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母乳がたくさん出るのに、あげるのをやめた話

2150g、44cm。分娩時間は4時間3分。
今から7年前。私は男の子を出産しました。
身近に子どもがいる人にとっては「え…。」と感じるかもしれません。

切迫早産で安定期を過ぎても寝たきりで
予定日より1ヶ月早く、息子低体重出生児として産まれました。

そんな息子が新生児だったときの話です。

3時間に1回無理やり起こす生活

新生児は3時間に1回のサイクルで、母乳やミルクを与えます。

当然、私も世の中のお母さん達と同じように3時間に1回を目安に。

朝も昼も夜も、変わらず与えていました。

でも、1つだけ違ったのは

必ず3時間に1回、タイマーをセットしてあげること。
眠っていても、起こすこと。
飲んでいる途中で眠ってしまっても起こすことでした。

保健師さんが納得するまで、この生活は続きました。

たった2150gしかなかった息子に与えられた、試練でもありました。

私の息子は、低体重出生児でありながらも力強く泣き

肺機能もしっかりしていたため、保育器にいれてもらえなかったんです。

”3時間に1回””絶対のばしてはいけない””必ず起こして””お母さんも絶対寝過ごしてはいけない”

これが、当時25歳の私には、とてもプレッシャーでした。

初産だったのですが、4時間3分で分娩し、陣痛も痛いと思わず。マッサージをしなくても、母乳もすぐ出ました。

いわゆる”ど安産!”でしょう。

保健師さんからは「お母さんの育て方が悪い」

保健師さんにはよくこう言われていました。

お母さんの育て方が悪い。母乳の量たりてないんじゃないの?
間隔見直したら?吐いても飲ませるの。飲まないと大きくならないから

息子は体力がなく、たった10ml飲むのも途中で力尽きて眠ってしまう。

吐き戻しも多く、体重は一向に増えませんでした。

市の健診で診てくださった保健師さんからは、痛烈な一言を毎回いわれていました。

子育てが辛いなんて、思ったことはありません。

それは、小学生になった今でもそうです。
でも、1つだけ私にとってストレスだったことがあります。

それが、母乳をあげることだったんです。

母乳をあげるのが何より辛かった

母親失格かもしれません。

私は、よくお母さん達が
「母乳をあげる時間が何より愛おしい」

これがわかりませんでした。情けない話です。

赤ちゃんはとても小さいのですが
吸う力が強く、痛い。

お口をいっぱい開けて、かぶりつくように吸うんです。

乳首がちぎれることもあります。

3時間に1回、必ずタイマーを測ってあげなければならない生活。

日に日に強くなる息子の力が、痛くてたまらなかったんです。

搾乳ですら、耐えられなかった。

体重は増えない。乳首は痛い。育て方が悪いと言われ続ける。

疲れとストレスがたまっていたのでしょうね。
母乳をあげるのが、何より辛くなっていました。

主人の一言が考え方を一新させた

そんな生活が何ヶ月も続き、疲れきっていたんでしょうね。

主人が突然言ったんです。

もうやめよう。母乳やめよう。

主人は、子育てに非常に協力的な人です。

1年間ですが、主人は私の育児日誌とは別に自分用に育児日誌をつけていました。

産婦人科でもらった、ミルクメーカーがくれたノートです。

時には書くことを忘れることもありました。

主人は電車の運転士。

当時は駅員さんでしたが、1度出勤すると次の日まで帰ってきません。

基本は、アパートで私と息子の2人生活。

それでも、おむつ替えの時間、ミルクの量、息子が何をしたのか?
1年間細かく書き続けていました。

そんな主人が言ったんです。

母乳じゃなくていいじゃん。ミルクの何がだめなんだよ。
男が唯一できないのは、母乳を出すことなんだよ。

俺がこいつのことだけを考えて、「今日は何ml飲めるかな?」「熱くないかな?」
「ちょっと10ml増やしてみようか」って考えながらミルク作って

一生懸命飲んでるこいつを抱っこしながら、目線外さず飲み切るまで見つめる。
母乳と変わらないくらいの愛情があるんだよ。それ以上かもしれない。
俺が家にいるときはいくらでも代わってあげる。
Chamちゃんがストレスになって、笑顔がなくなるのが何よりいけないよ。

母乳の頻度を減らし、歯が生えたらやめた

母乳が出るのに、ミルクに変えた生活がスタートしました。

完全にミルクへ移行ではなく、混合にしたんです。
痛みが取れたらたら、母乳をあげる。
無理はしない。

たったそれだけで、私はとても楽でした。
もちろん言われましたとも。「経済的に余裕があるのね」って。

いいえ。ちっともありませんでした。
当時25歳。
20歳から働き始め、安定しないお給料をやりくりし3人でなんとか生活していました。

1ヶ月の食費9,000円なんて時もあったんです。
激安スーパーと家庭菜園の恩恵をダイレクトに受けていました。

お恥ずかしい話、息子のことを”かわいい”と思ったのは6ヶ月ほど経った頃です。

私の作った10倍がゆを、おくちいっぱい開けてぱくっと食べる姿。

今でも忘れません。

息子の母乳をやめたのは7ヶ月。
理由は「歯が生えたから」。

みんなちがって、みんないい。
それが私の家の子育てです。

そんな息子は小学2年生。
突発性発疹もせず、初めて熱をだしたのは2歳のとき。

アレルギーもなく、風邪もひかず、欠席0で1年生を修了しました。

そして、今日も元気に帰ってきましたとさ。

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