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手をつかうこと

人間ほど、「手」を上手に使える生き物はいないのではないのではないでしょうか?
つまり、人間は「手」をどの動物よりも使うためにあるもの。
「手」を使わなくてはいけないとも思うのです。

シュタイナー教育も手を使う「手仕事」を教育に取り入れているけれど、
私自身シュタイナーを学ぶ以前から、「手」を使うことの大切さを感じていました。


幼い時から、あらゆるものを作り出す「手」に、とても興味がありました。
小さい時から絵を描いたり、工作をしたり、庭で砂遊びや泥団子遊びをしたり、母に教わって手芸をしたり、料理をしたりしていました。
手作業や手仕事が好きなんですね。

母は、私にピアノを習わせたくて、近所で教室がなかったために、自宅にピアノの先生を招いて、ピアノ教室を開いていました。残念ながら、ピアノはそんなに上手にならずでしたが、いろいろなことをやっていたおかげで、それが全部今の「チャイルドケア」に活かされているように思います。

最近の子どもたちを見ていると、デジタルなものを扱うのは得意だけれど、手を使うことが減ったために、上手に手を使えていないように思います。
そしてそれは、親や保護者の手の使い方にも明らかに原因があるようです。

タッチケアを指導するときに、その手の動かし方が年々ぎこちなくなっていると感じます。教科書通り手は動いているのだけど、確かに間違ってはいないのだけど、心に感じないのです。「手」の感覚を心で受けとめられなければ「タッチケア」とはいえません。

その理由に共通するものは、やはり日々の中の「手仕事」「手作業」の少なさ。

・冷凍食品やレトルトなどを利用することが増えた
・すでにカットされた野菜や魚などの食材を使うので包丁を使わなくなった
・使い捨てのウエットシートを使って掃除するので、雑巾がけをしない
・洋服も安価で買えるから、破れても繕うこともないから針仕事もしない
・「手仕事」「手作業」をしない便利グッズが増えている
・メールやパソコンの普及でペンで文字を書く習慣が減っている
・その他

 全部、私にとって面白いと思われることは省かれていますね。
手をかけることは、それだけ「手」の機能を高めているのだから、本当はとってもありがたいことなんですね。そして、そういうことをたくさん繰り返すことで、「手」の感覚や、微妙な動きができるようになります。
 私は職人さんの「手仕事」「手作業」を見るのが好きです。本当に素晴らしくて、人間の持っている「手」の能力に感動します。

 私がタッチケアを指導するときは、生活の中の手仕事の感覚を想像してもらうのです。
拇指(親指)で軽擦(軽くなでさする)強擦(強めにさする)と文字で書いてあるだけでは、そのバリエーションはたくさんありますから、
伝わりにくいのです。


例えば

・赤ちゃんのほっぺについた砂をていねいに払う感じ
・折り紙を二つに折って折線をしっかり折るときの感じ
・イワシの手さばきではらわたを取るときの感じ

親指の腹の微妙な角度や使い方や力加減は全部違います。
生活で手を使っていると、こういう微妙な使い方を
自然に習得しているのです。

タッチケアが上手になる方法は、生活の中でたくさん「手」を使うことです。そうすると頭ではなく、自然に体の方がどのように触れたらよいのか自然にわかるのです。

あらゆるものに積極的に触れてみる、手でできることは道具に頼らないなど、一見「面倒くさい」と思われることもあえて踏み込んでみてください。意外に面白いんです。「手」が使えるようになるってことは。

使い方がわからず、不器用になっていて、思うように動かないから、「面倒くさい」になってしまうのです。動き出したら下手な道具より、やっぱり「手」がいいのです。

ただ、最近は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために
「触れてはいけない」という
触れることに罪悪感や恐怖を与えている風潮があります。

これは、誤った認識を広げることになりかねません。

「手」を使わないと、「心」も育っていきません。
そのことも次回お話したいと思います。 


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