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#4 自然について

今日もとりあえず書く。

早くnoteの使い方を覚えたいところですね。
アイコンとか設定したいけれども、色々迷ってしまった。
で、飽きた。時間かけるとつまらなくなりますね。
さっさとやった方が良い理由の一つですね。
時間をかけ過ぎて飽きてやめる、っていうのは私の典型的な行動ですな。
だから考えるのはやめて文を書くことにします。

アイコン自作したいなぁ、と思ってwindowsのプリインストールされてるペイントのアプリをいじくってみたり、スマホで写真を撮ってみたり。
そんなことをしてみたものの、あまりしっくりきませんね。
というか、私はできないこと・知らないことが結構あります。
そういう領域は広めだと勝手に思ってます。
色々調べて、めんどくさくなって、やめる。
まぁ、普通のことだと思いますけどね。
他人がそうなっていても何も思いませんよね。
あぁ、そういう選択をしたんだなぁ、くらいなもので。
でも自分のことになると落ち込んじゃったり、腹が立ったりする。
自分は特別なんですね。
自己愛ゆえに、ですよね、きっと。
他人はどうでもいい存在なんです。自然の一部ですから。
あぁ、そうそう。先日電線にとまっていた鳥が、捕らえた虫を落としてしまったんです。要するに、貴重な(?)食料を落としてしまった。失敗です。野球のエラーみたいな感じで。
でも、その一部始終を私は見ていて、何も感じませんでした。
あ、虫が落ちた。それだけです。
事実がただ通り過ぎていくだけ。
いや、何も感じないというのは言い過ぎかもしれない。うーむ、まぁ、いいや。考えすぎないで書き続けます。
兎に角、自分に対してもそれぐらい淡々と向き合えるといいなぁ、なんてふうに思うわけです。

自然というものに何も感じないのは、コントロールを手放しているからでしょうか。
支配できるようなものじゃありませんから。少なくとも私はそう思ってしまうんです。
私は自然が好きではないです。
だっておっかないもの。
ただその中でしか生きられないから共存しているわけで。
と、なんだか脱線してきてますかね。思いつきなので。
しかし、更に脱線したいと思います。
今、音楽をききながら書いているのですが、結構気が散るんですよね。
で、気が散ったまま書き続けているもんだから、脱線しやすいんです。
半分くらい自動筆記みたいな感じです。
頭じゃなくて手に書かせている感じ。
折角だから聞いている音楽のリンクでも貼ってみましょうかね。後ほど。
さて、そろそろ戻ろう。軌道修正。
自然は制御不可なので、どうでもいいと思える。放置できる。
だが、自分自身に関しては制御できるという「思い込み」が私の中にはある。
これ、思い込みですよ。
人間も自然の一部ですから。
だから制御など出来ないんです。
皆、既に余裕で知っているはずなんですよ。このことは。
だって生理周期をコントロールできますか?自力で。気を付けていても風邪、ひきますよね?なんか、頭重感のひどい日、ありませんか?一週間後の自分の体調はどんな感じで、何を考えているか、など解らないでしょう。それは人間も自然だからです。
でも、それを認めたくないんでしょうね。
自分の思考とか身体とか、そういったものが自分のものだと感じてしまう。
それらはコントロールできる自由度が高いので勘違いしてしまうんでしょう。
最近、私は自分の体が自分のものではない感覚が強くなってきてます。
フォーカルジストニアもそうですが、腸内細菌とか自律神経とか、奴らは勝手に動いてますからね。記憶だってそうですよ。自動的に序列が決まってしまいます。だから私は人の誕生日を覚えられないんです。ごめんなさい。

さて、そろそろ筆を置きますか。
それでは、皆さまごきげんよう、さようなら。




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