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文披31題:Day15 岬

 岬の灯台には、灯台守がいる。
 海を臨む崖の近く、いつ造られたのか、白い石造りの灯台が海を見守るように建っていた。
 夜になると灯台に灯りがともる。ぼんやりと、けれど明るく白い光は海と共にまちをも見守ってくれているようだった。
 昼間も夜も変わらずたたずむ姿は頼もしいものだけれど、どこかもの寂しげな様子に満ちていた。
 灯台の光は、時折色を変えた。勘の良いものは、それが潮目の変わり目と、季節の変わり目のタイミングであることに気づいただろう。
 灯台にともるのは、白い光が常と、赤い光、青い光、緑色の光があった。
 それをともしているのはもちろん灯台守だったが、だれもその存在を目にしたことはなかった。
 時折、昼間に灯台のそばに人が立っている姿を見かけることがあったが、近づくと煙のように消えてしまい、その灯台守に出会った者はいなかった。
「きっと魔法使いだよ」
 灯台守を見たこどもが言うには、灯台守は杖を持っていたという。身長と同じくらいの長さの杖を持ち、時折海に向かって振っていたのだという。
 誰もが灯台守に興味を持っていたが、結局会いに行こうとする者はいなくなった。灯台が建つまではひどい嵐と高い波に脅威を感じておびえる日々が多くあったが、灯台が建ってからというもの、その脅威はひどく弱くなった。
 特に、灯台守の姿を見かけるようになってからさらに大きな嵐は訪れなくなり、波もまた、穏やかであることが多くなっていた。
 そこに、灯台にともる光の色への法則性を見つけてしまえば、灯台守の存在はますます神秘性を増し、いつしか「海をの守護者」と敬い始めるようになった。
 そうしてしまえば、人ならざる存在をわざわざ探しに行こうとする気も失せるというもので、灯台の近くに住む人々は灯台と、灯台守のありがたさに日々感謝することが生活の一部に溶け込んだ。

 さて、その灯台守はというと、人々の想像のとおり、魔法を扱う人間だった。人間、と言い切ってよいか迷うところは、人間が生きるよりも長い時を生きる存在だったからだ。
 父親譲りの栗色の髪に、母親譲りのラベンダー色の瞳を宿し、穏やかな表情で海を見つめる姿は達観しているように清廉で寂しげだ。まるで、ぽつりと崖に立つ灯台と同じように。
 普段は灯台のてっぺんの観測所か、もしくは書斎で過ごしているが、ときおり外に出て海を見ている。
 長い長い時間、驚くほどに長い時間。通常ならば飽きてしまうほどの時間を、黙って海を見つめて過ごすことが多かった。魅入られたように、懐かしむように。
 もしくは、何かを探しているように。
 ふ、とラベンダー色の瞳が細められた。
 持っている杖を持ち上げて、振る。何かの合図をするように。
 杖の動きに波がゆらゆらとざわめき、杖の差す先、海の真ん中で渦が生まれた。渦が大きくなると、奥から何かの影が現れるのが見えた。
 初めは手、そして金色の髪の頭がふたつ。くるくると踊るように泳ぎながら渦から現れたのは、人魚だった。遠くの海に突然現れた存在は、見つかれば大騒ぎだったが、灯台守は細心の注意を払って魔法を使っている。誰にも見つからないように。
『久しぶりね』
 海に縁の深い者同士、そして魔法を使って海と陸の存在は会話する。
『ああ、そちらも元気そうでなによりだ』
『お兄ちゃん、もうちょっと穏やかに呼び出してよ。お母さん、ちょっとだけ目を回してたよ!』
『それは……ごめん』
 申し訳なさそうな声に、軽やかに笑い声が響く。ひとつの音楽のようにさえ聞こえるその声音に、声の主たちが元気でいることを実感する。
『お父さんは?』
『今日は楽そうだよ。降りてくるのはちょっと無理そうだけど』
『いいわ、声は聞こえてるもの』
 母の声は確信がこもっている。自分には聞こえないのに、不思議なものだ。
 この海に張り巡らせた自分の魔法は、うまく作用しているらしい。父譲りの海の魔法、母譲りの人魚の魔法。
 海と陸に分かれた血縁は、姿を隠していなければならない事情を抱えており、また暮らす場所も分かたれてしまう存在でもあった。
 一定の条件下で、こうして会話をできるようになるまで、十数年の時間がかかった。
『今日はどれくらいもちそうなの?』
『三日ほどは』
 長いとも、短いとも言えない時間だ。けれど、かけがえのない愛おしい時間だ。
 妹の人魚が不満の声をあげたが、今回は違う、と伝えると好奇心に満ちた驚きの声が聞こえる。
『この灯台の下の、浜辺まで、今日は近づくことができるようにした』
『まぁ』
 母親の驚きの声に、満足感を覚えるのはこどもの性だろう。成果はまだ見届けていないが、すでに達成感に満たされている。ほんの少しの時間に終わろうとも、親子が顔を合わせることができるのは、とても嬉しい事だ。
『明日の夜。お父さんと一緒に会いに行くよ』
 楽しみね、と言い合って。話をするうちにやがて太陽がゆっくりと海の向こうに降りてゆく。
 夜になれば魔法はいったん、太陽とおなじく眠りにつく。けれど明日になれば、朝日が昇ればまた魔法は目覚める。
 そうしたら、今度こそ、顔を見て話をしよう。
『おやすみなさい』
 灯台に青い光がともり、月夜の海を優しく照らしている。

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