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「死」を意識する病が教えてくれること。誰のために生きるのか?

大きな病を抱えると、経過観察で通院が続くことが多い。そのこと自体が苦痛でもある。

だが、それができるのも生きていればこそ

自分の足で、自分のために、病院に通い続けること。

自分のために生きることを諭してくれた人たちに、ほんの軽く会釈する気持ちで「外来入口」をくぐり続けている。



2000年代半ば。

あの当時は、入院するときのアンケートに「臓器提供カード」所持に関する解答欄があった。

それ自体を特別なこととは思っていなかったのだが、特別なことだと感じた方もいたようだ。

「臓器提供カード」を私は持っていた。入院時のアンケートにもその旨応えている。

そのことを告げると先輩患者さんから次のような話をされた。

「私たちの臓器はね、他人にあげることもできない価値のないシロモノになったのよ。臓器提供も献血も、今後は一切できないの。臓器提供カードはねぇ、整形外科とか健康な体の入院患者さんのためにある質問なのよ、きっと」




「価値のないシロモノってドユコト?」

頭の中が真っ白になった。

あまりにも唐突すぎて、情報の意味も意図も、私には理解できなかったのだ。

臓器提供ができる基準があるように、臓器提供ができない基準もある。治療が必要なほどの悪性腫瘍が一度でも発生した「人体」からは提供ができない。

当時の私は、そのことを全く知らなかった。

むしろ、入院時のアンケートに「臓器提供カードを持っている」と書くことは、万が一の時に役に立てる道がある(=死んだとしても役に立てる)という意味だと誤解したほどだった。

そのため、「臓器提供も献血も、今後は一切できない」の意味を理解し、心の底から納得できるまでには時間がかかったのだ。



16歳の誕生日を迎えてすぐ、私は最初の献血をした。

健康を害し、常時服薬の時期があったが、その時も献血ができるようになることが目標でもあった。健康な体になって、薬を抜くことができたら、献血がしたいという気持ちがあったのだ。

どれだけの困難があっても生き延びてきたのは、生きているだけで誰かの役に立てるハズという思いがあったからだった。

その気持ちに支えられ健やかな体を取り戻した30歳の時。

喜びの証として、生き続ける誓いとして、臓器提供、骨髄提供、それぞれのドナーカードを持ち、献血にも再び通うようになった。

「生きていれば献血という形でお役に立てる。然るべき死に方をすれば臓器提供という形でもお役に立てる」という思いは、私の心をホッコリとさせる特別な意味のあることだった。

それほどに価値を見出していた「ドナー意志表示者」としての誇り。

そして、突然の強制終了。

「臓器提供、骨髄提供、献血」のドナー人生が終わるというのは、私には思いのほか堪える現実だったのだ。



しかしそれにしても、臓器提供カードを持っているかというアンケートは、何のためにあったのだろうか。

整形外科であっても、だれも臓器提供をするつもりで入院などしない。もし、そんな意図でアンケートを取っているとしたら、入院時に不愉快な思いをさせられること必至だ。

ましてや、「健康な体の入院患者」というアイロニー。

どんな皮肉屋の思いつきかと、今は思う。

おそらくは、単に臓器提供カードが普及しているかどうかのデータとして使われるだけではないだろうか?

いずれにせよ、使える臓器かどうかを目的に「命の選別」が行われることはありえないだろう。



時は流れ、あの病室での会話は、記憶の坩堝に溶け込んでいくほど今では微かなものだ。

けれども、「臓器提供も献血も、今後は一切できない」と聞かされたときの衝撃は残る。

当初の私はネガティブな意味として受け止めた。

だが、今は違う。

誰かの役に立つことなどは考えずに生きなさい。自分のために生きなさい。

そういう含みを感じ取る。

病室に居た他の方々は「残りの人生を自分のために生きたい。誰かに尽くす人生は終わりにしよう」という意図で話題にされていたように、今なら思えるからだ。



「臓器提供カード」を話題にした病室は4人部屋。私以外の方は、その後、数か月から数年の内にお亡くなりになった。

「臓器提供カード」の話題は、死を身近に感じておられたみなさんが、異口同音に「これからは自分のために生きる!」という決意と覚悟で話題にされていたのだろう。思いのままに気持ちを語り、自らを鼓舞させていたのだ。

結局、一人生き残った私は、経過観察の日々。一旦は、経過観察を終えるも、また別の病で、同じことの繰り返し。

これはある意味苦痛だ。

通院をするたびに、もうこんなことは止めてしまおうか......と思う。

だが、「臓器提供カード」を話題にしたときのことを思い、通い続けている。

自分自身のために。