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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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 【感想】映画が期待以上におもしろくて感動した話【映画ドラえもん のび太の地球交響曲】



はじめに

 ネタバレありまくりです。気持ちのままに吐き出しているのでいろいろと注意です。
 書き手は邦ロックとクラシックが浅く好き(っぽい)なのと一次創作をかじっている関係でそのあたりの個人的考察や感想が多くなります。さらに、個人的ファンの関係でゲームの『大神』と結びつけてしまっていたり。そのあたりを広い心で許せない場合は読まないことを推奨します。
 面白さの共有、議論的なものに関するお話は受けたいところですが、個人的感想に関してのいろいろなものに責任は持ちきれません。
 その点をふまえてお読みいただければ幸いです。

『映画ドラえもん のび太の地球交響曲』を見てきたよ

 さて、本題に戻りまして。
 見てきました。映画館にて表題の『映画ドラえもん のび太の地球交響曲』!!!

 別の映画鑑賞時に予告で見たときから「これは、行かねば……!」と思っていたので春休みの終わりがけ、春めかしい空気の中のお出かけ日和映画鑑賞日和という素敵な日になる感じの良い気候。
 朝一のざわざわはあれど余裕で映画館にたどりつき、チケットの発行からお手洗いを済ませて飲み物とポップコーンのセットも完了、気になる映画がないかななんて予告を眺めながら「上映時間って結局何時からが”本当”なんだろうね」なんて同行者と話していると。

 暗転

 まだ予告なの?なんて言っている間にいつものきらきらとともに「東宝」の文字が。いよいよ始まるぞとわくわくしていると……
 なにこの導入!?の一言です。
 物語の根幹に関わる謎というか始まりを、意味深に表現するのがオープニングというものではあるところかと思いますが、まさかのとんでもなところからのキャラ登場とムービー、からの、タイトルどーん!

 そこにいつものレギュラー陣はいません。

導入から本編と、仲良しメンバーの関係性について

 ええ、いないんです。タイトルにまつわる、「音楽」の情景を映しながら時を渡るように飛ぶ鳥。
 予告映像などでもたくさん見かけるとおり「音楽」が関係しているのでその表現がもう、音楽そのもの。おぼろげな記憶ではありますが、演奏している音はしないのに、聞こえてくるような生き生きとした動き、表現。この時点で涙腺崩壊です(ライブの始まりにいつも泣いてる人)
 わぁぁ、聞けた、見られた。
 この一言です。

 そしてタイトルを区切りとして場面はのび太たちのやりとりへ。
 音楽の授業でも相変わらずちょっぴり苦手な部分が目立つのび太くん。秋の音楽発表会に向けてリコーダーを吹いているのだけれど、なぜか音が外れてのび太くん特有の「の」の音を連発。
 それをからかうジャイアンとスネ夫と、なだめるシズカちゃんといういつもの構図。
 でも、いつも思うのは彼らはのび太くんをけして排除しないんですよね。
 ばかにはするけど、じゃあやるなと言ったり、一緒にいることをやめるといった選択肢はない。なんなら今回はのび太くんのリコーダー練習にみんなで付き合ったり。
 こういうの、小学生って当たり前のようにできてしまうんですよね。
 狭いコミュニティで、うまく人付き合いしていく。そんなことを自然に身につけていく。
 もちろん狭いコミュニティがゆえにそれぞれが好き勝手に言葉の暴力、物理の暴力もあるのですがアニメ表現の範囲内でおさまっている、といったところでしょうか。昔に比べたらのび太くんが言い返したり(TVのだと泣き寝入りだったような気もしないではないですが)しているので、どこまでも彼らは「平等」なんですよね。
 それぞれの事情もちゃんとわかってて、うまくすりあわせられていて。
 そういう、4人のやりとりを微笑ましく見守る時間も楽しいところ。
 途中の場面でも、やはり自然と混じり合いながらもそれぞれ固有の彼らにしかできない役割があるのだと、個性とともに描かれていて。
 個人的に面白いなと感じたのは、物理のジャイアンと精神ののび太くん。
 夜の校舎に忍び込むシーンがあるのですが、懐中電灯を片手に一番前を歩くのはジャイアン。後ろでびくびくしながらおっかなびっくり歩くのび太くん。
 でも、いざたどり着いた音楽室で光とともに呼ばれた彼らが立ちすくむ中、「ドラえもん、僕たち助けを呼ばれてるんだ、いかなきゃ(おぼろげな記憶)」と口にできるのは、のび太くんなのです。
 そしてその意思はみんなの勇気になって物語が進んでいく。
 いつもいつも、最後の最後に踏ん張れるのはのび太くんなのです。
 スネ夫は細かなところに気づいてストーリーを引っ張っていってくれるし、シズカちゃんはのび太くんをそっと支えてくれる縁の下の力持ち。
 みんなみんな、欠けてはいけない大切なお友達。
 最後のみんなの協力シーンは、どんな映画でもあるとおり、胸熱展開でしかありません。
 ピンチを打破したのび太くんを、「よくやった!」と心から嬉しそうに頼もしそうに声をかける彼らにいつも心を暖かくしてもらっています。

音楽にまつわるエトセトラがいっぱい

 話は戻りまして。
 今回のお話は「音楽」にまつわるものなので、最初から最後まで音楽の話が続きます。
 「ファーレ」と呼ばれる、音楽が力になる世界観。
 それを供給し、「ファーレの殿堂」を復活させる手助け欲しいと訴えるのは、ムシーカ星の末裔かつ生き残りの少女、ミッカ。
 そして著名な音楽家と似た名前を持つロボットたち。
 基本的に名前関係が音楽につながっているんですよね。
 
 ムシーカ→ムジカ(Musica) ラテン語、イタリア語、スペイン語などで「音楽を意味する」
 ファーレ→ファンファーレ(式典の楽曲)から?
 チャペック、ヴェントー、モーツェル、タキレン、バッチ、ワークナー→著名な音楽家のもじり(そのままもある)
 ヴィルトゥオーゾ→イタリア語で「達人」(イタリアはオペラのイメージが強いので、響きからしていいなと思うところ)
 パロパロ→初めわからなかったのですが、別の解説ページから、フラメンコで「曲種」を意味する「パロ」があるとのことで、そこからかもしれない?

 などなど。
 このあたりのくすっと笑えるもじりと、こだわりのある部分は一次創作をかじる私としてはわくわくがとまらないです。パロディでありながらリスペクト、そしてお話の世界観との調和。こういったバランスの取り方も、個人的に大好きな構成でした。
 あえてあげてしまうのですが、個人的に好きだったのはモーツェルとバッチの初登場シーン、モーツェルはバッチを「先生」と呼んでいるところ。時代考察を鑑みたものだろうと推測できるし、バッチはいっさいしゃべらないとか、この二人のシーンはどこか柔らかい雰囲気が大好き。さらに、映画内のどこにおいてもこの二人が出てくるとほっこりと見ることができて楽しかったです(緊迫感のあるシーンでもやはりどこか味が合って……推しな感じになりました笑)

 ミッカはミッカでかわいらしくて歌がうまくて、登場してから最初から最後まで癒やしとかわうい……!と母性をくすぐるかわいらしさがあってとても好ましいキャラクターでした。
 突如現れて歌って踊る電波系少女でしたが、それもそれで個性、です。かわいいし。
 主要人物は大きな役割を占めるのでどうしても重くなりがちなのですが、ミッカはいつも子どもらしさと強い心で物語のテーマをぐぐっと底上げしてくれていて、味方したい、頑張れと応援できる良い子だったと思うところです。
 最初は言語が違うのでのび太くんたちと話せなかったのですが、秘密道具の「ホンヤクコンニャク」使用後ののび太くんへの呼びかけが「のほほんメガネ」だったのはにやっとしてしまいました。
 そして……!
 最後の最後に「のほほんメ……」と言いかけ、「のび太おにいちゃん」と呼び直しているのは、とてもとてもきゅんとしてしまいました。
 信頼の現れが、その一言で表現されているというシーンだったと思います。

話の構成が素敵で好みすぎた件について

 この映画で一番感銘を受けたのは、「つながりのスムーズさ、伏線回収と表現の見事さ」でした。
 何もかもが伏線と言えば伏線なのですが、怪しいぞと思ったところが違う部分とのつながりだったり(ミッカと冒頭の赤ちゃんの状況やファーレの殿堂復活の鍵とか)、音楽の力がつながっていく形で紡がれていくのがたまらなくて。
 また、チャペックが作曲をしながらファーレエネルギーを供給していくことが、最後の最後、大きな敵である「ノイズ」への対抗手段になるとか。
 そして。
 個人的に勝手に結びつけて涙腺崩壊させていたのはファーレの殿堂でみんなで合奏するシーン。
 思いと音楽が力になる、という体現を、チャペックの書いた曲で表現するところ、大きな力になっていく部分が、大神の祈りの力で神に力を取り戻してもらうというところとなぜか近しく感じてしまい。
 滅亡した惑星ムシーカをひたすら愛して嘆き悲しんで悼んでいるロボットたちが、その愛情をもって悲劇を繰り返さないために立ち向かう。そして地球との大きなつながりに気づいて新たに絆を紡いでいく。
 その影響、というわけでもないですが、常に地球には美しい音楽があふれている、と気づかされ、一応音楽クラスタ所属な私にとっては「そうだよね、音楽って楽しいよね。いいよね音楽……!」と嬉しいやら切ないやら愛しいやらで感情の暴走が止まりませんでした。
 二転三転とうまくいくようでいかないピンチのハラハラ感もさることながら、優しく強い、登場人物みんなが困難に打ち勝っていく様は、爽快というよりもただ嬉しく暖かい気持ちで見続け、見届けることができました。

ドラえもん映画における「悪役」の表現

 今回の物語において、「悪役」がいないことも印象深かったところです。
 比較対象として、前回はマッドサイエンティストがラスボスでした。
 悪いもの、という存在が人であり、裁く者裁かれる者の対立構造の印象が強かったのですが、今回はノイズ、という概念の存在がみんなの前に立ちはだかるものでした。
 ノイズは概念、というくくりにしてみましたが、基本的には地球に音楽がなくなることってないよね、というのが大前提なので、そのあたりがどうして今回の大きな困難となって立ちはだかるのか、そのあたりの物語のつながりもとても綺麗につながっています。
 ほんとうにほんとうに、美しくつながっていて、織り上げられた物語、いえ、美しい音楽、というのが相応しいのかもしれません。
 丁寧に、大切に、緻密に。そして美しく。
 綺麗な磨き上げられたものを見せられ、それがさらに磨き上げられるのを見届けるような、そんな映画でした。

最後に。機会があったらぜひ見て欲しい!(ぜひ映画館で)

 最初と最後、とくに最後の15分間くらいは涙が止まらず、泣き続けながら鑑賞するという、良い感情の揺らぎにひたってきた時間でした。

 子ども向けアニメというなかれ、大人も、というよりももしかしたら大人のほうが楽しみを見つけてしまうかも?な映画として、おすすめです。
 気軽にちらっと見てみたら、なんて思っていると、泣かされます。
 機会がありましたら、見て欲しい映画です。

 長い感想となりました。
 ここまでお読みいただいた方、お疲れ様でした。ありがとうございました。
 昨年よりもさらに良くなった今作、と個人的には感じています。さらに2025年の公開決定も発表されているので、できれば見に行きたいと思うところです。


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