あざとかわいい幸福の味【短いおはなし/大人の百合設定】

祥子の小悪魔的な笑みに、幼いわたしの心は縮まり込む。息をすう、と短く吸い込んだ。なまぬるい息を、肺へと送る。
前を向いていたせいで、下ろしたフォークの先が白い皿の縁から外れ、獲物を掠めることなく手前で当たる音が聞こえた。

「見惚れたの?井坂ちゃんらしいわね」


卵と砂糖の甘い匂いがオーブンから現れた数分前に間接キスをしたせいだと、祥子がキッチンカウンターに立って綺麗に拭いている透明のグラスへ邪な視線を向ける。


「……あんたがあざとかわいくって嫌になるよ」

「ふふ。ありがと」

「ひどいよね。ったく」

「それ、何度も聞いた」

「…………ふんっ。嫌な女」

「ありがとう」

「褒めてないよ」


わたしがわざと小憎たらしく言っても、お構いなしに悠久の時を生きてきたかのように気長い心で受け止める。井坂は惚れている、夢中なのだと、彼女は見越しているのだ。

どこが嫌な女っぷりか説明すると、初めて一緒に呑んだバーの赤いチェアをわたしが気に入ると同じ物を二台注文し、三カ月前に建てたばかりの家に置いて喜ばせ、旦那には会社の取引先で知り合った仲良しのお友達なのよと女神さまのような笑顔で盛大な嘘を吐いたのだ。


おいおい。ど、こ、が。取引先だ。


正式な出会いはこうである。

バーの常連だったわたしの隣の席に祥子が座ったのだ。会話が弾み、わたしたちは意気投合。そのあとはいい感じの雰囲気になって名刺を交わすと、同じビルに入っている者同士だったと判明した。そこから微妙な付き合いが始まり、今に至る。


祥子が焼いてくれたプレーンのシフォンケーキをひと口大に切り、生クリームとミントを絡ませてもぐもぐ食べながら振り返ってみたけれど、

いや、実のところ、わたしの存在を知っていたんじゃないかとすら勘繰ってしまう。狙ったかのように出会い方が巧妙で。重なる逢瀬。惚れさせるために仕掛け、揺さぶる。ギリギリの関係にまで引き寄せてわたしを捕えた。


「ねぇ、井坂ちゃん」


祥子はピカピカに拭いたグラスを棚へ置き、カウンター越しに真正面からわたしの顔を覗き込む。


(う”っ)

あざとかわいい顔を近付けられて胸は高鳴り、口の中に残っていたシフォンケーキの欠片が空気と共に喉に流れ、わたしは顔を背けてげほげほ噎せる。


「ごめんなさい。刺激が強過ぎたわね」


わざと、だ。小悪魔な笑みが物語っている。


「井坂ちゃんてば、かわいいな」

「ッ、祥子は、いじわる女神、だよね」

「素直に嬉しいって言わないの?」

「言わないの知ってるでしょ」

「うん、知ってる」


わたしはこの女神にどこまで捕らわれ続けるかわからないが、今はこの幸福を味わっていたい。


END.


【あとがき】

今回はnoteに登録して以降、初めて「みんなのフォト」から素敵な写真をお借りしました。人物写真を基にみじかいお話を考えたのも初めてです。なにごとも経験ですね…!

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