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#142 fragments 20240713

本日は驚愕の8時15分起床。
例の如く夜にテンションが上がってしまい、就寝時間が大幅に遅れた。
如何に早く入浴を済ませるかがカギとなる。
からだは着実に蝕まれている。
気力/体力は無尽蔵ではないことを再確認。
寝覚めは悪い。寝つきは物凄くよかった。
否、良いわけではあるまい、あれは気絶と言っても過言ではない。
それは健全とは思えない。こころとからだは摩耗してしまっている。
他者を労わるように自分を労わってやる必要がある。
自己と他者の過剰な差別をしないこと。
それから、中途覚醒は無かったと思う。
昨日は涼しかったから暑さによる不快は無かった。これ幸い。

流れを止めない。
などと思っているのだが、今の私の手は止まっている。タイピングの軽快な音は聞こえない。

どうも感覚が敏感になっている。
これは寝不足とカフェイン過多の時に訪れるような気がしている。
今日も懲りずにコーヒーを飲んでしまった。ついつい飲んでしまうもの。それがコーヒーである。酒好きの者にとっての酒の位置づけとはこのようなものなのだろうか、と妄想してしまった。
外から聞こえる音がとても不快に感じる。たいへんびっくりする。
こうしている間に、車のドアを閉める音やエンジン音が聞こえてくる。そして驚く。
聴覚意外だと、腱反射なども起きやすくなる。それから震え。
反射の閾値が下がると言うか。
だのに、肝心なところが鈍感だったりする。不注意。お留守。
妙なところにリソースを割いてしまっているのかもしれない。
だが、その配分は私の自我が決められるものではなく、自動的にからだが決定する。私はそれに追従することしかできない。主導権は私にはない。
私にできることはきっかけを与えてやること。あとはお任せ。
こんなけったいなもの、マニュアル操作によって制御できるわけがない。脳がパンクする。野性の勘がそう告げる。
必要だから自動化されているのだ。必要以上に難しく考えないこと。以上。

段々とタイピングの音が部屋に響き始めてきている。嬉しい。素直に喜ぶ。思えば、このPCも随分と酷使してきた。いつまで持ってくれるだろうか。もう少しだけ頑張ってくれ。私はまだお前が相棒であってほしい。

蝉がいよいよ活発になってきた。フィールドレコーディングの準備を始めよう。
スズメバチには気を付けねばならない。
それから、蚊に刺されるとストレスだから、虫よけも必須だろう。

ああ、また新しい夏が来てしまった。
なんだか変な感覚だ。
地元にいると変な感覚になる。
数多の異なる時間が入り組んでいて訳が分からない。
でもちゃんと分裂せずに形を保っている。
ひきこもって、なまじっか考える時間があるとそういったことが起きる。
時間があると言うのも考え物だ。
逆に、労働者諸君にとっては、何もない時間が必要だ。
必要なものが必要な人に行き渡らない。不均衡。経済の失敗。
なんだかなぁ。

落ち込みは随分と楽になった。
自己批判のそれはほぼ緩和したと言っていい。
だが、理由もなく切なくなる。
この「理由もなく」というのが厄介だ。
深層にどんどん接近していけば理由はあるのかもしれないが、私の経験上それは徒労に終わる。だからやろうとも思えなくなった。
最近、運動や気晴らしの散歩をしていないから、憂鬱を感じる時間が増えてしまっているのかもしれない。
でも暑い中をうろつくのもなぁ。気が引ける。
商業施設などを歩いてもあまり面白くないし、どうしたものか。
などと、平和な悩みが出来ることに感謝したい。

病気不安はここの所ずっと引っ込んでいるようだ。
マイルドな躁と何か関係があるのか?

人生とは繰り返しであると思う。
クラシック音楽のような変奏と動機の展開はまずないといっていい。
ドラマが無い。
だからいつの世も、人々は強烈な物語性に依るドラマを求めるのだろう。
一見するとつまらないその反復の中から変化を見出す。能動性によって。
なんだ、ミニマルミュージックじゃないか。

やはり自分基準に基づいて動いている連中の方が面白い。
そこに謙虚と思慮が結びついている人は最強である。
ごくまれによくできた人がいて、感服する。
そういう人を見るともう少しこの世で頑張ってみようと言う気になる。
なんとも私は単純な人間である。
だが、斜に構えて自他を不快にさせるよりもずっといい。
感動する感覚を押し殺さないこと。
素直になること。
直感を信じること。
なんだか、先日の日記に書いた大事MANブラザーズバンドみたいになってきたな。
「○○こと。」というのは私の癖のような気がする。
こうした癖は悪く言えばマンネリなのだが、これを封じてしまうと言葉が出なくなってくる。
吃音のような症状が出てくる。禁句タブーを設けすぎるとなにもしゃべることができなくなる。幽遊白書の蔵馬vs海藤みたいなものだ。
だから、自分で自分を苦しめるようなことはするもんじゃない。
一回しゃべりがぎこちなくなると、それが持続する。自由になっても元には戻れない。私はその最中にいる。
ただでさえ冴えない知的能力の持ち主であるのに、禁句ゲームに脳のリソースを持っていかれるものだから、弱体化してしまう。
人の話の内容だってもっと傾聴できるはずである。
私はもっとできるんだよ!
と、何度思ったことか。残念なやつだなぁ。
まぁ、相手方には「砂田見は無能である」と思ってもらった方が私としては都合が良いから良しとしようか。期待させないことが大事。
でも、なんだか切ねぇっす。

おお、今回は2,000字を超えたか。書いているうちにしり上がりに調子を上げたようだ。
と、自己満足ができたここらで、閉店しやしょうかね。
めでたしめでたし。


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