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中華料理屋さんと私。見えない応援も、きっと誰かを支えている

会社の近くに、美味しい中華料理屋さんがある。私はいつも決まって「汁なし担々麺」を頼む、そのお店の常連客だ。

そこのランチ価格は一律1000円。私にとって、ランチに1000円は少し高い。松屋でよく食べる「ネギたっぷりプレミアム旨辛ネギたま牛めし」なら490円なので、その倍以上だ。

まぁ、東京都心でランチ1000円なんて普通の金額だし、恵比寿に勤めていた頃なんて、怖くて外でランチをする気にもなれなかった。だから、美味しさの対価として十分妥当だと思っている。

そして一昨日もまた、足を運んだ。


ところがある時、味が格段に落ちたことがあった。味が落ちた…というより、正直、美味しくなかった。まずかった。

麺はべちゃっとしているし、具との絡みも悪く、辛味もぼやけていて、全体に締まりがない出来だった。今までの味が100点だとしたら、25点ぐらい。なんとか完食したものの、「これで1000円はちょっと払えないレベル…」というのが本音だった。

実は、壁には「新しい調理人が2名入っています。これまでの味と異なる可能性もありますが、日々修行を重ねておりますので、どうぞご理解ください」という内容の貼り紙がしてあった。

なるほどそういうことか、と私は理解した。

同じ店の味なのにこんなにも違うものか、と驚き、ある程度レシピがあるだろうに?と不思議に思ったが、新人さんならば仕方がない。みんな必ず最初は新人さんだもの。頑張ってほしい。

とはいえ、リピートしたいかというと、YESとは言えなかった。貴重なランチタイムであり、私のお財布にとっては貴重な1000円。安定の「ネギたっぷりプレミアム旨辛ネギたま牛めし」を2回食べたほうがいい。

でも私はこのお店の味がやっぱり好きだから、少し時間を置いて、また必ず来ようと心に決めた。


数ヶ月経って再び訪れると、90点ぐらいの味に戻っていた。

新人さんが成長したのだろうか。2人とも?それとも1人?それとも辞めてしまって、結局元の調理人が作っているのか…それは分からない。

でも、そのお店に行くのをやめなくて良かったな、と思った。

普通なら「もうリピートしない」と思う水準だったけれど、「あの後、味は戻ったのかな」「新人さんは頑張っているんだろうか」と気にしている自分がいた(会社の近くなので前を通るせいもある)。そして、「そろそろまた行ってみようかな」と賭け半分で来店し、また通うようになった。

これもひとつの“応援消費”、なのかもしれない。

好きだな、頑張ってほしいな、と思うから、応援する。お金を使う。一部だけを見て全体を判断したりしないし、多少波があっても、好きのまんまでついていく。商品やサービスの対価としてお金を払う、という即物的なやり取りを超えて、心のこもったお金の使い方

あぁ、これがファンっていうんだな、となんだか妙に腹落ちした。

そしてお店はこんな思いを知るはずもないけれど、少なくとも私の応援消費は、お店の売り上げの一部になっている。見えない応援も、ちゃんと支えにつながっているはずだ。


私はこの中華料理屋さん以外にも、応援消費の気持ちで何かを買ったり、サービスを受けることがある。

ヲタ活だって、被災地のものを買うことだって、まさに応援消費。見返りを求めて支払うのではない、心あるお金の使い方。そこには愛があるなぁと思う。直接的に見えなくても、そんな気持ちが相手のためになる。

逆に言えば自分だって、見えないところ、気づかないところで応援に支えられているのかもしれない。それは金銭的な面だけではなくて、言葉だったり、気持ちだったり。

見えない応援も、きっと誰かを支えている。

そんな気持ちで、私はまた例の中華料理屋さんに通うのである。応援したい対象があること、応援できる心のゆとりがあることは、幸せなことだと感じながら。

それでは、また。



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