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納得するまで考える

 学校教育から引き続いている「クセ」で大人になってからもその「クセ」で思考の使い方に偏りがある人が多いように思います。この一文だけでは誤解されそうですが。いわゆる「答え」があって、それが出るまでの流れを覚えていくことが「勉強」だと思っている。だから大人になっても、「答え」を求める「クセ」が抜けない。

 確かに答えを覚えればテストの点数が良くなるから、テストの点数さえ良ければ勉強ができると思っているから、覚えますよね。でも本当にそれだけでしょうか?

 勉強できるからといって、正しい行動ができるわけではないし、幸せであるとは限らない。

 テストの点数は良くても、生きづらそうで、いつも悩んで幸せを感じられない人もいます。周りの目を気にしていて、それに合わせることに一生懸命で自分の心が追い付けなくなってしまう人もいます。

 その「答え」は上からの情報や知識であったり、多数決的であったり、同調的なものが多い。その方が楽だし、その方がうまくいくことが多かったから。でもそれは知識の覚え方であって、知恵や内観から生み出されるものではないことが多い。「答え」を求めがちの人は迷いも多いのは、わかっていても、納得はしていないから。納得しないまま「答え」だけを覚えて行動しているから、そのギャップや歪が調整できなくなったときに心に影響してしまうのかもしれません。しょせん自分の答えじゃないもの。

 もう、そんな思考グセは、一度手放さないと。「テレビで言っていたから」「本に書いてあったから」「みんなが良いって言っているから」「著名人が言っていたから」とあっさり流されないで、そこからもう一回自分で考えて答えを出すということ。このワンステップをちゃんと踏まえないと、いつも誰かの答えに合わせて、誰かの答えに沿って、誰かの答えを待っているだけになってしまう。

 良いと思うことが本当に良いのか?あえて自分にもう一つ課題を突き付けて考えてみること。この一歩がとても大事だと思うわけです。
 たとえ、それが人と違ってもいいと思います。自分で納得していれば。納得した答えが出せれば後悔は少ないはず。それが誤ったと気づけば、頑固に押し通すのではなく、ただそれを訂正していけばいいだけのこと。自分の答えが出せないまま周りに同調して合わせていく「答え」は依存的になり、そして最終的にそういう答えに支配されていきます。

 「考える力」をつけて納得してことは、生きる力になり、自信につながります。安易な答えを出さずに長いものに巻かれないように考えて、納得して、行動していくことです。

  考えて、納得して、それが少数派の「NO」という答えであっても、恐れずにその不安のフィルターを突破できる勇気を持てば、きっと新たな思考でその先に進めるはずです。流そうとしている社会のしくみ。そこに流されそうになっている社会の現状。地に足を付けて、頭ではなく、腹まで落とし込んだ考えをもって行動していきたい。正しい答えなんて幻だと思うのです。常に正しさは変動してしまうもの。どれが正しいか否かなんて、誰も分からないけれど、随時自分で納得して答えをだしていくことが、これからは求められると思います。それがまず、強く生きていくということにつながるから・・・・と思います。


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