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何気ない会話のある日常が心を安定させる

夫と妻という関係でいるよりも、同居人としての感覚に近い2人。

自立した2人だからこそ、本当の意味で支えあえる夫婦になれる。

そんな感覚で一緒に暮らしている私たちは一般的な夫婦関係とは違う。別々の家に住んでいたとしても何ら問題のない関係だ。

けれども、やはり何気ない会話ができる相手との暮らしはお互いにとってかけがえのない日常であり、その日常が互いの人生をゆたかにしているのだ。

何気ない会話というのはどのようなものだろう。

最近、私たち夫婦の間では、

「これって不要不急かな?」

「緊急事態宣言は解除されたけれど、これはもう少し待ったほうがいいと思う?」

このような会話が多い。

正直なところ、こんなことは自分で判断できるし、話し相手がいなくても、自分で決めることはできる。

だが、誰かと話して考えを反芻してから行動に移したいのだ。

何気ない会話ができる相手というのは、とても心強い存在である。

私が一人暮らしだったとき、ふと寂しさが手伝ってか、誰かと話をしたいと思うことがあった。

そんなときには、「聞いてもらいたい話がある」といって友人らに連絡をした。誰かと会う機会を作るために「悩みの捏造」さえ試みた。

「悩みなど口実。」

「ただあなたに会いたかっただけ。」

そういう言葉を正直に伝えられた相手とは、今も静かな友情が続いている。

何気ない会話のある日常を、私が与えられるだけでなく、相手にも与えられること。そういう関係の存在そのものが心を安定させているのだ。

結局のところ、人は誰かと話しながら「自分以外の世界」と「自分の内面」との繋がりを意識したいのだろう。

声に出す言葉であっても、文字で表現する言葉であっても、誰かと言葉を介した関わりの中で「自分の存在」を確かめていく。

SNSで何気ない日常を呟くように。

家族と一緒に何気ない会話を楽しむように。

友人らと共に過ごして心躍らせるように。

仕事でストレスがたまったからとか、辛いことがあったからとかではなく、「会いたいから会おう」といえる関係は人々の心をゆたかにしていく。

このような関係を増やすことができたなら、日々の悩みは案外小さくなり、心ゆたかな人生を送ることができるだろう。