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【女性に優しいサロン】一足先に老後体験。<前編>

月に一度、
身近で働く女性をフォーカスし、
ざっくばらんにお話しを伺う連載
《女性に優しいサロン》

私の周りにはパワフルで
魅力的な女性がたくさんいます。
そんな彼女たちですが、
この数年を見ていると
「マインドや人生を変えた」
方々を多く見受けます。
自身もその内の一人。
リアルに体現しているからこそ、
彼女達も何故このタイミングなのか、年齢的なものか、
そしてどう変わっていったのかを
お聞きしたいと強く感じました。
仕事のことや身体のこと、
将来のことで
立ち止まって悩んでいる女性たちへ。
お話しの中から
ちょっとしたヒントを頂き、
人生の一歩を踏み出しましょう。

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第五回目のゲストとしてお迎えした方は、私の大先輩である坂東真紀さん。彼女とは20代半に務めた会社で初めてお会いしました。それまで、とてもとても小さな社会で過ごしてきた私にとって、そこでの仕事や職場の人達が、私の見識を深めてくれたと思います。そして最も影響を受けた一人が、隣の席で苦楽を共にした彼女です。そんな彼女が51歳で新しいブランドをローンチ。『Slopeslow』ゆるやかにスローに、手間を惜しまず。彼女の人生を紡いだ話をお伺いしました。

◼︎サロンオーナーM
ー文化服装学院卒業後、25年間アパレル業界で働いてきましたが、この歳で新しくファッションブランドをローンチした経緯をお聞かせください。

◼︎坂東(Bさん)
前職で「heliopole/エリオポール」というブランドで13年間チーフデザイナーとして働いてきました。47歳で退社後、OEM会社でアルバイトをしていたのですが、様々な会社から仕事のオファーがあり、契約するに至ったことが、まずフリーランスとして働き始めたきっかけかな。

◼︎M
その時に仕事への不安、将来への不安、お金の不安などありましたか?

◼︎ Bさん
少しもなかったんですよね(笑)。
反対に、会社員として働いていた時の方が、「一生会社員として働く!」と思っていましたから。フリーランスのことがわからないことが、不安だったのかもしれません。
しかし、いざなってみると、自分の都合で動くことが出来るし、自分で選ぶことが出来る。人間関係も嫌だと思えば関わらなければいい。
私は義務感や責任感が強い方なので、会社員時代は会社に捧げてしまい、尽くしてしまうんです。会社は組織ですから、自分基準ではダメですし。

◼︎M
知っています。本当にそうでした(笑)。

◼ Bさん
今は自由になれた気がします。
自分の能力を最大限に活かし、自分の都合で働き、対価も得られる。業務委託やフリーランスの良さでした。その時までは...。

◼︎M
その後コロナ禍になったのですね。

◼︎ Bさん
はい。太くお仕事を頂いていた会社がまず倒産しました。その内に仕事も激減し、色々考え、一度アパレル業界を離れようと思ったのです。派遣の仕事を始めてみたり、以前から関心があった福祉関係のお仕事に携わってみたり。臨機応変に動けるところもフリーランスの良いところの一つです。

◼︎M
すぐさま切り替えができるところが、Bさんの良さでもありますよね。
その間、旦那様の定年もあり?

◼︎ Bさん
そうです。二人の時間が増え、今まで以上に仕事のことやこれからのことを話すようになりました。「たぶん退職後もこんな感じだよね」とか(笑)。
否が応でも、この先の人生を考えてしまう...。
すると、彼が退職後も業務委託として仕事を続けられるようになったのです。それならば、生活費はなんとかなる。プラス二人で出来ることは何かないか、と。
それが新しくブランドを立ち上げたきっかけです。

話し合いの中心には、必ず飼い猫のポンがいるそう。

◼︎M
パンデミックを機に、多くの時間を掛けて二人で話し合いができた事は、コロナで嫌なことばかりじゃないのかも。

◼︎ Bさん
彼が退職することで、同年代より早く、老後先体験をした感じ。それによって先が見えたことはあるかもしれません。

◼︎M
老後かぁ。早いな、その言葉(笑)。

◼︎ Bさん
でも会社員というのは、そういうことだよね。

◼︎M
なるほど。

◼︎ Bさん
彼は繊維業で零細企業だから、大企業や公務員ではない限り退職金に何千万円とか貰えない。すると、その後も働かなければいけないよね。60歳を一区切りとされ、退職し、その後一年契約の業務委託という形で勤務する。給与も3割りほど、カットされて…。

◼︎M
そういうものなんですね。

◼︎ Bさん
私は派遣の仕事をした時に、まず事務職を希望したのだけれど、アパレル以外の経験値やスキルがないから、事務職は出来ないわけ。すると、出来る仕事が限られる。その上、年齢も50歳を超えると、50、60歳を一括りにされて、更に仕事が少ない。

◼︎M
それは思います。アパレルのデザイナーは潰しが効かない。

◼︎ Bさん
そういう状況にあったからこそ、この先あと10年、15年をどうやって生きていこう、とリアルに考えざるをえなかった。
でもだからこそ、ラッキーだったな、と思えたんだよね。
身近にいる彼が、退職後のシュミレーションになったから(笑)。
色々模索し経験をして、ファッションに対する気持ちが原点に戻ったような気がする。

◼︎M
Bさんは、それでもまだ50歳という早いタイミングで、気づけたから良かったのではないですか。まだ体が動けるこの歳でブランドを立ち上げ、新たな一歩を二人で踏み出せたのですから。これが60歳の定年まで働いていたら、そうは思わなかったのかも。

◼︎ Bさん
年齢ではないけどね(笑)。

彼女が手がけるユニセックスブランド『Slopeslow』



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