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上も下もない、常にフラットでいたい

最近、Twitterで「フラットでいることの大切さ」に関するツイートをよく見かけるようになった。

それは正確には、私がそれを意識しているから、目につくようになったとも言える。

常にフラットでいること。
これは本当に大切だなと思う。

私は自己肯定感が高いほうではないこと、緊張しやすいこと(つまりビビり)、相手に嫌われたくないこと、その他いろいろな要因が絡まって、これがなかなかできなかった。

学生時代、厳しい上下関係で過ごしてきたこともあるかもしれない。両親から、常に謙虚であれと教わってきたこともあるかもしれない。

偉そうにふるまう、ということはあまりなかったはずだけれど、とりあえず下手に出ておけば大丈夫(安全)、みたいな考えは確かにあった。

でも、それではよくない。
謙虚が過ぎると、それは「卑屈」にも映る。


マトモな人なら、相手が謙虚すぎたり、自分を下に置いて相手を“もちあげる”ことを好まない。対等なパートナーとして関係を築けることを求めている。

私がこのことをちゃんと理解できるようになったのは、わりと最近かもしれない。

20代の頃は、社会人経験の浅さを理由に、営業の仕事をしていても「私なんかですみません」「私みたいなペーペーで力になれるのだろうか」という思いがあった。

だから、お客さんに対して恐縮しまくっていたし、継続的な関係を築くのがすごく苦手だった。

相手はそういう姿勢を求めていなかったんだな、と今なら分かる。


これまで仕事で出会った「素敵だな」と思う人はみんな、肩の力がほどよく抜けていて、誰に対してもフラットな点が共通している。

たとえば、今の上司がよく行くお店に連れて行ってくれた時、私のことを「同僚を連れてきました〜」と紹介してくれた。部下、じゃなくて同僚、と表現したことにハッとさせられる。なんだかじんわり嬉しい。

思えばこの上司は、新しいお客さんに私を紹介する時も「一緒に頑張ってくれている仲間です」と言う。部下とか「私の下で」とは一切言わない。

前職までの尊敬する上司や先輩たちも、常に対等でいてくれた。当然偉ぶることはないし、新人もベテランも一人ひとりを尊重して、提案はきちんと聞いてくれる。そういう環境にずいぶん助けられてきたんだなと思う。


本当は上も下もない。自分を低く見て恐縮しすぎる必要はないし、偉ぶった上から目線では人はついてこない。

いつも、誰に対しても、フラットでいること。
自然に呼吸している、ただのわたし。
上とか下とか凸凹に存在するじゃなくて、みんな同じ平面にいる。

そういう感覚でいられることが、きっと心地よく健全な関係をつくってくれるのだと思う。

それでは、また明日。



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