生と死の間に_curiosity killed the cat
生と死はワンセット。生まれたからには死ぬ。生き物全ての宿命だ。
だが、命あるモノ、そう簡単には死なない。
生老病死(しょうろうびょうし)といわれるように、生と死の間には、老いと病があるからだ。
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curiosity killed the cat
好奇心が猫を殺したという直訳で知られる言葉だが、この言葉の意味は案外深い。
映画や海外ドラマでは「余計なことに首を突っ込むな!」という意図で使われていることがある。だが、それ以外の含みをも感じさせる言葉なのだ。
猫は9つの命を持っているといわれる。9つの命は不死身を連想させ、それほどの猫でも好奇心で死んでしまうとして、好奇心はほどほどにしよう。そういう解釈を耳にすることが多いが、そればかりでもないようだ。
好奇心で死んだ猫の顛末
猫は死んだとして、その猫はどうなったのか?
実は、”curiosity killed the cat”には続く言葉がある。
”curiosity killed the cat but satisfaction brought it back” 満足が猫を生き返らせる。つまり、ある一定条件のもと生き返るのだという。
猫は好奇心で死ぬが、好奇心を満たされたことで生き返る。
死んだとしても蘇る。いったいどういうことなのだろうか?
猫の生死を考えると見えてくるモノ
猫の生態から人が感じたことをこの言葉に託しているのだろう。その前提でいくつか、この言葉の意図したことを解釈してみた。
好奇心をトコトン追求すれば、満足で生き返ることができる。(中途半端な好奇心は持つな)
好奇心が死を招くのだとしても、好奇心は満足を生む。
死を恐れずに満足するまで好奇心を持とう。(好奇心に生かされている)
他にもいろいろと浮かびそうだが、生まれてから死ぬまでの間に好奇心と満足を繰り返すことが、即ち、「生きること」。そのような思想が根底にあるように思う。
人の命はどうだろうか?
猫の生態を観察して生まれた言葉だったとしても、そこには人の生き方、人生観が映し出されている。つまり、この言葉には、人の生き方へのヒントがあるのだ。
好奇心と満足とを繰り返し、ときには満足を得られず失敗する。だが失敗を恐れずに、好奇心を持ち続けていると、ときに深い満足を得られて、そして命を吹き返す。
好奇心と満足を繰り返していくことが「生きる」ことであるなら、そもそも「失敗=死」と恐れることなく好奇心を満たしていけばよいのではないだろうか?
生き返るために必要なもの
生と死の間にあるものは、老いであり病である。これは、誰にとっても避けられない事実である。
だが、生と死の間にはそれ以外のモノもある。好奇心を持って行動し、ときには失敗することがあったとしても、好奇心を満たして命を吹き返す。これを繰り返していくこと。生きるとはそういうことでもあるのだ。
もっとも、満足を得られそうにない好奇心を持つことは禁物である。限りある命を最大限生かすには、どの程度までの好奇心なら持ってもよいのかという見極めも鍵になるだろう。
限りある命を生かす鍵とは
鍵を持つために必要なことは、老いと病から学びとることができる。漫然と老いと病を受け入れるのではなく、老いながら病を抱えながら、その事実から学ぶ姿勢。
限りある命を最大限生かす鍵を示すために、「生老病死」という言葉が意図して作られた。そう考えると、生老病死という言葉すら違う意味とくみ取れる。
curiosity と satisfaction を繰り返しながら9つの命を使い切ったときに猫は死ぬのだとしたら、人の命はどうだろうか。
どれだけの好奇心を満たす機会があるのかは分からないが、それでも好奇心を原動力として新しいことにチャレンジしながら生き続けること。
好奇心を満たすことは、生きることそのもの。
そんなことを教えてくれる猫だから、心惹かれて止まないのかもしれない。