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第136号(2021年7月5日) クリミア沖での英露鍔迫り合い、ロシアの新型弾道ミサイル ほか


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【インサイト】クリミア沖での英露つばぜりあいから考える国際海洋法秩序

 前回の編集後記でも触れたように、先月はクリミア沖が熱くなっていました。
 ウクライナのオデッサ港に寄港した英45型駆逐艦ディフェンダーが「ロシア領」(つまりクリミア半島の沖合)を航行しているとしてロシア側が退去を要求。これに応じないディフェンダーに対してロシア沿岸警備隊が威嚇射撃を行った上、Su-24戦闘爆撃機が針路上に爆弾4発を投下した---とされる事件です。
 要はクリミア半島をロシアが実効支配していることが根本的な問題であるわけですが、それにしても外国の軍艦に対して随分なやり方だという印象は拭えません。私の乏しい知識からしても、「そもそも領海って外国軍艦であっても無害通航できたんじゃないの?」という疑問も浮かびます。
 というわけで今回は国際法に強い軍事ライターの木村和尊さんにこの辺の事情を解説いただくことにしました。木村さんにはベラルーシでの旅客機強制着陸事件で「空の自由」について説明してもらいましたが(第131号)今回はその続編として「海の自由」を取り上げてもらいましょう。


ロシアが脅かす国際海洋法秩序
-HMSディフェンダー事件を受けて-
木村和尊

●黒海で一体何が起きたのか
 2021年6月23日、ロシア国防省はクリミア半島沿岸から約19kmの地点を航行していた英海軍45型駆逐艦「ディフェンダー」に対し、ロシア国境警備隊艦艇が追尾・警告射撃を行い、ロシア海軍航空隊Su-24が爆弾を進路上に投下したと発表した。
 他方、英国防省は同日Twitter上で

「ディフェンダーに対する警告射撃は無かった。英国海軍の艦船は国際法に従い、ウクライナ領海を無害通航している。」
「我々はロシアが黒海で砲撃演習を行っており、海事コミュニティにその活動について事前に警告を与えていたと信じる。ディフェンダーに向けられた砲撃は無く、爆弾がディフェンダーの進路に投下されたという主張は認識していない。」

との内容の声明を発表した。


 このように、黒海で起きた今回の事案は、英露の主張が真っ向から食い違っている。
 では、実際のところはどうだったのか。ディフェンダーにはBBCのジョナサン・ビール防衛担当編集委員が同乗取材を行っている。彼の報告によれば、追尾してきたロシア国境警備隊艦艇2隻のうちの1隻がディフェンダーに約100mの距離まで接近する場面があったほか、「遠くで発砲音がした」、「ロシアのジェット機は航行を続けるディフェンダーを威嚇した」とのことである。爆弾投下に関する報告は確認できない。


 また、ロシア連邦保安局(FSB)は24日、国境警備隊艦艇から撮影した映像を公開し、そこにはAK-630 30mmガトリング砲にて警告射撃を行う模様が記録されている。しかし、爆弾投下を行ったシーンは含まれていない。


 英国防省の主張と異なり実際には警告射撃は行われており、そしてロシア国防省の主張と異なりディフェンダーの進路上に爆弾は投下されなかった、というのが実情のようだ。狐と狸の化かしあいのような老獪な両国の外交の一端を示していると言えよう。

●無害通航とは何か
 英国の言う「無害通航」とは一体何であろうか。
 外国船舶は他国領海内において、沿岸国の法益を侵害しないことを条件に、沿岸国の許可なしに領海を通航する権利を持ち、これを無害通航権という。ディフェンダーはこの権利を行使したのだ。
 無害通航権は19世紀には不文律である慣習国際法として認められており、国連海洋法条約(UNCLOS)第17条〜32条に詳細な規定がなされている。
 軍艦に無害通航権が認められるかどうかは学説が分かれているが、米ソは1989年に「無害通航に関する国際法規範の統一解釈」と称する共同声明を出し、軍艦が無害通航権を有するとの解釈を示した。ロシアもそれを踏襲しているし、先に紹介した英国防省のツイートからも明らかなように、英国もやはり軍艦には無害通航権が認められるという立場だ。
 今回の一件の当事国二国とも、軍艦の無害通航権を認めていると整理できる。
(ちなみに、日本は軍艦の無害通航権は認めるが、非核三原則に基づき核兵器常備艦の無害通航は認められないとする立場である)

●現場海域はウクライナ領海内
 さて、今回の一件はクリミア半島沖19kmの地点で発生している。これはすなわち、ウクライナ領海内で起きた事案であることを意味する。
 ご承知の通り、クリミア半島は2014年にロシアが武力により不法に占拠しその状態が今もなお継続している地域であり、国際法上はウクライナ領のままである。先述した英露の軍艦の無害通航権への見解と合わせ、「ウクライナ領海内で無害通航」との英国の主張は妥当だと言えよう。
 平たく言えば、「ロシアにはそのような事を言う資格は無い」のである。
そして、他国の領域内での同意なき力の行使が許されないことは、国際法上の大きな原則である。ウクライナ領海内に国境警備隊艦艇を侵入させ、無害通航権を行使し航行中のディフェンダーを追尾し警告射撃を行ったこと、並びにSu-24で示威飛行を実施した事は、ウクライナの領域主権の侵害であり、明確な国際法違反である。「非はロシアにある」のだ。
 なお、当該海域がロシア領海であると仮定した場合の国際法上の論点整理は、稲葉義泰氏の下記の記事に詳しい。「英露がクリミア沖での軍艦の通航めぐり応酬 警告射撃に示威飛行…非はどちらに?」


●海洋法秩序を脅かすロシア
 今回の一件でロシアは、ウクライナ領海内での無害通航権の行使という海洋法上の当然の権利を踏みにじろうと試みたと言える。国際海洋法秩序をロシアは脅かしているのだ。
 これは我が国にとっても他人事ではあるまい。日本は「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」を掲げているが、その実現に向けた三本柱の第一項目は「法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着」とされている。FOIP実現の為には、開かれた国際海洋法秩序が不可欠なのだ。今まではそれを中国が脅かしてきたが、今度はロシアも同様の立場に立ったと言える。
 日本が掲げた大戦略である「自由で開かれたインド太平洋」実現の為にも、今回のロシアの暴挙は許してはならず、開かれた国際海洋法秩序実現の為にG7諸国らと連携し行動せねばならないと言えよう。
(了)

 今回のディフェンダー事件については、海軍分析センター(CAN)のドミトリー・ゴレンブルグが詳細なコメンタリーを発表しているのでこちらも紹介しておきたいと思います。

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