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なぜサラリーマンは満員電車で日経新聞を広げて読むのか

朝の通勤時間帯の電車で日経新聞を広げて読むサラリーマンがいる。決まって男である。スマホで新聞が読めるようになった今はさすがに数が減ったが、いなくなることはない。

端的に言うと邪魔である

東京の通勤ラッシュ並みではないが、関西でもこの時間帯は乗客が自由に動けるような空間ではなく、新聞を広げるのはどうも周囲への配慮が足りないような気がしてならない。新聞特有のペラペラとめくる音も朝から耳障りである。
かといって「今、こんなところで読まなくていいやん!」と正論を声を荒立てて叱責するようなことでもないため誰も指摘しない。

どうも僕の性格が歪んでいるのか日経新聞を読んでいる男の顔を見ていたら「俺って仕事ができる男だ」的な優越感に浸っているように見えてしまう。
先日、日本で働き始めて3年の外国人(米国)女性と話す機会があって、そのとき彼女がサラッとつぶやいたひと言が印象的だった。
「日本のビジネスマンって、忙しいフリをするのが上手よね笑」

まさにそのとおりである。このnoteでは何度かこのことについて指摘してきたが、サラリーマンのある一定の層は「忙しい」「時間がない」ことに対して美徳感を持っている。長時間働くことはその典型的な例で、忙しさは仕事のできる男を如実に表わして格好いいと勘違いしているのだ。

なぜこんな勘違いが生まれるか

学生時代を思い出してほしい。テストの時に頭の良いクラスメートは開始30分で問題を全て解き終わり、後半は机に伏して寝ていた。まるで脳のリミッターが外れたかのように一般人とは別次元でスラスラと問題をやってのけるのだ。学生時代は皆と同じことを時間的余裕をもって早く終わらせる人の方が優秀と見られていた。まさにやることやって寝ている姿は天才の象徴そのものだった。

しかし仕事は違う。多くの職場では、仕事のできるエース社員ほど沢山の仕事をふられて残業をする構図にある。すると「残業をしないで早く帰る社員は仕事ができない無能」の烙印が押されると社員は思っているのだ。

そうなると職場にだんだんと「帰りにくい雰囲気」ができあがって、できない社員は「フェイク残業」をすることになる。つまり「忙しさを演出するためのニセ残業」だ。 成果ではなく労働時間で評価される傾向のある職場では、こぞって長時間労働によるアピール合戦が顕著になるのだ。つまり忙しすぎて満員電車の通勤中にしか新聞を読む時間がないサラリーマンは、「できる男」の象徴なのである。

本当に日経新聞を読みたいのであれば、ネット配信で読めばいい。例えば日経新聞は紙と同じ構成の電子版を、毎日深夜3:30にアップしている。だから深夜でも早朝でも、自分の生活スタイルに合わせた好きなタイミングでタブレットを使って集中して新聞を読んで1日に備えることができるはずだ。また僕みたいに楽天証券の口座を持っていれば無料で日経新聞を読むことができる(メニュー→マーケット→日経テレコン)。
それを出勤時にかさばる新聞を「わざわざ」バッグに入れて朝の満員電車の通勤時間に「わざわざ」広げて読むのだ。

不特定多数の人に、日経新聞を読む「意識高い系会社員の俺を見てくれ!」、「隙間時間を使って新聞読んでるのだ!」とアピールしたくてたまらないのだ。そのことは、スポーツ新聞を読んでいるほぼ全てのサラリーマンが新聞を折り畳んでコソコソ読んでいることと対比してみればわかりやすい。スポーツ新聞は知性をひけらかすものではなく、むしろグラビアページや風俗情報などがあるので逆にそれを見ている姿をみられるのは気恥ずかしいのである。

一般的な感覚があれば仮に「できる男」を演じたくても、同時に「他人に迷惑をかけていないか」も考える。満員電車で新聞広げるなんて常識的に考えたら迷惑だって小学生にだってわかる。
しかし、ある程度社会人生活が長くなって、社内での立場が上がり、何か話せば人が笑ってくれるような状況に慣れてきてしまうと、さすがに対人関係の緊張感もなくなり「迷惑」の意識が薄れてきてしまうのだろう。

これを「老害」と呼ぶ。

「他人にどう思われても気にしない生き方」は我が道を行く強さでもある。しかし、その一方で、他人の感情への配慮を欠かさない「敏感力」もあれば、不用意に敵を作ることなく、他人に恨まれることもなく、人生を幸せに生きることができる可能性も上がるように思う。

俺ってスゴイ「オレトーク」

普段から日経新聞を電車内で広げて読んで「(オレを)見て!見て!」とするようなサラリーマンの発言を観察すると面白い。
「オレって詳しい(うんちく)」「 オレってすごい(自慢げに)」「どうせオレって(たまに自虐)」 

この3つを使い分ける。
たとえば一緒に野球を観戦している時、こんな会話はないだろうか。

同伴者「うわー、これチャンスだ!!」
オレ:「あぁ、ここでは意表をついてスクイズだろうな。サードが全く無警戒だし。ほら、監督からなんか複雑なサインが出ている。」
同伴者:「へぇ……。」
オレ:「俺も県大会準優勝投手で精神鍛えられてきたけど、ここでスクイズやられたら投手心理としてガックリくるもん。投手出身の監督だからそういうところついてくると思うよ。」
同伴者:「うわー打ったー!すげー。逆転したー。楽しいー。」
オレ:「…………あれ?してこなかった。いやぁ、それはないわ。たまたまうまくいったけど結果論だわ。俺みたいな凡人には理解できないってところか(笑)」
同伴者:「……(ちょっと黙っててもらってイイっすか)。」

同じようなことが「意識高い系」の店に行った時にもある。
店主「こちらの前菜三種盛りですが、このお肉はなんと一頭の牛から100gしかとれない部位となっておりまして・・・」
客「へぇ、珍しいんだ。すご~い。楽しみ~」
店主「それにこれは、2000年のヴィンテージ、フランスのロワール地方産赤ワインがとても合うので…」
客「・・・ワインも美味しそうですね」
店主「お肉をまず一口食されてから、そのままワインをふくんでいただくと・・・」
客「・・・・(ごめん、好きなように食べたい。ルールが細かい)」

人より多く見聞を広め、知識を蓄えていることは素晴らしことだが、聞かれてもいないのに雑学をとうとうと述べたり、長いうんちくを語ったり、それをひけらかすのは、聞く側はただただうっとうしいだけだ。

満員電車で日経新聞を広げて読むサラリーマンに捧ぐ

繰り返しになるが、出勤時にかさばる新聞を「わざわざ」バッグに入れて、朝の満員電車の通勤時間に「わざわざ」広げて読むのだ。

男にとって仕事や学歴、収入のことは、かなりプライドに直結することはたしかだ。これも男という生き物の本能なのかもしれないが勝ち負けや序列をとても気にする。
自分を良く見せたい願望は誰しもあるし、それが一概に悪いこととも言えない。こういう部分があるから、仕事を頑張られるという面はあると思う。しかし仕事は人生を豊かにする単なる手段にすぎないはずなのに、周囲から仕事で認められることが「目的」になっている人が男には多いように感じる。

とにかく人生の全てを仕事を中心にして考えている。だから小学生でも分かる「迷惑行為」を何とも思わず、新聞を読むことは仕事に関係することだから問題ないと麻痺して捉えてしまっているのだ。

「俺すごいでしょ!」
と自らアピールするより、淡々と実績を刻んでいくだけで周りが認めてしまうような、そういう人は誰からも妬まれることも嫌がられることもなく賞賛される。社会人になると「人に認められる機会」とか「褒めてもらう機会」は極端に減るけど、自分が人に認められる位置に駆け上がる時までじっと我慢して、試行錯誤を続けるのだ。腐らずに続けるのだ。努力は必ず報われるとは全く思わないけど、その時はきっとくる。

少なくとも僕はそれを信じてる。

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