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「食べれる」って気になる?ら抜き言葉と正しい日本語とは

「食べれる」「見れる」「寝れる」…これらを読んだ時、違和感があるだろうか。それとも、ごく普通に使っている言葉だろうか。

“本来”は「食べられる」「見られる」「寝られる」であり、「ら」が抜け落ちている言葉は、いわゆる「ら抜き言葉」と言われるものである。

私はかれこれ編集・ライティングの仕事に携わって10年以上になるので、文章上のら抜き言葉はもちろん気になる。原稿に赤入れ(添削、校正して書き込むこと)する際には、必ず指摘する対象だ。

仕事でなくても、例えば他の人のnoteを読む時にも「ん?」「あらっ」と思うことが結構ある。流行りの歌を聴いていて「おっ」と引っかかることもある。

では、「ら抜き言葉」は間違いなのだろうか?

正しい日本語の使い方ではないのだろうか?


実は、平成27年(2015年)度の世論調査の時点で、ら抜き言葉を使う人の方が多数派になったと報告されている。

文化庁が発表した「平成27年度『国語に関する世論調査』の結果の概要」によると、いわゆる「ら抜き」言葉を使う人が多数派になりました。調査を始めた1995年以来、初めてのことです。

確かに私も、特に話し言葉ではよく使う。「来られる?」よりも「来れる?」と言うことも多い。書き言葉でも、家族や友達へのLINE、Twitterでのカジュアルな発言なんかでは、ら抜き言葉を選ぶこともある。(ただし無意識ではなく、選んでいる感じ)

正しい日本語とは――という議論は、私には少し荷が重すぎるが、少なくとも「移り変わるもの」であることは間違いない。例えば平安時代と今では、同じ日本語でも全く違うのだから。

そういう意味で、その時代に広く使われる言葉遣いこそが「正しい日本語」であり、誰かが(どこかが)正しい日本語を“生み出している”わけではないのだ。辞書やNHKの基準も、基本的には“後追い”なのである。

だから、ら抜き言葉が多数派になったのであれば、一概に間違った日本語とは言えない。ただ、その差はまだ微妙なものだし、最新の平成30年度版の概要(下参照)では触れられていないので、その後は不明。今はちょうどゆらぎの時期なのだろう。


どうしてら抜き言葉が使われるようになったのか。その理由について、こんな記事を見つけた。

①「見られる」、「食べられる」のように「ら有り(?)言葉」では、可能表現か、尊敬表現かの区別がつかないので、その区別を付けるために可能表現の時に「ら」の脱落が起きている。
②動詞の大部分を占める「五段活用」の可能表現のルール同様、「上/下一段活用」、「来る」も「ら」をつけない変化をさせた結果が「ら抜き言葉」

なるほど、こんな理由があるらしい。

②の方はピンと来ないかもしれないが、昔国語の授業で「れる」「られる」の活用について習った記憶がある人もいるのでは。

どちらかというと①の方が分かるだろうか。「見られる」「食べられる」のように「ら」を入れると可能尊敬を表現するし、受け身の表現にもなり得る。つまり『ら』を入れると意味がややこしくなるから省く、ということだ。

実際に使っている人たちにはそんな意識はないだろうが、そもそもはこういったところに理由がありそうだ。そして理由があるならば、これからさらに浸透していく可能性もあるだろう。



とはいえ、ら抜き言葉を嫌う人も多い。日本語として美しくない、言葉の乱れだ、と言う人も。年齢が高いほどその傾向にある。公の文書でら抜き言葉が使われることもない。

間違った日本語ではなくても「適切な日本語」はある。ら抜き言葉は、基本的にカジュアルで砕けた印象。だから、普段の会話や身近な文章表現であればあまり問題ないが、ビジネス文書やまじめなトーンの文章に含まれていると、イメージを著しく損なう。

近いものとして、「見てる」「聞いてる」「知ってる」といった「い抜き言葉」もある。“本来”は「見ている」「聞いている」「知っている」であり、こちらは「い」が抜け落ちているパターンだ。これもカジュアルで砕けた表現なので、きちんとした場面には向かない。


知っていてあえてその表現を選ぶのと、なにげなく使うのでは全く違う。真面目な内容が書かれてあるのに、ら抜き言葉・い抜き言葉が登場すると、ズコーーッ!となる(表現が古い)。率直に言うと「あれ?この人ちょっと頭悪い?」と思われるリスクがあるのだ。

使うのなら、場面や求められているトーンに合わせて使ったほうがよいだろう。少なくとも、今の時点ではね。

それでは、また。



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