氏とずっと一緒に暮らしているあの女が憎い、私が欲しいと思ったものをいとも容易く手に入れるあの女が憎い、身内の愚痴を身内に言いふらすような性格なのに周りに人が集っているあの女が憎い、家族からも彼氏からもあふれんばかりの愛情を受けているあの女が憎い、憎い、満たされている人間が憎くてたまらない、真っ当な愛に満ちた人間が憎くてたまらない、なぜ私はいつまでも空虚なのか、恋人ができて一年2ヶ月が経ったのに、私はなぜいつまでも満たされないのか。愛がわからない。親からそれなりに愛されて育ったはずだが、思い返してみると正直愛というよりは執着のようにも思える気持ちを押し付けられていたような気がする。期待を一心に背負わされる苦しみから逃れたくてたまらなかった。「愛しているよ」「大好きだよ」と親が最後に言ったのはいつだろうか。私は果たして愛されていたのだろうか。生きててよかったんだろうか。兄より何もかも劣っている私は生まれてきてよかったんだろうか。私はなんのために生きているのだろうか。「自分のためだよ」「生きる目的なんて誰にもわからないよ」「生きてちゃダメな人なんていないんだよ」綺麗事なんて思ってなくたって言えるんだよ、口から出まかせって知ってるか。それにそんなこと私だってわかってる。死にたいというわけではない。好きなアーティストのライブには行きたいし、就職して一人暮らしを充実させたい。将来への希望はまだ見失っていない。だけど、それでも「しにたい」と口をついて出てしまうのはなんでだろう。やり直したいだけなのか。やり直したいな。でもやり直したって結局同じこと繰り返すんだろうなどうせ私のことだから。

根本的に自己肯定感が低い。認めてもらった経験が薄い。60点をとってしまった科目の試験を次の試験では97点くらいまで伸ばしたことがある。親にそれを報告した時、「なんで3点落としたの?」と厳しい口調で言われたことを私はきっと一生忘れないだろう。なぜ落としたところにしか目を向けてくれないんだろう。なぜそこまで完璧を求めるんだろう。私は兄とは違うのに。いつかの通知表か何かに「兄と比べられるのは違うと思う」といった旨のことを先生に伝えていたようだが、結局無意識のうちに比べてたんだよ。

成功体験が欲しかった。私は高校入試も大学入試も実質失敗している。受験戦争に打ち勝つメンタルを持ち合わせていなかった。有名国公立大学に合格し、一流企業に就職している兄とは雲泥の差。文理が違う時点で同じ土俵でないことは分かっているが、どうしたって比べてしまう。刷り込まれている。運動もダメだった、兄とは違って。人にも恵まれなかった、兄とは違って。小学校でも中学校でも高校でも私は女子グループから一人外される経験をしていた。自分の思うままに振る舞った結果仲が良かったはずの人が離れていくのを何度も見た。大学に入ってからも同じようなことがあった。私は何を改めて我慢しなければならないのだろうといまだに疑問が消えない。やってしまったことは消せないから、もう過去はないものと考えて、少しずつ行動を改めればいいのだろうか。
何度も試みた。それでも何度も失敗した。取り繕うのがあまりにも下手だった。嘘がつけない。自分の性格を隠すことができないむしろ「私はこういう人間なのだ、理解してくれよ」と世界の中心で叫んでしまう。そりゃあ他人からすれば「知らねえよ黙ってろようるせえな」だろうな。

いわゆる「承認欲求」が高いのだ。SNSに自撮りをあげるタイプでは全くないが、「分かって欲しい」「見て欲しい」「認めて欲しい」と、いつもいつもいつもいつもいつも思っている。私はこういう人間なのです!こういう考えを持っているのです!どうぞよしなに!と拡声器を持って街頭演説をSNS上で繰り広げているようなものだ。その承認欲求に任せて愚痴をこぼすことも多々ある。が、多々あり過ぎて誰も相手をしてくれなくなった。もともと相手してくれてたかどうかもわからないが、少なくとも今現在、愚痴を言ったところで心配してくれる人など一人もいない。まさにかまってちゃんだ。気色が悪い。そりゃ忌避される。私だって嫌だもん、身近にそんな奴いたら。これは同族嫌悪なのか?

認めてほしいというわりにはこれと言った行動も起こさない私も悪いのか。ああ結局私が悪いのか自業自得因果応報なのかそうなのかそうなのかそうなのか誰かそうじゃないと言ってくれないか?このままでは私は救われない、誰も私を救ってくれない、憎悪に襲われたまま死んでしまう。私はどうすれば楽になれるのか?恋人にも頼れない、友達に突然愚痴のLINEなんて送れない。迷惑だろ、こんな話聞かされたって。

恋人は、以前私が愚痴っている中で「しねばいいのに」とこぼしてしまったのを聞き、「そんなこと言う人だと思わなかった」と私に告げた。

知らねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!

母親からの優秀な子に育って欲しいと言う期待に応えきれず東京に逃げてきた私にこれ以上無駄な期待を寄せないでくれ、理想を押し付けないでくれないか。勝手に理想像作って現実と違うからって幻滅しないでくれ、それこそただの自業自得だよ、アイドルはうんこしない的なさ…じゃねえんだよアイドルもうんこするしジャニーズにもち○こはついてんだよ

私にもち○こがついてればもう少し楽に生きられたんだろうか
憎悪と暮らさなくても済んだんだろうか
非常に生きづらい。生きづらい。誰かに頼ることもできない。SOSは出しているのに。いつだってしんどいときはしんどいと、発信しているのに、見て見ぬふりをされている感覚。なきものとされている感覚。疎外感。孤独。そいつらが全部溜まって、憎悪となって、私の心に住み着いたのか。

誰も私なんかに興味ないんだ。興味ない人のSOSは、届かないのか。

私のことを知りたいと言ってくれる人はどこにいるだろうか。あんなやつしねばいいのにと言う私と一緒にほんとだよ、しねばいいのになそんなやつって言ってくれる人はこれから先現れるだろうか。

寝る

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