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06パリへ飛ぶ日:3月16日

東京での空白の一日は過ぎ、今日は、ついに日本を離れる日です。大韓航空の成田空港発13:30の飛行機に乗り、韓国の金浦空港を経由し、アメリカのアンカレッジを経てパリへ向かいます。1979年の当時、ソビエト連邦の上空は飛行禁止区域であり、アメリカのアラスカを回る北回りルートが唯一の選択肢でした。成田空港で支払った1,500円の出国税には、少し腹が立ちました。国外へ出るために税金を支払うのは、なんとも鎖国的ではないかと思いました。
金浦空港で一度飛行機を降り、乗り継ぎのための待ち時間を過ごした後、アンカレッジへ向かう飛行機に再び搭乗しました。この旅で初めて日付変更線を超える体験をしました。地球が丸いために、どこかで日付を調整しなければならないのは理解していますが、西から東へ日付が戻るのは不思議な感覚です。何となく一日を得したような気がしますが、帰りには逆に一日を失うため、結局は元通りになるのです。
南回りのルートも存在しますが、大圏航路を利用した北回りの方がヨーロッパへは最短距離であり、時間が節約できます。しかし、経由地のアンカレッジでの給油時間が必要なため、現代の直行便と比べると所要時間は長くなります。
【補足情報:アンカレッジ経由の歴史的背景】 1970年代から1980年代にかけて、冷戦時代の影響でソビエト連邦の空域は西側諸国の航空機にとって閉ざされていました。このため、日本からヨーロッパへの最も効率的な航路は、アラスカのアンカレッジを経由する北回りルートとなっていました。このルートは、太平洋を横断し、アラスカで給油後、北大西洋を越えてヨーロッパへと至るもので、多くの航空会社が採用していました。アンカレッジは、その地理的な位置から国際的な航空のハブとして機能し、多くの長距離国際便にとって重要な経由地点となっていました。日本からヨーロッパへ向かう多くの旅行者やビジネスマンがこのルートを利用し、アンカレッジは一時的な滞在地としても知られるようになりました。この航路は、冷戦の終結後にソビエト連邦の空域が開放されると徐々に使われなくなりましたが、その時代を象徴する重要な航空ルートとして歴史に名を残しています。
※2024年4月の段階では、ロシアがウクライナに侵攻して戦争状態になったため、再び今度はロシア上空を航空機が飛行できなくなってしまいました。戦争は幸福とは全く逆の災いしか招かない「悪」です。

いつもそうだけれど機上から見る夕暮れは、なんともロマンチックだ


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