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文披31題:Day21 自由研究

 真っ白なノートを見つめてどれくらいの時間がたっただろうか。いくら見つめても、そう、穴が開くほど見つめても、ノートに何か浮かぶことはない。
 長期休暇でいちばん嫌いな宿題が、最後の難関となって立ちふさがっている。
 誰だよ、こんな課題考えたの。
 ふてくされて唇をとがらせても、誰も答えてはくれない。もちろん課題が終わるはずもない。
 仲の良い同級生は、もう手をつけていたり、なんならすでに終わっていたりするという。
「なんでもいいのに」
 不思議そうに言われたのは、同級生の少女だ。
「私は書き取りのほうがやだなー。多いし、面倒くさいもん」
「僕はこっちのほうが嫌だよ」
 計算も、呪文の書き取りも、魔法式の勉強も。いつもやっていること。その延長戦だ。むしろ聞きたい。なにが面倒なのか、嫌なのか。
 こっちのほうがよっぽど嫌じゃないのか。笑顔で休暇前の挨拶をした担任の言葉に、ぎりりと歯ぎしりさえ浮かぶ。
「なんでも、好きなことをしたり、作ってくださいね。『自由研究』なんだから!」
 どんなものが提出されるか、いちばんの楽しみです、という言葉に問い詰めたかった。やらないという「自由」はないんですか、と。
 しかし、捨てられないのはそれが「宿題」だからだ。日々こつこつと課題に取り組み、達成することを喜びにしている自分にとって、「宿題ができなかった」ということは許しがたい。
 そうすると、やはりなんらかのものを作らなければならない、とまた真っ白なままのノートに目を落とす。
 何も浮かばない。どうしたらいいのかわからない。自由ってなんだ。このノートに「自由」って大きく書いたりしてもいいのか。
「自由を表現してみました!」
 ……無理だ。発表した瞬間、笑われる未来しか想像できない。そしてとても嫌だ。
 それくらいなら、完成させるしかない。だけど、何も浮かばない。
 同級生らは、何をするって言ってたっけ。一人は花の観察日記、一人は父親と自動目覚まし装置を作るとか。一人は……家の中の虫の研究、だったかな。
 考えてみると、ほんとうに自由だなと思った。日記をつけたり何かを作ったり、家の中の虫を研究するとか、みんな何考えてそんなものを選んだのだろう。
 やってみたいこと、作ってみたいもの、そんなものに取り組めばいいってことかな。自分のしてみたいこととはなんだろう。
 ぐるぐる考えるが、うまく思い浮かばなかった。勉強は好きだけど、それは自由研究にはならない気がする。それ以外に、好きなこと、気になること。
「……あ」
 思い浮かんだのは。ローブ姿で笑う女性。まちなかを、使い魔の狼を連れて歩いていた。
 黒い狼は怖い見た目に反してとても堂々としていて、理知的な瞳はただの獣ではないことを象徴しているように輝いていた。
 あの、黒い狼の使い魔のことが知りたい。
 やりたいことを見つけた少年の瞳は、さきほどまでとはうって変わって好奇心に満ち溢れていた。
 幸いなことに、女性の家は隣だった。だから狼をよくみかけていたわけだが。
 さっそく隣の家のドアを叩くと、幸い目当ての使い魔の主が応対に出た。突然の来客に驚いてはいたが、顔見知りのためにこやかに用件を尋ねられる。
「あの! 僕、自由研究しようと思っているんですけど、貴女の使い魔のことを『研究』させてもらえませんか?」
 さきほどまで悩んでいたのはどこへやら、勢い込んでの少年の申し出に、女性はぱちりと瞬いた。
「あらあら、まぁ。私の使い魔の! 研究をしてみたいだなんて思ってくれたのね。自慢の使い魔だから、嬉しいわ」
 頬に手をあて、嬉しそうにころころ笑う女性に、これはいけそうだと手ごたえを感じる。文書代行業を営む女性は、植物の魔法使いだから、同じように育ってきているので、学校生活のこともよくわかっているらしく、協力できることはするわ、と快く了承してくれる。
 でもねぇ。と黒檀の瞳が困ったように下がった。
「私の使い魔は自己主張が激しくて……わたくしはあなたの申し出はとっても素敵だし、協力してあげたいと思うわ。でも、本人がいいって言わないと、難しいと思うのよね」
 ねぇ?と女性が青みを帯びた黒髪を揺らして振り返ると、いつの間に現れたのか、闇色の狼が視線の先にいた。犬のように「おすわり」をして、眉間に皺を寄せている。
『研究……主は他人に私のことを知り尽くされてもいいというのか。私は嫌だ』
「……だ、そうなのよ。別にねぇ、ちょっと研究くらいさせてあげてもいいと思うのに。使い魔って融通が利かなくて嫌ねぇ」
『使い魔の、使い魔たる存在意義を否定しないでほしい』
 淡々としゃべる使い魔は、やはり堂々とした姿で美しくかっこいい。いつもはピンと立っている耳が、今日は少ししょんぼりしたように垂れているのが可愛く見えるところも、素晴らしい。
「いいんです。嫌がっているのに、無理強いしたくないし」
「まぁ! なんて健気なお返事! そんないいこには、ぜひとも協力してあげたいわ」
 帰ろうとするのを引き留められて、女性は熱心に何ができるかと考えてくれる。正直、とてもありがたい。使い魔はやれやれとでも言いたげに床に伏せているが、研究は許してくれそうもないだろう。
 玄関先で数分、女性は考えてぽんと手を打った。
「絵姿よ!」
 名案を思い付いたと言いたげに胸を張り、持ったノートを差して女性は言った。
「わたくしの使い魔の絵姿を描くといいわ。観察じゃないの、姿を残しておくのよ。そうしたら、見た目の研究はできるでしょう」
「絵姿を描く……」
「いいと思わない? わたくし、知ってるのよ。あなたの魔法」
 片目を閉じていたずらげに微笑まれれば、うなずくしかない。学ぶことが好きなのに、授かった魔法の特性は、勉学とは異なる方面に属するものだった。
「筆の魔法のこと、知ってたんですね」
「うらやましいわ。わたくし、文書代行でしょう? 筆の魔法があれば、美しい文字も、思い描いた絵を描くこともできるのにと常々憧れておりましたのよ」
 そうだろうか、女性は文書の方面において、魔法使いと呼ばれてもおかしくないほどに素晴らしいものを作り上げると評判だ。特に恋文をと予約が絶えないと聞いたことがある。
 そんな女性に褒められて、悪い気はしない。問題は、絵の勉強はさっぱりしたことがないこと。
「でも、あんまり絵は得意じゃなくて……」
「そんなことは問題ではないのよ。一回で仕上げろとは言わないもの」
 え、と顔を上げるといたずらっぽい笑みと共に手をとられた。
「わたくしの休憩時間と、夕方、描きにいらっしゃい。たくさん描けば、納得するものができるかもしれなくてよ」
「いいんですか?」
「もちろん」
 笑顔でうなずかれれば、心が弾んだ。あの黒い狼の姿を、筆の魔法使いとして絵に描いてみる。それを『自由研究』として、提出する。
「嫌かしら?」
「……描きたいです。貴女の使い魔さんは、とってもかっこいいから」
 ぽろりとこぼれた言葉に、女性と使い魔が嬉しそうにうなずくのが見えた。女性が決まりね、と笑った。
 帰って両親に隣の家に、使い魔を描かせてもらいに行くことになったと報告すると、とんでもなく驚かれ、叱られ、菓子折りを用意した両親と共に改めてお願いに行って、やっと使い魔の絵を描くことができるよになったのは、また別の話なわけだけど。

『ずるいな、我が主は』
「なにがでしょう?」
 優雅にカップを傾けて紅茶を飲みながら、植物の魔法使いであり闇色の狼の主である女性は空とぼけた。
『私のことを研究されたくないのは自分のくせに、私が嫌がるように仕向けて話をすり替えただろう?』
「なんのことでしょう。あなたが嫌だとごねるから、わたくしがちゃんとお断りしたのに」
『それと、体よく自分の欲望を叶えたな』
「あら、人聞きの悪い」
 カップをソーサーに戻して、羽ペンをとる。今日の仕事はあと一通、貴族の女性が身分違いの恋人に宛てた手紙を清書するという大切なものだ。気合を入れて取り掛からねば。
 微笑みながら、歌うように女性は言った。
「だぁって、筆の魔法使いが隣の家にいるのよ? 今から鍛えておいて損はないと思わなくて? 素敵なものを描くようになると思うの。そして、その最初の一歩があなたの絵だなんて、わたくし嬉しくて!」
 他人の恋文を書いているというのに、自分こそが恋する乙女のように黒瞳を潤ませて嬉しそうな主に、狼はぺたりと伏せた。両脚の上に顎を載せてやれやれと息をつく。
『強欲でわがままな我が主。ちゃっかり私の絵姿と、そのうち家族を描いたもの、なんてものをねだりそうだな』
「あら、どうしてわかったの?」
 にこにこと答える主人に、まったく、と使い魔は吐息で返したのだった。

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