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自律して積み上げる「自立」のかたち

普通とは何か?

主流に乗るとはどういうことか?

「普通の生き方」という響きに抵抗がある人も、今では少なくないだろう。

だが、「小・中・高と進級&進学する普通の生き方」という存在は漠然と受け入れているのではないだろうか?

社会的にはある一定の年齢になると「法的な責任」も発生する。生まれてから何年経ったかというだけの理由で「大人」というカテゴリーに強制的に入れられてしまう。

20歳で成人する。この事実は、今の日本では誰もが平等に負うべき「普通」。すなわちスタンダードだ。

社会的には「成人のタイミングはいつか」といった個人差は認められない。けれども、個人的な関係において、「自分で決めること」が許されるときがある。

例えばそれは親子という関係においてだ。



私は、高校を卒業した後の人生が、全くもって「主流に乗れない」生き方だった。

当初はそれが苦痛だった。普通への憧れが強く、「覆水盆に返らず」で普通に戻れない人生を恨んだりした。

29歳で大学を卒業。そのタイミングで、もしかしたら普通に戻れる道があるかもしれないと模索したが、普通には戻れないことを確認するだけの「nice try」でしかなかった。

30歳を目前にしたタイミングで、その苦しみを親に打ち明けると次のような言葉をかけられた。

社会のルールは多くの人が規範を守って生活するのに必要なルール。それとは別に自分でルールを決めてはどうか。

そのルールは自分で決められるからといって、都合よくコロコロ変わるものではいけない。

親子の関係、親しい間柄でしか通用しない「ルール」を自分で決めて宣言して、それに従って生きればよい。


それはある意味、親子間の秘密。誰にも話さない契りのようでもあった。

「心の病」を寛解ではなく完治させるための選択。普通に戻れない苦しみから這い出すための知恵でもあった。

自分で決めたルールで生きるとは、自らを律して生きるということ。

今思えば、両親が私に伝えたかったことは、「自律して自立せよ」ということだったのだ。



30歳になってからは、「この10年をどのように生きるか」と自らに問い、「親にだけ人生の宣言をして達成する」というルールを決めて生きた。

大枠での目標を設定し、それを達成するために何が必要かを積み上げることを意識する。自律的に試行錯誤を繰り返す生き方だ。

30歳だった当時。私は、父の扶養に入っていた。そこで、扶養を抜ける期限を自分で決めて宣言。暗中模索ではあったが、それが達成できなければ死を意味するという覚悟で取り組んだ。

一生結婚はしないつもりだったから、それを前提にプランを立てた。

遅くとも40歳までにと決めたが、途中、2年近く闘病生活を送ることになり、そのことを理由に2年の延長を両親に申し出た。

自分で変えてはいけないというルールを変えてしまったという自責の念を抱きながらも、「都合よくコロコロ変えたわけではない」と言い聞かせながら、主流に乗らずとも「人の道に逸れない」生き方を模索し続けた。

41歳で扶養抜けを達成。

そこからは「社会的な経験を積む」というルールを自分に課した。

ボランティア活動も始め、社会との関わり、人との関わりの中で、主流に乗らずとも逸れない立ち位置を切り拓いてきた。



母が後期高齢者になったタイミングで、両親の老後について話題になった。

予定外に結婚をして状況が変わったこともあり、今後、どのような生き方をしていきたいのかと問われたのだ。

そして私はある決意をし、両親に宣言した。

親が死んでから精神的な支えを失って困るよりは、いっそのこと、親が生きている間に、親子の関係を断ち切りたい。今ある親子の縁を断ち切り、新しい縁を結びたい。「人と人」として関われるような自分になりたい。

親子の関係を断ち切って新しい関係を契る。

これが、私が積み上げた経験により辿りついた「自立」のかたち

諸々の事情を鑑み、その日付を、2021年3月31日と決め、親との共通認識とした。

それ以降、私自身が新たな病を抱えたり、仕事が不安定だったり、社会的な地位が定まらなかったり、父が他界したり、まわりの状況は変化してきた。

母は「達成は厳しいのではないか?」と心配そうに聞いてきたが、それでもこの日付を変える気にはなれなかった。


親子の関係を断ち切るのだから、これから先は、宣言をする相手はいなくなる。

だが、これからも自らを律し、自分の「良心」に宣言しながら生きていこう。

自律して積み上げてきた「自立」のかたちを礎として。







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