チャイルドケア研究所

地球を母とするすべていのちを「チャイルド」とし、いのちのケアを考えて実践していくことを…

チャイルドケア研究所

地球を母とするすべていのちを「チャイルド」とし、いのちのケアを考えて実践していくことを「チャイルドケア」としています。自然療法と家庭教育をホームケアやライフスタイルに取り入れるために、様々な視点で探求することを目的に「チャイルドケア研究所」を立ち上げました。

最近の記事

納得するまで考える

 学校教育から引き続いている「クセ」で大人になってからもその「クセ」で思考の使い方に偏りがある人が多いように思います。この一文だけでは誤解されそうですが。いわゆる「答え」があって、それが出るまでの流れを覚えていくことが「勉強」だと思っている。だから大人になっても、「答え」を求める「クセ」が抜けない。  確かに答えを覚えればテストの点数が良くなるから、テストの点数さえ良ければ勉強ができると思っているから、覚えますよね。でも本当にそれだけでしょうか?  勉強できるからといって

    • マスク下の「表情」が見えない危険

      マスク着用が今は、感染防止というよりも「マナー」としての着用に切り替わりつつあります。 そして、いつのまにかスッピン隠しの顔隠しとして利用している人も多いようです。 私自身は肌が弱く、マスクですぐに肌かぶれをしてしまい、 ここ数か月はずっと肌荒れに悩んでいます。どの素材にしてもかぶれる。 素材に気を付けてお手製のマスクを作っても、かぶれます。 できることなら、マスクは外したい派。 ここなら大丈夫??と常に周りを気にしながらすきを見てマスクを外しています。 マスクの感染防止

      • おかあさん、それだけで素晴らしい

        チャイルドケアを作った目的は、 自然療法や家庭教育を伝えることではなく、 それは2番目でした。 いちばん最初に伝えたかったことは、 「おかあさんになった人は、それだけで素晴らしい」っていうことを ただわかってほしかったから。 私自身、「おかあさん」になれたことがとてもうれしくて、 責任を持つことももちろん大事だけど、 それ以上に、私の体を通して、生命が誕生したということに とにかく感動したのです。 子どもに対して、感謝しかありませんでした。 私を選んできてくれたんだと・

        • 手をつかうこと

          人間ほど、「手」を上手に使える生き物はいないのではないのではないでしょうか? つまり、人間は「手」をどの動物よりも使うためにあるもの。 「手」を使わなくてはいけないとも思うのです。 シュタイナー教育も手を使う「手仕事」を教育に取り入れているけれど、 私自身シュタイナーを学ぶ以前から、「手」を使うことの大切さを感じていました。 幼い時から、あらゆるものを作り出す「手」に、とても興味がありました。 小さい時から絵を描いたり、工作をしたり、庭で砂遊びや泥団子遊びをしたり、母に教

        納得するまで考える

          深める←「人(自分)」→広がりつながる

          チャイルドケアは、発起人であり、提案者である 松本美佳の考えで体系づけたものです。 大げさに言えば、松本美佳が考え、行動、提案するものはすべて 「チャイルドケア」でもあります。 この考え、思いを広く伝えるために、 通信講座やWEB講座で合理的に効率よく伝えてきました。 しかし、その一方で、カリキュラムから外れたものを 個人活動として、 対面で行うワークやセッション、セラピーで 「チャイルドケア」として並走してきました。 CC研究所では、 こだわるのは【人(いのち)の調和】

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          チャイルドケア私の取り組み

          チャイルドケア=いのちのケア 全てのいのちは、誰かの子ども 「チャイルドケア」はいのちのケアを考えていくものです。 そんなチャイルドケアは、そもそも私が作った学習体系と概念です。 特別な内容でも私が新しく考えたものではなく、 基本的な自然療法と家庭教育を取り入れた ライフスタイル提案。 「チャイルドケア共育協会」と私が代表とする「チャイルドケア研究所」で行っています。 組織で行うことと、個人的な見解で行うことと分けています。 どちらも当然、私が作っているチャイルド

          チャイルドケア私の取り組み

          い・の・ち

          最初の投稿で、いきなりのお題ですが。 私にとっては今までも、そしてこれからも これが自分のライフワークテーマ。 30年前に出産とともに、「いのち」にフォーカスしたとき、 それは「奇跡」であり、 また限られた時間という枠を超えて「永遠性」だということに気づいた。 そして、そのいのちは、 「生活」になり、「循環」であることに気づき、 今は、母の介護をしながら、さらにいのちの看取り方が課題になっている。 チャイルドケアは、小さな子どものケアではなく、 全てのいのちは誰かの子ども