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SFと〈宇宙人〉、〈宇宙人〉に仮託された形象

 ここでは、有名な"宇宙人が出てくるSF作品"で、宇宙人がどのように表現されてきたかを簡単に整理します。
 ここから五つのSF作品をきっかけにしてぼくの考えを述べていきます。ですが、SFだといって、小説だといって気負う必要はまったくないです。
   「宇宙人ってなに?」
 単にこの問いを考察しただけなので、気楽に読んでください。

 さて、名だたるSF作家の構築してきた宇宙人像というのは決して単純ではなくて、そこには人類が培ってきた宗教観、他者論、政治のダイナミズムなどが深く影響しています。作家たちは、ピュアな空想だけで宇宙人を創造してきたわけではありません。彼らは、宇宙人という仮定の存在に、既存の文化にある属性を(意識的、あるいは無意識的に)当てはめています。そこから、人間社会における諸問題をアレゴリーとしてテーマ化しています。宇宙人を使って、現実を空想しているのです
 
 
以下、小説内のおはなしにはあまり踏み込みません。整理を主眼とするので、詳述はしません。(のはずでしたが、【ソラリス】の項ではドライブがかかって長広舌を振るってしまいました)
とりあえず前置きはここまで。
なんとか最後まで付き合ってくれるとうれしいです。


 

① アーサー·C·クラーク【幼年期の終わり(1952)】

 ここでは、宇宙人は上帝(オーバーロード)として登場します。矮小な人類を飼育する上位存在です。宇宙の超越(神)的存在と人類の中間に立ち、人類が幼年期を終えるため(宇宙におけるおとなになるため)に覚醒を促します。神の使いですね。神の使い。。。うん、これって、天使、ですね。そう、つまり【幼年期の終わり】のオーバーロードは、人類を神の領域へと導く〈天使〉の像をとります。繰り返しますが、オーバーロードは人類の上位存在です。
 
 〈天使〉といえば、一部の宗教画で描かれる翼を持った無垢な赤子の姿が今では周知されていますが、ぼくはこの描かれ方には与しません。天使=Angel=使徒は神の使いとして人類を見守り、正しい道に導く存在です。それを為すには強大な力が必要だと考えるのが自然でしょう。少し話がそれますが、新世紀エヴァンゲリオンでは、生命の実を持つ使徒(Angel)は知恵の実を持つ人類を滅ぼすことで、生命の実と知恵の実両方を手に入れて完全な生命体になろうとします。まあ、エヴァの使徒はいささかぶっ飛びすぎて残忍すぎますが、ぼくには、無垢な子どもの像よりも、エヴァで描かれるように、ときには圧倒的な暴力で人類に試練を与える強大な存在だという方がしっくりきます。どうでしょうか。したがって、ぼくはこの小説における宇宙人オーバーロードを、強大な力をもった人類の上位存在であり、超越の道へと導く存在として、〈天使〉に位置づけます。
 
 あ、そうですね。本編ではオーバーロードは悪魔の姿をしています。ただこれは宗教色をごまかすためのカモフラージュだろうと思われます。が、もうちょっと深読みして別の見方をすると、全体主義的な先導を行う存在としてのオーバーロードへの危険サインとしてその形象を悪魔にしたのかも? 戦後すぐの作品だからそれもあるかな。いや、どうでしょうね。)

② スタニスラフ・レム【ソラリス(1961)】

 レムの【ソラリス】、この小説では、宇宙人は〈他者〉の像をとります。Iに対してのYou-あなた、です。けれど、この小説の提起する他者論はいささか複雑です。(ので少し長くなります、ごめんなさい。ただこれがおもしろいんです)
 
 さて、
 謎の動きをする〈海〉(←今回の宇宙人役です)という生命体に覆われた惑星ソラリスのステーションに到着した男性主人公=ケルビンの前に、かつて死別したはずのパートナー女性=ハリーが現れます。ケルビンは戸惑いますが、実はケルビンの目の前に現れたハリーは、惑星ソラリスの生命体〈海〉が、ケルビンの記憶をもとにしてつくったコピーだったのです。小説内では、ステーション内に現れた、ハリーのような存在しないはずの人間のことを〈客〉と呼びます。〈客〉ですよ。なんだか示唆的じゃないですか?
 
 〈海〉に作り出された存在しないはずの女性•ハリーの存在は、ケルビンを惑わし、精神を蝕みます。かつてのパートナー=ハリーが目の前に現れたばかりに、彼女の死に対するトラウマや悔恨の念が湧き上がってケルビンは悩みます。ラヴ•ロマンス風に、互いに愛情を培ったりもします。ここでのケルビンの苦悩については後述します。
 
 あくまでここで強調したいのは、ハリーが〈海〉の代理人である〈客〉としてケルビンの目の前に現れたことです。超越(神)でも天使でも悪魔でもなく、〈他者〉の姿でケルビンの前に現れます。「〈海〉はハリーを作り出して何がしたいんだ? 俺に何かを伝えたいのか?」。ケルビンにとって〈海〉は研究対象でありながら、まったく意味不明な存在です。その存在様態は理解不能です。では、理解不能な〈海〉によってつくられた〈客〉=ハリーは、はたして理解可能なのでしょうか? そこがケルビンを苦しめるところです。理解不能な〈海〉が作り出したハリーは理解不能な〈客〉でしかないのではないか。そこで培われる愛ってなんでしょう? 本当に分かり合えるのでしょうか? なんか厨二病みたいになってきましたけど、でもこういう思考回路に陥るのって、【ソラリス】の特殊状況だから起こることではなくて、ごくありふれたことではないですか? 言い合いをしてるうちに、相手のことがわけわからなくなって、遠い存在に思えてきて、何か別のいきものに見えてくる。理性がぶっ飛んでるときにはただの肉の塊に見えてきたり、、、ぼくは人間ができてないから、そんなことがときにあります。お前はただ人(〈他者〉)の形をした、理解不能な〈客〉なのではないか? そのような問いがふりかかってきそうです。
 
 はい。
 話を進めるために少しことばの整理をしましょう。
 
 〈客〉という存在、これって何なんでしょう? なぜ〈客〉なの? ぼくは翻訳元の原語が読めないので、訳すにあたってなぜこの〈客〉ということばが使われたのかはわかりませんが、ぼくはこの〈客〉ということばにこだわりたいとおもいます。
 
 〈客〉といえば、現代ではあまりいいことばではないです。「招かれざる客」などといいますが、客はから来ます。客は外の存在です。客体といえば、それは主体(人間、私)に対して外にあるモノを意味します。客体化ということばは、差別を語るうえで頻繁に出てくることばです。客体化、つまりはモノ化。マイノリティの人間から人格をはく奪してモノ化して、人間扱いせず、気持ち悪がり、搾取し、差別し、暴力にさらす。このことは歴史的にも行われてきたし、現在でも苦しんでいる人たちが大勢います。。。ああ、いや、これ以上は言及をやめましょう。このことは重大な問題ですが、本論とズレますのでこれ以上は立ち入りません。
 
 さて、要するに、〈客〉とはよくわからない外部の者なんです。それが、人間の形をして、〈他者〉としてやってきた。理解不能な〈海〉という存在が〈他者〉として〈客〉をつくって送り込んできた。ここで提起されている問いは単純です。〈他者〉は人間なのか。
 〈海〉は人間の理解を拒む存在です。それが〈他者〉として〈客〉を送り出すのです。
これってものすごく深刻な問題提起だと思うのです。ぼくらはそもそも〈他者〉をどう扱ってるんだろう?
 
 この【ソラリス】でステーション内に現れる〈他者〉というのは〈客〉と呼ばれ、人間とは区別されています。人間ではありません。人間の理解を拒む〈海〉に作り出された、よくわからない人間の外部のものである〈客〉。さて、ここまでの論を整理して〈客〉という存在、というかその概念の本質に迫ってみます。
 
 よし、いきましょう。
 Q.〈客〉ってなんでしょうか? 何を表してるんでしょう?
 
うーん、〈客〉。人間の形をしてるけど、人間の外部にいて、よくわからない存在。人間じゃない、人間からしたら客体化された存在だけど、〈他者〉としてケルビンの前に現れた……
 つまり?
 A.つまり、それは客体(モノ)化された〈他者〉ということになるでしょう。客体(モノ)化された存在です。
 そして、
 Q.客体(モノ)化された存在ってなんでしょう。
 A.それは、モノです。モノ化された何かはモノになります。当たり前ですね。
 
 ケルビンにとって〈海〉はいまだ解明できていない研究対象です。研究対象になるのは客体(モノ)です。ケルビンにとって、モノである〈海〉が作り出した〈客〉=ハリーはモノではないと言えるでしょうか? モノである〈海〉が作り出したハリーもモノではないのか? ハリーの人間性を担保しているのは、彼女がケルビンにとって理解可能かどうかです。ケルビンにとって理解不能になったとき、ハリーは理解不能な〈客〉となり、つまりモノになってしまいます。
 
 モノは人格が剥奪されています。モノは思考しません。モノは受動態です。
 
 ここで、この小説からぼくが読み取りたいのは、あなたの隣にいる、あるいは目の前にいる、あるいはLINEでチャットしている相手は本当に人間なのでしょうか、という問題提起です。こう言うと変に聞こえるので言い換えます。あなたは相手のことを一人の人間だと思いやって接していますか? 相手には人格があって、欲望もあって、思考があって、もちろんあなたに対する思いもあります。
 「人間だと思って接している。当たり前じゃないか」。と聞こえてきそうですね。身近な人だとそうかもしれません。
 
 では、使用言語の異なる異国人はどうでしょう。まあ、異国人でなくても、なんか話が通じない人、とか。不条理小説の『エペペ』では、言語学者である主人公がまったく理解不能解読不能で言語学の常識が通じない言語を交わす人々であふれている街に放り出されて、孤独にあえぎます。最初は街行く人々を客体化して眺めているのですが、やがて主人公自身が街から客体化されて孤独と不条理の迷路に取り残されるのです。
 
 ニュースで流れてくる戦争やテロの被害者あるいは加害者に対しては? スーザン・ソンタグの有名な本『他者の苦痛へのまなざし』。これは、カメラの被写体の客体化の問題を論じた本だといってもいいでしょう。メディアは戦争やテロの被害者を撮影するが、そこで被写体になってしまった人々は客体化されて、メディアの都合のいいように改変されます。視聴率やアテンションを集めやすいように、被害者はメディアの作った役割を着せられ、交換可能で典型的な被害者像に押し込められます。ぼくたちは、客体化された〈他者〉の人工的な苦痛をまなざしているに過ぎないのではないか。
 
 このように、人はすぐに相手を自分と対置して、〈海〉のように理解を拒む。あるいは、典型的な人間像に相手を落とし込む。偏見というやつですね。こうやって偏見によって人と対置されてモノにされた人は、騙されて、お金を取られて、暴力を受けて、暴言を吐かれる。そして搾取されきって、孤独になってしまう。人間性が奪われてしまう。
 
 現代において、人のモノ化は急速に進み、孤独になった人々が苦痛にあえいでいます。
 
 ただ、これに関しての処方箋は簡単です。あなたが人のモノ化を防げます。あなたが一人の人間として相手を見てあげるだけで、共感しようと働きかけることで、その人の人間性は回復されます。ただ、それがメディアによって歪められている人々になると、カメラの向こうのオリジナルを透視するなど不可能です。私たちにできることは、被写体が客体化されていないかどうか、アンテナを張っておく。常に疑いの目を絶やさない。このくらいでしょう。
 
 いささか話が飛躍してしまいましたね。説教までしてしまいました。
 
 さて、人は理解不能なことが起きると、対象を客体化=モノ化する。科学はまさにそうやって発展してきましたが、〈他者〉を理解するときはどうだろう。理解不能になると、その人は、自分からは遠ざけられ、自分とは関係ない客体つまりモノになる。理解不能なものと遭遇したときに、人は対象をモノ化するが、それでは対象は理解できない。相手のことを思いやることが必要です。相手の人格を尊重し、相手を一人の人間として尊重し、相手に心を開く。分かりあうこと。
 
 【ソラリス】は、分かりあうことの困難さを表現するとともに、人間社会に常に潜んでいる〈海〉の存在を示唆する。ここまで議論を展開してきましたが、【ソラリス】他者論はこれよりもっともっと壮大なリーチ力を持っています。
 
 ただ、これ以上踏み込むと、この【ソラリス】論が現代社会分析に及び、文化人類学に及び、マルクスの疎外がどうとかなんたらかんたら……もう考えただけで気が遠くなりますね。これだけでシリーズ記事ができてしまうので、それはまた別の機会(たぶんやってきません)に託しましょう。
 
 かなり遠いところまで来てしまいましたが、この記事の主眼は宇宙人を分類することです。まとめましょう。この小説で〈海〉は未知でよくわからない意味不明で理解不能なものの象徴です。そして、その〈海〉が〈客〉という人間のコピーを作り出します。
 ここでは宇宙人は〈他者(それも客体=モノ)〉の像をとります。以上です。
 
 ——ああー、ハリーを前にしたケルビンの苦悩について、後述すると言ってましたね。まあ、これも簡単に。ぼくが言いたいことは、ここまで読んでくれた方にはわかりやすいと思います。
 
 ケルビンはハリーを客体=モノじゃなくて、一人の人間として、愛そうとしたのです。だから苦悩したのです。苦しみながら、愛そうとしたのです。それがハリーの最後の行動につながった……。そのとき、ハリーは人間になったんです。たとえ、〈海〉が作り出した無機質なコピーであったとしても、人間とは組成が異なる肉体を持っていたとしても、ケルビンが人間として愛することで、ハリーはたしかに人間になったのです。


③ カール・セーガン【コンタクト(1986『映画は1997』)】

 ここでは宇宙人との接触が神秘(宗教)体験と重ねられていて、つまりは宇宙人が〈超越(神)〉の像をとる。宗教学者も出てきますしね。以上。あえて言うとしたら映画が素晴らしいとだけ。

 


④ 『メッセージ』として映画化もした、テッド·チャンの短編小説【あなたの人生の物語(1998)】

 この小説は、簡単に言ってしまえば異文化交流です。ここがテッド・チャンのすごいところで、単に相手の宇宙人を客体化するのではなく、相手の中に入り込んで、それを内面化しちゃうんです。そして、自分の世界認識すら変えてしまう。
 
 この小説の宇宙人は、〈他者〉の像をとっています。が、ここでの〈他者〉は客体=モノではありません。相手の言語を理解することで、自分の時間認識を変えていく。【ソラリス】の問題提起を乗り越えています。素晴らしい。
 
 ただ、最終的にこの小説の宇宙人は地球から去ってどこかに行ってしまうのです。けれど、これってなんか恋人みたいな感じしません? お互いに理解しようとして、お互いに影響し合って、けどわかり合えたとおもったときには、お互い別の問題を抱えて離れていく。
(おれの頭の中が少女漫画すぎるからかな……?)

 


⑤ 最近(2024)Netflixでドラマ化もされた話題作、劉慈欣の【三体シリーズ(2008~2010)】

 はい、宇宙人は〈敵〉です。宇宙は暗黒の森であり、身を隠さないと血に飢えた猛獣である他の宇宙人に狩られ、殲滅されてしまう。【三体】の宇宙観-世界観は、異民族や異種族の脅威、そして恐怖を前提としている。結果としてそれは圧倒的な敵意となり、【三体】における宇宙人は疑心暗鬼に陥っている。殺らなければこっちが殺られる。というやつで、ここでは〈敵〉の像をとっています。なぜ敵になってしまうかは、しつこいですが、相手を理解しようとしないからですよ。で、人類は宇宙を拒絶し自らの殻に閉じこもることを選ぶ。ソラリスで提起された他者論は、ここでは退化してしまっていると感じました。だから、あまりにも単純すぎるので、この小説の翻訳が出てすぐ読んだとき、ぼくは世間(というか世界)の評価より冷めた目でこの小説を捉えていたところがあります。(激烈に面白いことは紛れもない事実なのでそこは理解したうえでですが)
 
 ただ、その評価もここ数年で変わりましたね。変わらざるを得ない。
 
 この世界自体が退化していたのです。
 
 いや、世界はそもそも進歩なんてしていなかったのかもしれない。
 
 この小説が発表されて以降、この世界で何が起こりましたか?
 
 
 コロナ禍では、誰がコロナ感染者かわからない、誰にうつされるかわからない。そうやって社会を疑心暗鬼にしました。そしてそれが政府による数々の愚策を生み出しました。もう忘れている方がほとんどだと思うのですが、やはりあのときは異常な社会状況だった。
 
 ロシアによるウクライナ侵攻。プーチンは彼の中で冷戦の構造を引きずったまま、資本主義諸国がロシアを抑圧して脅かそうとしていると疑心暗鬼になり、ウクライナに侵攻しました。
 
 ガザではイスラエルとハマスが戦闘しています。異なる宗教を信じる異民族同士が聖地を奪い合い、敵意が暴挙を加速させているのです。
 
 また、世界中で、異国人や移民に対する憎悪が膨れ上がって人々はグローバル化に対して反動化、そして極端で排除的な保守主義に走る人が増えています。【三体】の人類じゃありませんか。
 
 今や、世界は敵と味方に分断されています。「お前はどちらにつくんだ?」。ぼくたちは、どちらの味方なのか、誰を敵と認めるのか、と常に立場表明を迫られてしまうという異常状態が続いています。
 
 【三体】が発表された中国はどうでしょうか。これからも、は生まれ続けるのでしょうか。劉慈欣は、中国にいて、自国がアメリカと対立を深める中で、リアリスティックに現実を捉えていただけなのでしょうね。それは世界の現実でした。


 戦争に巻き込まれている人々の苦しみがひとときでもはやく取り払われますように。
 
 世界がこれ以上暗黒森林と化さないことを、そして、を乗り越えられる世界が訪れることを願いましょう。いや、願うだけじゃだめですね。自分にできることは何か、探すことから始めなければなりません。
 


以下余談。

 ・いまや陰謀論の中で流布されているレプティリアン(ヒト型爬虫類)は人類を支配する上位存在として語られています。彼らはゴムマスクを被って大物たちになりすましているらしいですよ。
 ・映画【E.T(1982)】での、少年と地球外生命体との暖かな交流は、種族·民族·国籍を超えた友情(の称揚)のアレゴリーともいえるでしょう。
 ・あと、フィリップkディックのアンドロイドの形象も面白いですよね。ディックは他者の不気味さをアンドロイドに仮託しながらも、自己と他者の境界の曖昧さを追求した作家でもありました。

 とりあえずこのテーマで書きたいことはここまでかな。
 以上。
 
 最後まで付き合ってくれてありがとう。
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 コメントも待ってます! みなさんとたくさんお話がしたいです!
 これからもたくさんおもしろい記事を書いていきます! ぜひフォローの方もよろしくお願いします! 
では、次の記事で。


追記・コメントへの返信

 れがさん、コメントと評価ありがとうございます。ほんとにありがとうございます。
 「同格」という分類に関しては、盲点でした笑 ちょっと考えると、自分の中では「他者」の中にその「同格」にあたる宇宙人も入れてしまっていました。今考えると、たしかに自分の規定した「他者」という分類は曖昧なので、かなりいろんなタイプの宇宙人を放り込めちゃいますね。んー、ただ、「同格の宇宙人」は、人間の表象としては「他者」に入れたくなります笑(「同格」の意味の捉え方が間違っていたらすみません)。自分と似た価値観や思考様式を持った民族や種族の反映と考えると、やっぱり自分を映す鏡としての「他者」なのかな、と。「他者」の中で細分化するのがいいのかもしれません。「同格の他者」「客体化された他者」など、もっと洗練できそうですね。

 そして、分類の階層化に関して。
 とっても面白いです! れがさんのそのコメント一つで記事にできちゃいますよ。やっぱりぼくが用意した分類は大ざっぱすぎて、穴だらけなのがわかりますね笑 ぼくの限界を突きつけられました笑 ただ今のぼくには複雑
で難しすぎるので、宿題として受け取りました笑
 
 ぼくが書いた拙い記事に貴重な考察を頂けて本当にうれしいです。より広い見識を持つことができました。またSFを見たり読んだりするのが一層楽しくなります。本当にありがたいです。

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