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看取り / あなたの言葉をちゃんとご家族に伝えますね

「小さい頃はね・・・可愛すぎてねー、いつも家まで女の子がついてきてたのよ。本当に可愛かったの」と
80歳のご婦人は涙ぐんだ目で仰った。
マスクをしていても目鼻立ちの整ったご婦人だと分かった。

あー、彼はお母さんに似ていたんやなぁと思った。

   *

その可愛いすぎた小さなマコトさんは、40歳半ばになっていた。

マコトさんと出会ったのは、その1ヶ月くらい前。まだその頃は、ベッドのところに1時間座って話すことができていたけど、食事量は、かなり減っていた。

沢山の辛い治療を耐えてきたマコトさんに病院の先生は、これ以上の治療はない、残された時間もそれほど沢山ないことも伝えていた。
そんな中でもマコトさんは、希望を捨てず、まだもう少し時間は残されていると思っていたようだった。
こんなに早く自分の体が蝕まれるなんて思いもしなかっただろう・・・。

ちょっと前までスーツを着ていい車に乗ってお仕事していたのだろうなぁと容易に想像できた。クリッとした目でニコニコしながら冗談も交えながら話してくれた。
ラフな格好なのだけどセンスのいい肌触りの良さそうな淡い色の服を着ていた。きっと奥様のセンスがいいのだろう。部屋も素敵でお二人で色々と考えて作られたお家だった。

訪問看護の回数を重ねるにつれ、少しずついろんな話をしてくれるようになった。
最初は、奥様も心配そうにそばにいた。しばらくすると奥様も少しずつ安心してくださったのか席を外されるようになった。

父の日に貰ったカードを見せてくれた。娘さんからのメッセージの最後に長生きしてねと書かれていた。嬉しそうだけど少し悲しい顔にも見えた。

訪問のたびにマコトさんの容態は、変化していた。そして、何回目かの時には、息切れもあった。体もだるそうでずっとベッドに腰掛けているのもつらそうに見えたのでベッドに横たわるよう促した。

ベッドに横たわったマコトさんは、「このベッドで息子とお笑いのテレビを見て笑い合っている時間がいいんですよねー」と言った。

「娘はね、シャイだから話さなくても大丈夫なんです。ここを通る時に指でサインを送ってくるんです、大丈夫?こっちも大丈夫だよっていうサインを送り合うというかね」と優しいお父さんの顔で語った。

このベッドに寝ながらお子さんともいい距離感でお互いがそこにいるってことを感じ合ってるような関係だった。

かっこいいお父さんだったので最期までかっこいいお父さんをできる限り保ってあげたいと思った。

まだ小学生や中学生の若いお子さんたち。

その小さなハートの中で日々体が変化していくお父さんを目の当たりにしてどんなことを感じながら過ごしているのだろうと気掛かりだった。

今は、お父さんと触れ合ったりするのは照れくさいかもしれない。
それでもやがて・・・そんなに遠くない未来にここから旅立ってしまうことは分かっていた。

だからお父さんとのことを色々と後悔してほしくないという気持ちがあった。
旅立ってからお父さんにもっとあんなことをしてあげればよかったと思うことを少なくしてあげられたらと思った。

もし、私が彼らの立場なら、後になってなんで大人はちゃんと説明してくれなかったの?もっと色々としてあげたかったのにと後悔したのではないかと思う。

同僚の中に小さい時に親を亡くした人がいた。彼女は、何も聞かされていなかったらしい。辛かったとは思うけど、ちゃんと教えて欲しかったと言っていた。

       *

お子様達への関わりについて、奥様にも話して了解を得た。奥様もお子様たちにどんな風にしていけば良いのか迷っていた。

「私が、お子様達にうまく声をかけますね。これから先、お父さんのことについてお2人がなるべく後悔しないように。」

そして、お子様たちのスキンシップ大作戦を強行した。きっかけを待っているはずだと思った。
お子様たちに「お父さんのマッサージをしたら100円っていうのはどう?」とイベント風に提案した。きっと彼らには100円は関係ないとは思うけど照れ臭さをとってあげたかったから。

「お父さん、100円で大丈夫ですかぁ?」といきなり…敢えてマコトさんに振る。

笑いながら「大丈夫ですよ」と親指を立てて言った。

娘さんが照れながらも少しずつ歩み寄ってくれた。アロマオイルを掌にたらしてあげた。この機会をはにかみながらも嬉しそうに見えた。

そして、ゆっくりアロママッサージのやり方を伝えた。

私のやり方を一生懸命見て真似してくれた。

腹水でお腹が目立ってきたマコトさんは、身体は辛そうなのに本当に本当に幸せいっぱいの顔になっていた。

私は、足のマッサージを行い、娘さんがハンドマッサージをしてくれた。
「気持ちがいいよ・・・ありがとう」と言った。
恋人でも見るようにずっと娘さんの顔を見ていた。

そして、マッサージをしてくれている娘さんの手をそっと薬指で握り返して彼女のまだ小さい華奢な指に何度も優しく触れていた。

マコトさんは、いつものように沢山ありがとうを言った。


それを見て・・・私の涙腺の調子がとってもヤバイ状態になっていた。

ヤバイ涙腺のまま親子の大切な時間を見守った。


そして、2人の関係を邪魔しないように伝えた。

「アロママッサージする時にはね、お父さん、ありがとう、ありがとう、大好き、大好きって思いながらさすってあげると本当に気持ちがいいのよ。人間の体は、水分が多いでしょ?水にありがとうっていうと綺麗な結晶になるのを知ってる?・・・」みたいな話もした。

娘さんは、少し頷きながら聴いてくれた。口には出せなかったけど思いを込めてお父さんの優くて綺麗な手をマッサージをしてくれたと感じた。因みに私は、彼の手が綺麗だったので、いつも褒めちぎっていた。

息子さんも違う日にニコニコしながらちょっと照れながらもマッサージをしてくれた。

とにかくお父さんに沢山触らせてあげたかった。なんらかの理由をこじつけてでも。
お父さんにありがとう、大好きという気持ちをこめてマッサージをした時にお父さんが喜んでいたということも覚えてくれてたらいいなぁと祈った。

私が橋渡しをできることなんてこれくらいだ。

         *

やがて呼吸も苦しい状態になってきていた。
歩くのもやっとだったので支えながら歩いていた。
躊躇していた酸素もつけることになった。

食事も氷を口に入れる程度だった。マコトさんは痩せて鼻先が尖りはじめていた。

入浴も「もう全てお任せします」と言われた。あのマコトさんが…と思った。

お子さんたちが学校に行っている時、いろんなことを話した。

体調が変化していき、不安そうだった。
医療用麻薬の使い方や酸素のことも恐怖感が減るよう丁寧に伝えていった。不安が消えていき、その日一晩は眠れる✨と思えるまで話した。

マコトさんには、がん性疼痛、息切れ、倦怠感、リンパ浮腫、腹水による圧迫感などの身体症状があった。症状について…特に疼痛については、ドクターに医療用麻薬の種類や量について相談した。ドクターも私達の報告に耳を傾け、細やかに調整してくれた。

身体のことはもちろんだけど、心の中に思っていることもできるだけ吐き出してもらっていいですよと伝えた。
「まだまだ、ここ(胸)にあるでしょう?」と胸に手を当てていうと
「にゃむさん、占い師みたいですね」と笑った。
「にゃむさんには全部言えてると思う。癒しのにゃむ神社だから」と冗談めかして言った。

「マコトさん、今の気持ちは、どんなお気持ちなのか伺ってもいいですか」と足をさすりながら聞いた。

しばらく沈黙した


そして、



「悔しい・・・」と泣かれた。



「悔しいですよね・・・私だって悔しいです」と伝えた。心底、そう思った。

「もう少し時間があるのかと思った…」とも。

        *

その10日くらい前だったか・・・
私は、マコトさんに大切な人たちに伝えたい言葉を何かの形で残すことを提案していた。今ならビデオに遺すことができるかもしれないと思ったからだった。
でも、まだ早い・・・まだいけると思われていたようだった。

少し戸惑ったマコトさんは


「いや・・・それは、まだいいいかな」とポツリと少しだけ笑った。

多分、この私の提案で色んなことを感じられたと思う。悲しい気持ちにもさせてしまったこともわかっていた。

        ✳︎


その後、さらに体調が変化し、始終、酸素マスクをして、ウトウトしていることが増えていた。クリッとした目も半分くらい閉じてしまっていた。

そんな中、あの時聞けなかったことをこれがご家族への気持ちを聞いてあげられるギリギリのタイミングだと思い、ご家族へのメッセージを伺った。

一瞬目を閉じて話し始めた。

奥様や娘様息子様へのメッセージを一言ずつ言葉を選びながら、時々、止まりながら私に伝えてくれた。

奥様へのメッセージになると涙が止まらないようだったけど感謝を伝えられた。
お子さんたちには、お父さんらしいメッセージを添えられた。

彼の言葉を聞き逃さないようにICレコーダーに入れさせて頂いた。
か細い声でICレコーダーではほとんど聞こえないくらいだったけど。

その日、帰る前に「マコトさんの言葉はちゃんと文字おこしをして御家族にお伝えしますね。お伝えして大丈夫ですか?」と聞いた。

すると今度は拒否されることなく「え・・・そうなの・・・ありがとうございます」と目を閉じてにっこり微笑んでくれた。
私には、ちょっと安心されたように見えた。

      ✳︎

その数日後に奥様に見守られ彼は静かに旅立った。

お電話を頂き早朝に駆けつけた時、初めてお会いした年老いたご両親は泣き崩れていた。
そして、少ししてから綺麗なお母様が、優しくて優秀で自慢の息子だったと色々話してくださった。まだ、これからなのにかわいそう、でもよく頑張ったわよ!と。

お父様は、マコトさんのまだ少し温かい身体に触りながら人目も気にせず声をあげて泣いていた。

ご両親より先に逝ってしまったマコトさん・・・。

マコトさんは、奥様のことをとても尊敬していらしたのが言葉の端々でよくわかった。

親じゃなくて僕の介護を最初にさせてしまったから申し訳ないと何度か言われていた。
奥様のことを芯がある素敵な女性と言われていた。あんなに強いと思わなかったなぁと。

最期まで奥様は気丈だった。


娘さんは、ちょっと距離を置いて立ち、静かに涙を流していた。

息子さんは、いつもニコニコしていた。声をかけるとこの時も涙を流さず、微笑んでいたのが余計に辛かった。我慢しすぎやん。

まだ若いこの子達には本当に大きな試練だなぁと思う。あの素敵なお父さんがいなくなり、心に大きな大きな穴が空いてしまって、その穴をどうやって埋めたらいいのか…。

マコトさんもずっとお子様達の成長を見たかったと思うと、残念だったと思う。娘さんが彼氏を連れてきたりしたら心がざわつきますか?って話をしたら、「いやいや、嬉しいかもしれない」と言っていたマコトさん。

いっぱい見届けたいことがあっただろうなぁ。


        *

マコトさんとの約束の文字おこしが最近ようやく終わった。
中々、私もそこに向かえなかったけど、ようやく。


私が出会ってからの会話をできるだけ書き留めていたものをまとめた。

いつかお別れがくることはわかっていたので、関わった当初から出来るだけ彼の言葉を書き留めていた。


いつかご家族の何かの時の力になれますようにと。

約束のメッセージを書いたお手紙・・・大切なご家族に届けますね。


…   …  ✳︎

あとがき 

記事には個人が限定されないよう配慮している為、全ての事柄を書くことはできないのですが、それでも・・・最近は、書き留めておきたいと思い書いています。

ここにこんなにも尊い命が在ったということを知って頂けたらと思います。

最近、まだ若いお子様を残して旅立たれる方が続き、今もふとした時に彼らのことを考えてしまいます。私だったらとても耐えられないのではないかと思います。

回想をすることでそのかたの魂があちらから喜んでくれたら嬉しいです。

きっと誰も人生の中で無意識に「生きてきた意味」や「自分の存在価値」についての問いかけをしていると思います。

最期が近くなってくるとそういう意識が特に強くなってくる時期を感じます。そのスピリチュアルペインへの想いについてもまたいつか書けたらいいなぁ。

長い記事になりましたが、最後までお読み頂きありがとうございます😊



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