今年のまとめ

少し早いが自分にとって今年がどういう年であったのか、ゆる~く総括をしてみたいと思う(自分のために)。

この世には、地・火・水・気(空間)という聖なる四大元素があると言われている。そのため、四大元素になぞらえて4つに分けてまとめてみたい。

●一つ目は、世間の出来事。
何と言っても今年はコロナウイルスの年であった。今年がこんなウイルス感染症の年になるとは誰が予想できただろうか。しかし、100年単位で歴史を眺めれば新種のウイルスが流行する現象は珍しくないのかもしれない。とは言っても、個人的にはインフルエンザに罹患しても腰が痛くなったり、背中がヒリヒリしたりと毎年つらい思いをするので、できればコロナには罹患したくない。回避手段としては手洗い、うがい、3密を避ける等の手段しかないだろう。電車などの密な場所では自分を守るためにマスクが欠かせない。
また、緊急事態宣言中には学校が休校になり子供が家にずっといる状態になった。世間では子供と親密になったという意見もあれば、親に負担が重くのしかかりストレスになったという意見もあった。自分の場合は子供が時間を気にせず深夜までゲームをしている事が多かったので、かなりストレスになっていた。腹が立って夜11時頃に家のWi-Fiを突然ブチッと切ってやったことが何回かあり、喧嘩にもなった。

●2つ目は、お金と働くことについて
1つ目に関連するが、今年はコロナ関連で失業した人も多いだろう。自分の場合はコロナが理由ではないが、意図的に収入を得るための仕事をしていなかった。スピリチュアル的な視点でお金の流れをみるための実験であったと考えることもできるし、自分が何をしたいのか心から自然と湧きあがってくるのを待っていたともいえる。
結果的に何となく自分が何をしたいのか方向性は分かった気がするのだが、現時点ではそれは直接お金に結びつく事ではない気がする。そのため、今年は何度もお金が底をついた。お金がなくなる度にギリギリのところで何とかなった。しかし、自分はお金が無くなりそうになる度に不安な日々を過ごすことが嫌になった。たとえ今度もギリギリのところで何とかなるかもしれないとしても、もうそういう生活は嫌になってきた。例え自分以外の家族が違う考え方だったとしても。貯金をする余裕がないのは会社勤めをしていた頃もそうだったので仕方ないのだが、家計がマイナスになるのはなるべく避けたい。
お金が無くなったことで良かったことは、毎月の支出を見直す機会になったことだ。こういう状況にでもならない限り、妻と子供達は支出を見直すという概念をほとんど持ち合わせていない。支出を見直すことに消極的なのだ。特に子供達。だからいっそ、電気代を滞納して電気が止まればゲームやスマホも出来なくなるから、それも良いかもなぁなんて考えたこともある。しかし、風呂に入れなくなったり料理が作れなくなるのは困るから、さすがにそれは出来なかった。また、その考え方自体も古いかもしれないと思った。あと、スマホ代を見直したり生命保険を解約したりしたが、さすがに家を売るのは無理だなぁ。うちの場合は売却したとしても、たいした金額にはならないだろう。
うちの家族は世間と比べてお金を気にしないほうなのかなぁ。家計簿もつけてないし。でもそれも仕方がないのかもしれない。そもそも贅沢な暮らしなんてしていないのだから、最低限の食事やネット配信等の娯楽の楽しみは失いたくない。
だから来年は働く予定だ。自分は元々働くのが嫌いな訳ではない。自分にとって適性の無い場所で働き続けるのと、人間関係などの過度なストレスが続くのが嫌なだけだ。自分にとっての過度な負担が少し和らぐだけでもだいぶ違ってくる。人によって、それは肉体的な負担の事かもしれないし、精神的な負担を指しているのかもしれない。自分はできれば肉体的に少しきつくても精神的には楽な仕事をしたいと今は思っている。
おそらく最初はオンラインで出来る仕事ではなく、勤務場所に出社することになる仕事に就くだろう。勤務場所も今までとは全然違う場所になるだろうし、通勤時間も長くなるだろう。これも自分の人生の中での1つの実験と言える。しばらくは短期、長期の仕事を転々とするかもしれない。そして、職場での人との出会いもあるが、ほとんどが親しくならずに仕事上の関係だけで終わるだろう。そこは煩わしい人付き合いが嫌いな自分には合っているのかもしれない。でも、そんな仕事だけでこの先も生活してゆけるのか、かなり不安はあるが。
ここで自分達の親の世代を考えてみると、世間の親たちの世代も似たような体験をしていた事に気づかされる。倒産やリストラ、配置転換。また、健康保険や厚生年金に加入していない多くの零細企業の存在。そういう時代を生きてきた親たちの世代を思うと、自分達世代も親たちと似たような体験をしているのだと考えることもできる。少なくとも見かけの上では。現在は社会保険に従業員を加入させない企業は少なくなったかもしれないが、逆に大手企業などは1ヶ月未満の短期契約を継続して募集することによって、雇用された人を社会保険に加入させなくて済むように考えているのかもしれない。

●3つ目は、人間関係とプライベートについて
いわゆる自分の日常生活での人間関係について。今年は家族以外の人達との交流はほとんど無かった。これもコロナの影響も大きいとは思うが、元々が出不精の性格なので積極的に人と交流することはなかった。また、自分が仕事をしていなかった事は人付き合いにはあまり影響がない。よほど親しい関係にならない限りは会社の人とプライベートで会うことはしないからだ。
しかし、今後は違ってくるだろう。人との出会いで動きがある気がしている。ごく限られた人数だと思うのだが、その人達が自分にとって親しい人達、もしくはもっと親しい人達に変化するのかもしれない。あるいは新しい出会いなのかもしれない。今はまだ詳しいことは分からない。
そして、出不精とは言っても自分の興味のある場所には今後も出かけたい。Go-toキャンペーンは一度も利用できていない。そもそも手元にお金が無いからだ。しかしコロナが再度落ち着いたタイミングにお金があれば、その時は出かけてみたいと思う。その時に行きたい場所があれば。今のところは訪れたい場所が無いのだが。
その他のプライベート面でいうと、久しぶりにゲームを楽しんだ。プレステ4でドラクエ11、ニンテンドー3DSでドラクエ7を楽しんだ。動画配信サービスで昔のアニメやリアリティ番組等を観た。ゲーム実況のYoutubeの配信を楽しんだ。また、おもしろい本や小説と出会った。購入したものの、まだ読んでいない複数のジャンルの本や小説もたくさんあるので、今後も読んでいきたい。

●4つ目は精神面(スピリチュアル的観点)について
スピリチュアル的な観点から自分の状態を振り返ると、何やらエネルギー的にうねっていた1年間だったと思う。そして愛についても考えさせられた。他人への愛、家族への愛。愛は全てを超越するものであるが、ここは天国ではなく人間の住む3次元世界なので、愛による喜びだけでなく苦しみも同時に味わう。物事は思ったとおりに順調には進まない。むしろ苦しみを味わう。それでも愛を無視することは出来ないのだろう。
そして世の中の物事は矛盾している。意図した事と、それとは真逆の事が同時に発生してしまう事がよくある。なぜだろうか。おそらくはエネルギー的にみると物事はらせん状に進んでいくからだ。そうした動きの影響で矛盾が生じる。回転して進むにはうねりが必要だ。円を描くように動くので意図した起点から出発して円を描くように回転すると、真逆の場所も通過する必要があるのだ。陰と陽。陰陽道の陰と陽が絶えず螺旋を描いて立体的に上昇しているイメージだ。立体駐車場の円形のスロープみたいな感じかもしれない。あるいはDNAの螺旋形状。そういう感覚が自分の頭に浮かんだ。
そして人間の日々の生活には選択の機会が提供されている。出来事に対してどのような感情で反応をするのかという選択だ。怒りや対立で反応するのか、愛や寛容で反応するのか。今年に自分が出会った世の中の出来事、特にニュースで見たアメリカの選挙などは対立、分断をみせてくれた。日本でもコロナ渦で自粛警察による問題が発生した。その国の文化面を通して表面化した出来事は自分に何を見せてくれたのだろうか。この出来事の表層下、意識の深層から影響を及ぼしている巨大な見えない力は何であろうか。
愛、矛盾、螺旋、感情。気楽な日々と不安な日々。今年はエネルギー的にもいろいろと体験させられた年であった。

●感想
正直、今年は精神的にも肉体的にも予想外に疲れたというのが今の感想だ。もっとお気楽な状態で終わるのかと思っていたが、意外にも疲れた。それは意識の表層的な部分と深層的な部分の両方で変化が起きたからだろう。いや様々に悩み考えた末に結果的に変化が起きたのだろう。それは激しい変化ではなく精妙な変化と呼べるのかもしれない。
今後はプライベートな事はなるべくnoteには書かないでおこうと思っている。それは働くことによって書く時間も気力も減ることが予想されるのと、実際に人と会う事によって交流することを優先させるだろうからだ。おそらくだが。
そして今後も見えない存在達、精霊や神々、天使、その他の非物質存在達との交流を模索するだろう。宇宙での非物質探索も試みたいと思っている。一体自分は何者なのか。その答えを探し続ける。気負わずに気ままに行う予定だ。ひっそりと続けようかなぁ。
来年はどうなるか分からないから、書きたいことが頭に浮かんだら今のうちになるべく多く投稿しておこうと思っている。


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