見出し画像

なぜオッサンがドヤ顔で言う「部長になればわかる」というコトバは若モノの心に響かないのか


長女が次女に言う。
「おーちゃんもひらがな書けるようになったらサンタさんにお手紙だせるからね」

次女はそのコトバに納得してフムフムと頷く。

今度は次女が末っ子に言う
「自転車にノレるようになったら、私みたいに早く公園に行けるようになるからね。」

そうか。おねえちゃんの言うことなら間違いない。末っ子は嬉しそうにほほ笑む。

「わたしのほうが凄いのよ」
「あなたとは既に次元が違うのよ。」

おぉ、始まった、始まった。
こびとのマウンティング合戦。

「自分のスゴさを知らしめたい」
というプレゼンテーションを子どもながらに力強く、熱心に、勝ち気に、超絶上から目線で言う。

見ている分にははっきり言って、超絶かわいい。

ボクがSNSと葛藤したヒストリー

ぼくがブログに情熱を注いでいた2009年のことだ。

リアル友人やブログ仲間から言われた。

「TwitterやFacebookを始めてみたけど、これは新しいコミュニケーションツールとしてブログにとって代わるだろうよ。仕事の人脈作りにも役立つと思うな」

そして
「一緒にやろう」
と猛烈なラブコールを受けた。

しかし当時、SNSブームの草分け的存在であった「mixi」の栄枯盛衰をみていた僕は、これらのSNSは一過性のブームであると切り捨ててしまい、周りが次々とTwitter、Facebookを始める中で一人だけ全く始めずに、

「え?別にSNSとかどうでもいいっしょ。君らは分かっているようで、分かっていないな。結局はリアルだよ、リアル。リアルが大切なんだよ」

と良かれと思ってお誘いをしてくれた仲間を

「先輩ヅラしやがって」

と思い込むだけでなく、それよりも更に上に立とうとする上から目線で鼻糞をほじりながら、

「俺はマジでそういうの興味ねぇから。」

と入念に斜に構え、意味不明な思想を説き続けたのだ。

しかしいつになってもブームは衰退しない。

それどころかミュージシャン、芸能人がファンに向けて発信する場に留まらず、お堅いイメージの政治家、企業までもが戦略的に有効な活用を始めるなど、まさに世界レベルのコミュニケーションツールとして確立されたのだ。

あわわ・・・

こ、これは。
いよいよTwitterやfacebookをやっていないと仕事に影響でるぞ、会話についていけなくなるぞ、友達減るぞ、と危機を感じたタイミングで、結局、耐えきれなくなってとりあえずコッソリとfacebookを始めたのだ。

あれだけ「興味が無い」「必要が無い」と虚勢をはっておいてから、結局始める時の、あの恥ずかしさ。

「どの面さげて始めとんじゃ」
って思われるのも、
「え?見てみろよ。あいつだ、あいつ。未だにフォロワー数0かよ」

って旧友から遠目で見られるのも、それだけは絶対にイヤだ。

そんなクソにもならない謎のプライドだけは高かったので、

「実名登録」はするものの
「出身地」や「学歴」「生年月日」等の見つけられやすくなる情報は全て伏せ、シンプルにボクの名前を検索してくれたレアな誰か一人に見つけてもらってお声がかかることを姑息に期待する作戦に出たのだ。

そして見つかったらこう言おう。

「あ、登録だけして『見る専』で放置してたからさ。アハハ」

で押し通しながらフォロワーがポツリポツリつき始めたら、少しずつ本格的に、、、までのストーリーを夜な夜なつくりあげてから満を持してデビューしたのだ。

当然のことながらしばらくしても誰からも友達申請がこない。
「知り合いかも」に表示されて
「あ!あいつだ」
と思って友達申請したいけど、積極的に動くと、今更感の空気読めてない感が邪魔をする。

あの恥ずかしさ。
分かりますか?意地を張っていた分、恥ずかしさに拍車がかかってしまうコジらせ方の典型例。

そしてこちらから友達申請に動けば動いたで、「放置していたからフォロワー数ゼロ」という練りに練ったロジックが崩壊する。

あぁ、もう完全に詰んだ。

「いや、俺、別に興味ねぇし。」
「マジで興味ねぇから。」
「今の俺、知られたくないしさ。」

というスタンスで気取っていたものの、しかし実際のところは、めっちゃ興味ある。

みんなが引くぐらい興味ある。 
もしかしたら、調べ尽くした分、やってる連中よりもFacebookの使いこなし機能に詳しいかもしれない。いや、絶対に詳しい。
ツンツンと相手をイジるだけの「poke」の機能の存在すらも知っている。

結局、始めるタイミングが分からずモジモジしてしまったことで、ただただ楽しめるビッグウェーブを逃してしまったことに他ならないのだ。


というか、僕の斜に構えた人生。
このパターンはよく考えたら過去にいくらでもある。

noteの時も同じだった。

「ブログと違ってnoteはアクセス数に依存することなく収益をもたらせてくれるよ。文章力の維持向上にもなるし始めてみたら?」

数年前にそう声をかけてくれた過去のブログ仲間。

良いなぁ、書きたいなぁ、note良いなぁ、と思ってモノ凄い興味がありつつも最初のビッグウェーブに乗り遅れてしまったことにより、意地を張ることを決意。

「スキって毎回評価されるのもな。オレなんて万人には受け入れられないことを好き放題書く方が好きだし、そっちのが落ち着くわ」

って言いながらオヨオヨと指をくわえて見ることにしたら、noteの勢力はグングンと拡大を続けアクティブユーザー数が爆増。

ハシクレではあるが典型的なモノ書きの本性を持つ僕からすると、いくら何でも興味があり過ぎるしでいよいよ耐えきれなくなり、頭を抱えながらシレっと駆け込むことにした。

そこからはもう、世界が変わったのである。

2000文字以上で100日連続更新するわ、

note公式に取り上げてもらって喜びを隠しきれずに満面の笑顔でドヤった感じで記事にするわ、

フォローして頂いているフォロワーさんの記事へ唐突にコメントをしてまわるのを日課にするわ、

もう人の記事をニタニタしながら読むのも、エピソードを思い出しながら記事にするのもクソ面白くて既にライフワークと化してしまっているのだ。

最高。
至福の時間だ、ってね。

そういえば、今流行りの最中さなかにある音声プラットフォーム。

スタエフ

実は2ヶ月くらい前に、フォロワー数が1万人を超えるインスタグラマーさんからコラボ配信のお話を頂いた。

しかしながらその時はスタエフなんて全く存在も知らずに、

「え?このオレがラジオのパーソナリティ?」

「オレの話なんか、誰が聞くかよ笑」

「あっちはフォロワーに囲まれて、こっちはZEROで完全アウェイになると『誰コイツ』で、さすがに精神的にキツイっすわ」

いやぁ、ないないない。

と、全くワケが分からずに慌てふためいたあげくに、丁重にお断りしてしまい最初のビッグウェーブに乗り遅れてしまった。

結局、いつになってもオレという斜に構えるアホな男は負の歴史を繰り返してしまうのだ。

「何かを経験するべき」ということと、「お前はコレを経験していないから、説明しても分からないし、説明する気もない」ということは全く違う。

Facebookを経験すべき、noteを経験すべき、スタエフをコラボ配信しましょう

ここまで綴ってきた通り、これまでの人生を振り返ると先人からアドバイスを頂いても僕が斜に構えて意地になったことで、ビッグウェーブを逃してきたことが山ほどあった。

どうしようもないアホだ。
どアホだ。
あの時のオレをぶん殴ってやりたい。

でもでも。
少し話を変えよう。
このケースはどうだろうか。

独身の頃、
「お前も結婚すればわかる」
と言われた。

結婚したての頃、
「子どもが出来れば分かる」
と言われた。 

斜に構えたアホであることは紛れもない事実なんだけれど
「その場での絶対的な優劣」
みたいなものをどーーんと放り込んでくるマウントは、僕がアホという以前にフェアではないんじゃないだろうか。

少なくともその場では、斜を正したところで絶対に覆せない壁。
かつてサッカー界で「アジアの壁」と呼ばれた井原正巳を彷彿させる鉄壁の壁、

無敵シールドである。

実際に
「なってみないと分からない」
ことがあるかないかというと、

「そりゃある」

家庭をもって経験を積まないと分からないことだって、子どもを持たないと分からないことだって、そりゃ間違いなくある。

というより、もはや過去形だな。
事実として「あった」。

けれどそれは、マウントを取って議論を打ち切る為の便利なツールとして使うべきものではない。

しかも、そういう場で出てくる「〇〇になればわかる」って多くの場合は、精神的なマウントの意味がモレなくついてくるのだ。

お前はまだ〇〇にもなっていない未熟者なんだ。そうだ、だからこの件については分かったような意見すんな、と。

当時、ボクはナニを言われたかな。

正確な話の経緯はちょっと曖昧ではあるが、ワイワイガヤガヤの話の中で
「子どもの画像をSNSにアップするヤツはありえない」
みたいな話に唐突になった。

僕自身は、否定派の
「子ども本人の意思ではない」
「小さい子のプライバシーを晒すリスク」
などの意見は、フムフム、なるほどな、そりゃそうだ、ってよくわかった。

しかし僕はSNSにアップする親の気持ちも分からなくもなかった。

「LINEのアイコンにすることで身近な人への近況報告」
「かわいい写真が撮れたので人にみてもらいたい親バカな気持ち」

まぁまぁ、それ以外にも色々と。

で、酒が入っていたこともあったのだろう。
途中から議論が白熱してきて、あ、これ喧嘩になるかもって感じた頃合いに

「ま、お前も子どもができたら分かるから」

あまりにも重い言葉をぶっ放された。
これ言われたら、当時子どものいなかったボクは、そりゃもう返しようがない。

ひらがな書けたらお手紙が渡せるよ
自転車乗れたら早く公園行けるよ
Facebook始めたらコミュニティ増えるよ
noteはバズらなくても収益化しやすいよ

経験によって得られるものでマウントをとるのであったら、これらのように少なくともそれが何なのか、きちんと説明しなければならない。 

 「その場での絶対的な優劣」から、お前には分かろうものか。だから説明するまでもない。分かりたかったら俺の次元に来ることだ。 

結局、こういうこと言うやからって、説明できないけどただひたすらに議論の「勝ち逃げ」をしたくて便利なツールとして使っているだけでしょ、って。

それって関係性を険悪にするだけの悪いマウントだよね、って話で、そりゃ言われた方はフムフムと心に響いて納得するワケがないのだ。

で、僕は

今は、3人の子どもをもつ親となった。

賛否両論はあるのだろうけど、LINEやnoteのアイコンは子どもだし、不特定多数にみられるnoteにもバンバン子どもの顔出しをさせている。

かといって自分の中で基準がないわけではなく、今のこの年齢、そしてこの角度の写真、顔出しさせている親はみんなそうだと思うけど、各自色々考えた上で取捨選択したものを使っている。

いや、、、
SNSへの写真掲載の是非を今、記事にしたいワケではないのでこの話はやめよう。

つまり、僕が言いたいのは
「子どもができたら分かる」
と言われたけれど、できても僕には分からなかったということだ。

そう、つまるところ分かることもあれば分からないこともある。

「部長になれば分かる」
「大人になれば分かる」
「3人子どもができたらわかる」
「サラリーマンだったらわかる」
「理系なら、文系なら、」
「公務員なら、」
「男だったら、」
「インフルエンサーなら、」

僕自身は、相手が子どもにしても部下にしても、その人の努力をもってして一朝一夕ではどうにもならないこういったマウンティングフレーズを持ち出して面倒な議論を打ち切るようなことはしないようにしようと。

何か面倒な議論になれば、是非はおいといて時間が許す限り徹底的に「自分の考え」をコトバにして説明しよう、と。
そう思うのだ。

で、えらくマジメな話になってしまった。
最後にナニで締めくくろう。

そうだ。

noteと同じタイミングで超後発で始めたTwitter
全く有効活用してなかったけれど、noteをSNSの軸におく僕はフォロワーさんの更新情報がnoteよりも分かりやすい点で「コレ良いね!」と感じるようになってきた。

ミーハーと思われたって良い、流行りに乗っかってるだけの奴と思われても良い。
ひねくれる必要は無いんだ、謎の理論で気持ち悪い不気味な理論を次々と泉のように出して意地の上塗りしなくていいんだ。

だから純粋に
Twitterもよろしくね!

で、締めくくろうか。

よろしければ、こちらのフォローも気軽にお願いします!Twitterはフォロワーの更新が分かりやすいので僕もどんどん勝手にフォローさせて頂いております。
■twitter
https://twitter.com/challenger2525k
もし本記事が面白いと感じて頂けた方は「♡スキ」を押して頂けたら幸いです。またフォローやシェアして頂けたら大喜びです。
育児、マラソン、投資の仲間をnoteを通じて皆様と交流できたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。 by ゆづお

いいなと思ったら応援しよう!