新しい日本国憲法を作る

戦後GHQによってわずか1週間ほどで作られた即席の憲法。日本が再び戦争をしないようにさせる為の憲法であった。臨時の憲法。やがて日本人はみずから憲法を作り直すだろう…GHQですらそう思っていたと言われている。しかし日本人は変更しなかった。そのまま教科書で教えられ続け採用し続けた。たしかに戦争の記憶を忘却し決別し現実から離れて癒しの為に一時的に生まれ変わったかのような錯覚に陥るには良い憲法であった。だがもう変わらなければいけない時期にきている。このままだと国際化、平和という単なる言葉のまやかしの名のもとに本来の日本の強さ、たおやかさ、思いやりの心、慎ましい様、知恵、大地の恩恵、気品、水、空気、精霊、エネルギー、しなやかさ、防衛の力、表現の力、科学力、化学力、古典、創造性、想像性、柔軟さ….こういったものを失ってしまう。

この国に生まれたことを幸せと思えるように、日本の大地と空と海を感じ意思疎通し、そこに見えない存在を感じ、人間だけではなく同時に存在する自然界、神々と非物質体と共存し、国を作ってゆけるように。

この国が神々によって作られたのであるならば、それも序文に入れるように。

ところで何故、日本人は憲法を変更しなかったのだろうか。
それには個人的には以下の理由が考えられる。

・戦争の記憶
憲法改正と言われると9条の改正と結びついてしまう。そして再び日本が戦争をしてしまう。政治家は9条を改正して戦争をさせようとしている….
そう不安になるのは最もだと思う。自分でもそう思う。それは同時に軍部の台頭するイメージが強くなり、昔の学校の暴力的な教師のイメージも連想されてしまう。そして暴力によるいじめ、会社の上司のパワハラ、威張る老人。そういったものまで芋づる式に連想させてしまうのだ。その時期を経験した大人は特に。
また、戦争は走り出したら止まらない。それもその通りだと思う。だから日本軍も当初は優秀な人達がいたのに、次第に戦死し人材が乏しくなり、物量で勝るアメリカに勝てないと分かっていてもジリ貧になっても、最後は無謀な戦い方になってしまった。それが良かったのか悪かったのかは自分は評価はできない。戦った人達は純粋に日本の為に戦ったのかもしれないし、嫌々ながら戦った人もいるだろうし、騙されたと思って戦った人もいるだろう。それはもう今の時代を生きる自分は良いか悪いか判断したくない。

・米国に頼る姿勢
アメリカに支配されているようだが、実は賢い日本はアメリカを利用して日本を守らせているという考え方。地政学的、政治的な戦略においてこれが正しいのか誤っているのかという問題よりも、日本人としてのエネルギー的にこれはとても不健康であると感じる。戦争が良い悪いの話ではなく、日本人のメンタルの健康面の状態からしてエネルギー的に実に不健康な姿勢だ。美しい自分たちの国を自分たちで守るという誇りと尊厳が失われた状態、健康な男性性のエネルギーの欠如。
防衛に関しては当面の間、アメリカと連携するとしても日本人の建設的な心を取り戻す必要がある。それは逆を言えばさらに意味のない戦争をしない、侵略をするという戦争をしないという方向、姿勢へ日本を導いてくれる。
逆に本当の独立国として日本は政治的、戦略的にこう考えているというメッセージをアジア諸外国に伝える事ができる。それは従来と同じ内容だとしても微妙な変化を各国に与えるだろう。日本は真の意味で独立したのだと。

・左翼?中国や米国の影響?
これは自分として感じる事、情報としては不確かな部分もあるのではっきりとは言えないが、火の無いところに煙はたたない。新聞やメディアという強い影響力によってある程度操作された面は否定できないのかもしれない。

・現在の憲法が平和憲法だから
自分は今の憲法を見直したことがない。覚えているのは基本三原則があるという記憶だけ。基本的人権の尊重、平和主義、あと一つは何だっけ?国民主権?
あとは非核三原則。これは憲法ではないか。。。持たず作らず持ち込ませず、だったかな。
平和な憲法であるのだろう、という認識はあるのだが興味を持てない。なぜならそこに熱意と血が通っている気がしないからだ。

・砂上の楼閣のようなイメージしかない。
どんな憲法になってしまうか分からない、でも自分たちで作ってみよう、より良い国になるように、本当の人間として豊かに暮らせるように、皆で作っていこう、そのような意思の結晶の結果、誕生した憲法ではないからだ。
あらゆる日本の良い部分を守り、家族を作り、誰もがそれなりに豊かに暮らし、本当の意味で諸外国と協調する。
結果的に今とほとんど同じ内容になってしまうかもしれない。それでも今一度見直したという成果は大きい。それに、そろそろ再度見直してみるという姿勢が今の時期に必要な気がしている。

・天皇が象徴では無くなってしまう。
また天皇が政治に関与するのではないか?という漠然とした不安。戦争で天皇万歳と叫んで戦争で突撃してしまうのではないか、精神論に偏り論理的思考が失われてしまうのではないか?という不安。
しかしこれは一部の国民が天皇を尊敬した為に行った行為であって、国民にそういった思想が強制されるという事はないだろう。あるとすれば自発的な思想の行為だ。それに戦時中の天皇がどれほど国民を思っていたか。現在の天皇もそうであるが、その人柄を知ればそのような心配は感じられない。
心配なのは天皇を利用しようとする者が現れる事で、そうした者が権力を持たないような制度を作る必要があるかもしれない。
天皇家は他の世界の国々に例のない日本の権威ある存在であり、ここまで続いている王室は他の国には無いのだから大切にしなければならない。どんな政治家であっても一線を画す必要がある。

きっと今の憲法が全て悪いわけではない。内容が全て悪い訳ではない。
悪いのではなく中身が空っぽなのだ。意味が無いのだ。
綺麗に見える文章が並んでいるだけなのだ。
さらに、ほとんどの国民、庶民が作成に携わった事がなく、関心もなく、意味があると感じていない。
作るなら今の時代も反映した憲法を。コロナもそうだが、その前のいくつかの大地震、温暖化、そして戦争。時代は変化したし人々の意識も変化した。
直近だと猛暑、コメ不足。助け合う日本人という印象があったが、また東日本大震災の時と同様今回も水や米の買い占めがおきた。老若男女含めた大きな単位での日本人全体で考えると日本人だから皆が助けてくれるという考えは、孤立してしまった場合には当てはまらない。家族や親戚、何らかの小集団に属していればある程度は助け合える。しかし他人まで助ける余裕はほとんどの場合、皆持ち合わせていないのだ。
しかし現在は核家族が当たり前で資本主義社会の中に生きており、物価高、円安の世界にいる。そしていつの時代も買い占める人物は現れるし、必要があって結果的にそうなっている場合もあるかもしれない。
その為、そういった状況を批判する前にこの状況が再度起こった時にどう日本人としてどう対処すべきか、せめて考える事ができる心を持てる日本人になれるように、これから先も国民同士が建設的な良好な関係を保てる方向に進めるように、内容を盛り込んでいく必要がある。

上記は今の時代を反映した現実の日本人の一例だが、時代を反映させるといっても、内容は普遍的である必要がある。
作る人によって都度、コロコロと解釈が変わって単なる法律になってしまっても困る。

そこで何が大切になるのだろうか。それはやはり、最初の文章で述べたように本来持っている日本人の心を失わずに西洋文明と折り合いをつける事。
昔から存在していた心の状態を表現し続けること。
そして会社に勤めていれば今や外資系の会社も多く、派遣などの雇用形態も広がり、昔のように終身雇用も崩れているのだから、現実を無視した理想主義は通用しない。
現実の生活もある。
しかし、心の奥底に憲法に掲げられた理念が眠っていれば、できれば宿し育んでいれば、それがあるのと無いのとでは雲泥の差がある。
国の方針、選挙、生きがい、幸福度、信頼。そういった分野を高めていくことにつながる。
そして、何より公共の場や家庭での醜い所業、言動、思いやりの欠如、そういった事を無くしていく事になる。
そしていつか西洋と折り合いをつけざるを得なかった風習、制度も日本文化と相いれない悪い箇所があれば、是正し正していくことが出来るはずだ。

日本の自然、風土、歴史、文化、風習…
日本人が日本である為に守られてきたもの
豊かな心
相手を思いやる心
豊かな水、土、空気
自然界から学ぶ数学、創造性
想像力、積み重ねてきた神話
神道
禁止された靈気(レイキ)

全てにおいて戦後にマッカーサーが日本潰しのために施し、もしくは仕掛けた戦略を知り、取り戻す必要がある。
特に大きな分野だと、天皇家崩壊のシナリオ、日本のキリスト教化、神道の消滅化、死者への考え方の否定(靖国神社への否定)、日本の文字への干渉、簡略化。

本来、日本人はお金で全てを左右される人種ではない。相手を切り捨て見捨てるような民族でも無いはずだ。
そして自分たちの国を自分たちで守るのは当たり前である。どこの国も皆そうする。それは自分の家族を守るのが当たり前なのと同じである。親が子供を守りたいと思うのが当然であるのと同じように。
まるで日本が世界平和の象徴であるかのように位置づけて、錯覚させて、国を愛し慈しむ心を日本国民から失わせようと画策したのはGHQである。

自分は過去にスピリチュアルをはじめとする様々な分野を投稿してきた。今やほとんど読み返す事もしていない。最初はシンプルなオカルトや不思議な事、古代の文明、宇宙存在への興味があった。それは今も変わらない。しかし、同時にノンフィクション作品にも興味があり超現実主義な一面も持っている。
そして大切なのはどちらの世界でも人々が、あらゆる存在が独自の輝きを放って互いを認め合い、活き活きと生きてゆくこと。
今の日本で子供が、若者が、大人がそれを出来ているだろうか。
生きがいを持っているだろうか。日本独自の発明が花開いているだろうか。
自分の国に誇りを持っているだろうか。
活き活きと暮らしているだろうか。
自分はそれらを感じて日本国民が生きているとはとても感じられない。日々、仕事で疲れて終わっている。同じことの繰り返し。会社では建設的な事や人間性を高める事、他国と協調することを目指して取り組みをしているかもしれない。しかし家に帰ればどうだろう。それらの事が生活の環境や家庭、家族にまで繋がっているだろうか。また格差による差別、希望の無さ。他人を思いやる心を会社から帰ってきても持ち合わせているだろうか。
親への態度、つながり、支援はどうだろうか。どれだけの人が金銭的にも思いやり的にも、言葉遣い的にも、余裕を持って実行できているだろうか。ほぼ出来ていないだろう。そんな余裕が無いからだ。

日本に漂う負の感情。閉塞感。労働の仕組みの格差や差別、税金増、手取り額の減少。経済的な分野に関しては確かに世界の影響を受ける。しかし、それすらもある根本的な土台があってもなお起きてしまった事なのか、ただ日本人が流されて漂っている結果の上に起きている事なのかで、まったく感じ方が違ってくるはずだ。
家庭の不満、親への不満、子供の問題、教育の問題、男女の問題、結婚の問題、お金の問題、会社の問題、社会の問題、政治の問題、心の問題、性の問題、農業の問題…
あらゆる日本の問題の根本に、たった数日で占領軍に作られた現在の日本国憲法の問題が存在していると感じるのだ。

自分自身が自分が興味を持つ分野の疑問や問題、興味を辿って、何か許せないものがある、何か根底に異常なものがある、存在していると感じてきたもの、その正体の一つは日本国憲法だった。

いつか、ファーストコンタクトが起こるだろう。宇宙文明との接触である。しかし、今の日本を宇宙連合の一員として迎え入れることは難しいだろう。
自主性、独立性が欠如してしまっているからだ。それは戦争をするという意味ではない。心の問題なのだ。
真の意味で自分の人生に責任を持つという事を今から学んでいく必要があるのだ。それは日本という国単位でも同じ事だ。そして誰かに自分の人生を預けるのではなく、日本を他国に全て預けるのではなく、自分達自身で豊かに発展させていこうとする精神が必要なのだ。

実現化のために
こうした事を実現する為に昔の生活スタイルに戻る必要はない。家族仲良く川の字で寝るとか、マンションをやめて一軒家に住んで核家族をやめて二世帯住宅にするとか、終身雇用に戻すとか、そんな事はもう無理だろうし、したくないだろう。やりたい人だけすればよい。ただ、もしかしたらいつか自然な形でそれに近いスタイルに戻る人はいるのかもしれない。
問題は形ではなく心の奥底の問題なのだ。
いつか家はドーム型の未来っぽい家になるかもしれない。人々はそこで共同体を作るかもしれない。地球型UFOを作るかもしれない。
そして、宇宙に出ても宇宙船の母船の中でも同じ心を持つことが出来る。それが大事だ。
日本を守る精神、日本人らしさを失わない、心を通い合わせる。さらに高めて他人の人生にそれを押し付けない。人々は選択する権利がある。
さらには外国人差別をしない、日本人の心をおごって見せつける、自慢するような事はしない。
根底に流れていれば自然と湧き出るものであるからだ。西洋のように権利を主張する必要もない。
そういったものを忘れずに未来までつむぎ、心に宿していきたい。


補足事項として
下記の補足事項は、今を生きる自分達にとって上記の事を適用するために生きる上で何かあらためる必要があるのではないのか?変更する必要があるのではないか?これは見直したほうが良いのではないのか?と疑問を持ったときの簡単な指針である。

かなり主観が入っている為、受け取りやすいように文体を丁寧語に変更します。

食べ物
今までどおり自由に食べれば良いと思います。ただし、国が勝手に米を減らすとか、逆にパンを増やすとか、操作するのは間違っている気がします。日本由来の食べ物はこらからも大事にしていきたいです。特に海産物や山のキノコとか山菜。

文化
今までどおり自由に。規制は必要ないと思われます。特に漫画は本と同様に貴重です。漫画の中にも日本人の中に眠る大切な精神が、そして新しい希望や夢、未来への発展となる精神が伝えられてきたからです。
また、地域のお祭りや花火は今後も残してゆきたいですね。
海外の文化だって自由に手に入れられるように。自分もアメリカをはじめとする海外のドラマや映画は好きですしね。
コメディ、アクション、SF、ホラー、国民にらあらゆるジャンルを自由に観る権利があります。
海外を真似た敷居の低い庶民レベルのパーティーを開催するのもいいし、ゲーセン感覚で遊べるカジノを作るのも良いかも。

倫理や性
大きな規制は必要ないでしょう。
性に関してはパートナー達がどういう形でお互いに関わってゆくかは本人達の自由だし、結婚してもどうするかは本人達の自由です。
いつになってもお互いに異性に惹かれ合うものです。時には奔放になっても良いでしょう。
アダルト動画や漫画、成人向け映画だって必要です。
ただし、何でもかんでも未成年者が観れてしまう環境には規制が必要です。
出会いに関しても、業者やサクラなど騙して金を利用者から搾取しようとする行為にも罰則強化が必要でしょう。
みんな男として女として出会い、気持ちよくなりたいのです。

防衛
とにかく日本を貶めたり、乗っ取ろう、攻撃しようとする海外勢力には毅然として立ち向かう事が必要です。武器やサイバー攻撃、偽情報による扇動、過去の歴史の蒸し返し、食文化の変更、水資源の奪取、領土への侵入等、いろいろとあります。
軍事面では全体的には日本は欧米人に比べて体型は小柄で内向的な性格が多い為、現在のところは影から支える、もしくは後方支援が向いているでしょう。
国の性格からして陽と陰に例えるならアメリカ軍は陽、日本軍は陰。積極的に海外で展開するのが得意な陽の国々にはそれを任せ、陰の国は自分達の得意な分野で貢献する。己を知り役割分担をするのも必要ですね。
そして、日本軍が海外で積極的に展開するにはその物理的な行動を支える精神的なサポートも必要です。つまり国内での支持が増えることと、その理解の醸成。そして肉体を持って戦う人達がいるという事はスピリチュアル的にもライトウォーリーアーとして非物質世界で戦う人もいるという事。ライトワーカーも影ながら支えるでしょう。それは、妻であり、彼女であり、家族であり、名前も知らない同じ国民の人達なのかもしれません。物理面と非物質面、その二つが連携しなければ上手くゆかないでしょう。

教育
日本の歴史
歴史の教科書に関して強調すべき事があるでしょう。日本の戦争の反省だけでなく、なぜ日本が戦争をしなければいけなかったのか?
そもそも戦争を始めたのはどこの国々なのか?
を必ず記入する必要があります。
遡れば戦国時代にはスペインやオランダが日本をキリスト教化しよう、植民地化しようと宣教師を送り込んできました。九州では女子供を奴隷として売買してバチカンなどへ輸送しました。ヨーロッパでは手錠をはめられた女子供がほぼ裸同然で売られていました。
もっと前には元寇の役で知られるモンゴル軍の日本への襲来がありました。長崎の壱岐島にはその時の様子が「妊婦の腹を割き、面白がり」と記述が残っています。
世界大戦の時も欧米諸国がアジアを植民地化し始めました。何もしなければ日本も同じ目にあう可能性がありました。
韓国もベトナムでは残虐な行為をしました。
ソ連は終戦後に南下して朝鮮半島に残っている日本人女性に暴行を繰り返しました。
中国は現在、アジアの他国へ蛮行を行っています。
そして日本はアジアで戦いましたが侵略と言われる事をしただけではなく、バングラデシュ、台湾からは感謝されました。
ロシアを破った際にはインドに勇気を与え独立へと導きました。いまでも感謝されています。アメリカで白人から迫害されていた黒人にも勇気を与えました。
何が言いたいのかと申しますと、日本だけが侵略行為を行ったと勘違いさせる記述や報道をやめ、同時に勇気をもらった国もあり、感謝もされている事も同時に伝えるべきなのです。そして日本が戦争を始めた訳ではありません。世界が始めたのです。
誰が悪いと言い始めたら切りがなく終わりません。
過去に日本だけが残虐行為を行ったかのような洗脳はやめるべきです。時代遅れです。
そして東京裁判でA級戦犯とされた人達は本当にそうなのか?正しく裁かれたのか?その人達の事を自分達はどれだけ知っているのか?A級はa級ではなくA級で正しいのか?

海外
日本を理解し、日本に誇りを持てるからこそ逆に海外を知りたい、海外の言語を知りたい、吸収して自分の人生に役立てたいと思えるのかもしれません。それはいずれは教育、文化的な側面で日本への貢献に繋がります。
そして国際的に海外諸外国へ貢献する、世界の平和・秩序へ貢献する姿勢も重要です。それは海外との連携が経済、軍事、安全面での日本の防衛にも繋がりますし、心の幸福度にも繋がってゆきます。
少しスピリチュアル寄りな話になりますが、ここは古くからの日本の課題、進化へのポイントでもあるでしょう。つまり島国なので普通に過ごしていると周囲から孤立しがちなのです。いくら日本が優れており、文化、教育、道徳面で進んでいる傾向があったとしても国内だけで成熟した後は停滞感が広がります。
今の日本の人口減少者や超高齢化はロボット産業の育成等で国内だけで解決する方法もあるかもしれませんが、海外へ助けを求める機会を与えられているのかもしれません。国内だけで完璧を求めて完結させる姿勢を改め、外国人を徐々に受け入れ調和を目指してゆく。もしかしたら円安によるInbound効果が高まっているこの時期は外国人に日本を知ってもらい、それを海外に持ち帰って活かしてもらう。知識、感覚、エネルギー的にも。そしてやがて再び来日してもらい日本に貢献してもらう。そういう変化、機会の時期なのかもしれません….
日本人はどうしても自己内で問題を解決しようとする傾向が強く出てしまいます。国民性ですね。裏を返せば自分たちは優れているし困難は自分たちで乗り越えられるはずだと固く信じているからだと言えます。しかし、過去の大きな戦争、原発事故、災害を考えてみれば自国だけで全てを解決しようとすると著しく困難を抱え、もしくは時間が掛かりすぎてしまう…そういう事もあるでしょう。
また、国内に滞在している外国人への感情も変化するかもしれません。国内しか見えておらず日本人だけの生活ですと社会、会社、日常生活は複雑化し高度化し、暇もなく、ストレスフルになります。見えない暗黙の了解、しきたり、精神論も増えてゆきます。それらは良い面もありますが、寛容さを失ってゆく事にもつながります。
海外への貢献、つながりが増えることによってプライドの高い日本人も我慢せずに海外諸国へ「助けて」と言って良いんだよと思えるようになるかもしれません。実際に助け、助けられ、そうした意識の変化が生まれた時に日本へ滞在する普通の外国人の人達へも寛容になれるのかもしれません。
日本の精神、文化、食、環境、天皇、風習…そうした中で誇りを持ち生きてゆく事も大事ですが、海外との連携を強め、受け入れ、世界標準、地球連合の意識を創造してゆく事が大事です。矛盾するようですが、それらの日本の要素の中で完全を目指し閉鎖的になると、いずれ築いたその固い壁にはひびが入ります。そうではなく、これからは地球政府防衛軍としてアメリカをはじめとする民主国家と連携してゆく事が必要なのでしょう。

家族
今やほとんどが共働き、そうでなくとも子供は主婦一人で面倒を見る核家族が主流であり、ほとんどの家庭がそういう生活スタイルです。これをいきなり親と同居しなきゃとか、介護で同居しなきゃとか、強制しても絶対に上手くいきません。
生活スタイルを変更するのか否かは本人達の自由意志に任されています。
大切なのは少しでもお互いを思いやる心です。
形は後から少しずつ付いてくるでしょう。

生活
一般的に日本人は真面目な人達が多いので、多くのことをここで言う必要は無いと思います。
あるとすれば、真面目になりすぎない事。厳格になりすぎない事。
楽しい事、ゲーム、こういった遊び心も必要です。
いや、辛い時、苦しい時こそ、遊びは重要で大切です。

経済
極端な円安、円高、株安、株高など、素人が考えても変だなと思う事には都度、手を打つ必要があるでしょう。
そして格差を無くす取り組みも必要です。終身雇用に戻れと言うつもりはありませんが、それならば絶えずセーフティネットを拡充すべきです。
そのような経済政策、雇用政策の過程を経るたびに、我々が失ったものは何だったのか気づき始めるかもしれません。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」 山本五十六
今、どれだけの会社が人を育てる為に上記の名言の内容を実行できる余裕を持っているのでしょうか。
能力によって差が出る事は仕方ありません。
それ以上仕事では能力を伸ばさずそのままが良いという人もいるでしょう。強制はできません。
人は違って当然だからです。しかし、人それぞれをその人なりに育ててゆく事は仕事を覚えさせるだけでなく、人として育ててゆく事にもつながり、日本の国づくり、人づくりにも繋がってゆくのです。
人に教える際に愛情があるか否か、その違いだと思うのです。
社会は国は、その余裕を作らせてあげる事も必要です。
そして効率化や生産性だけではなく、逆に精神論だけに偏る事なく、バランスを取る必要もあると思います。
さらに給与から税金が多く控除され、消費税も増税するというのであれば同時にセーフティネットを拡充する必要があります。収入が減れば外国人、日本人の犯罪も増えてきます。一定の収入世帯にはベーシックインカムも考えてゆく必要もあるでしょう。

心構え
どんな人にも優しい社会が理想ですが人としての分別やマナー、常識は必要です。最初は支援を施し手を差し伸べます。しかし、いくらやっても変わらない場合は配置転換、異動、見直し等の配慮が必要です。これは会社では一般的に分かりやすく、デリケートな問題ゆえに上手に対処してあげればよい事ですが、問題は社外での事です。例えば公的な場所、最近ではSNS等で弱者だから何でもして良いとか、何も考えずに結果的に人に迷惑をかける等の行為は注意されるべきでしょう。個別のケースによるので難しいですが一般的に社会の中で多くの人をイライラさせる行為というのがそれに該当する事でしょう。そういった場合にはその人に障害があるのか、そうでなければ問題を抱えているのか、専門家に任せる事も必要です。
また日本に住む外国人は日本の習慣を覚え、必死で適応する努力をして誠意をみせなければなりません。特に交通ルール、公共の場でのマナー、住居でのマナーを覚えましょう。

環境・医療
絶えず今を意識してゆく事も必要でしょう。10年前のエネルギー状態と同じ勢いで日本国憲法を作ってゆけるでしょうか。いや、無理でしょう。時代は常に変化しております。特に私たちはコロナという激変の時代を体験しました。敏感な人はワクチンを打つこと自体で体に影響を受けましたし、受けなくても周囲の人から漏れ出たエネルギーの影響を敏感に受けて体調を崩す人もいます。原因不明の病気を抱える人も増えたかもしれません。大人も子供も含めて。そんな体調不良になってしまった人達が多くいる世界の中で全員が昔と同じ勢いで物事を進めていく事自体が難しくなっているのかもしれません。
鬱やパニック症状、こういった症状を持ってしまった人達は徐々に社会に慣れていく必要があります。
そんな今という時代、働き方や生活の仕方を含めて変化、見直しを進める必要もあるのですから、憲法も柔軟に考えてゆく必要があります。
体、健康があってこその活動。それが守られない場合にはこの国を根底から見直す必要も出てくるかもしれません。


考慮すべき補足事項は他にもいろいろある事でしょう。
それは今後、自分たち一人一人が考えてゆけば良いと思います。

最後に
この文章を書いた一番の理由は危機感からです。日本が海外にやられてしまう。日本が日本でなくなってしまう、日本の大事なものが失われてしまう。そして日本を解体する為に占領軍に作られた日本国憲法を日本人はまだそのままにしている。日本のほうが海外より優れている点が多いのに、わざわざ日本にそぐわない海外の基準に物事のレベルや価値観を合わせて生活している。その結果、心に虚しさや無気力、失望が広がり将来に期待を持てなくなっている。実際に希望を持てない仕組みになっている。
国際化というのは海外に迎合する事ではなく、日本として自立した上での気品ある振る舞いを持ち、日本人としての自尊心や誇りをもって海外諸国同様に、それ以上に立ち振舞ってゆける事だと思うのです。
国造り、食、教育、文化、政治、海外との関係。どのような結果になったとしても、自覚しながら行った結果なのか、それとも日本人なのか何人なのか分からない状態と同じくらいに自尊心や日本への誇り、一体感が欠如した状態のまま流されるままに行った結果なのか。恐ろしいほどの差があります。
そして、未来への創造。
さらに皆で穏やかな心を持ち、同時に国や家族、大切な人を守る心を忘れないようにしたい。
これは海外から日本へ来て居住を始めた人にも当てはまります。


不足を感じる部分も出てくるとは思いますが、それは後で必要があれば変更、補足、誤字脱字の訂正を行う事にします。
憲法を変えて行くのには時間がかかるでしょう。だからまずは少しずつ意識から変えていきたい。そして2025年以降には見直しが始まって欲しい。物理的には無理でも意識の上で変化が起こりますように。
日本人が金銭の不足によって自由を奪われる事が無きように。
誰もがその人なりに必要最低限の生活を送れますように。
子育て世代にはあらゆる面で見守りがありますように。
60歳以上には過度な労働をしなくても必要最低限の人間らしい生活ができますように。介護が充実しますように。
日本に心優しい人々が暮らし、豊かで幸せに暮らせますように。
海外の良い面は取り入れて柔軟な国づくりができますように。

日本国憲法を作る作業は作物を作る作業に似ているかもしれません。豊かな土壌を作り、種をまき、小さな芽が出て膨らんで、成長する。
日本で育ち、後の人々を豊かにしてゆく素晴らしい作物となる日本国憲法を一人一人の意識の中で少しずつ作り始めましょう。



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