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第131号(2021年5月31日) ベラルーシ強制着陸事件が脅かす国際秩序


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【インサイト】ベラルーシ強制着陸事件が脅かす国際秩序

 昨年からどうにも荒れ模様の旧ソ連諸国ですが、今月23日には、ベラルーシ政府が民間航空機を強制着陸させ、搭乗していたベラルーシ人の亡命ジャーナリストを逮捕するという事態が発生しました。
 今回は国際法に強い軍事ジャーナリストの木村和尊さんに、国際法秩序という観点から解説を願いましょう。後半では、小泉が今回の事態の背景を読み解きます。


「ベラルーシの民間航空機強制着陸が脅かす国際秩序」
木村和尊

ベラルーシで何があったのか
 もしあなたの搭乗した旅客機に外国の戦闘機が追いついてきて、見知らぬ国の空港へ強制着陸させられたらどうだろうか。そのような事態が、実際に東欧のベラルーシで発生した。
 事件が起きたのは2021年5月23日。ベラルーシ当局が「機内に爆発物が仕掛けられている」とし、領空を通過中のギリシャ発リトアニア行きライアンエアーFR4978便を首都ミンスクの空港に強制着陸させた。強制着陸にあたっては、同国のMiG-29戦闘機が緊急発進し、同伴した。当該機の着陸後、乗客のポーランドを拠点に活動するベラルーシ反体制メディア「NEXTA」元編集長のロマン・プロタセヴィチ氏がベラルーシ当局に拘束された。当該ライアンエアー機は機内に爆発物が無い事が判明し、強制着陸から7時間後、リトアニアに向け飛び立った。

シカゴ条約とは
 この一件に関し、国際民間航空機関(ICAO)はTwitter上で「ICAOはライアンエアーのフライトとその乗客の明らかな強制着陸を強く懸念する。これはシカゴ条約に違反している可能性がある。」と表明した。


 では、そもそもシカゴ条約とはいかなる条約なのだろうか?
 シカゴ条約とは1944年国際民間航空条約の通称である。民間機が他国領空を飛行し、他国領域で離発着することができる「空の自由」を保障するものだ。2020年7月現在、193カ国がシカゴ条約に加盟しており、ベラルーシもその一国である。
 シカゴ条約のうち、とりわけ重要なものは第三条の二である。以下、実際に条文を見てみよう。(東信堂「ベーシック条約集」2021年度版より引用)

第三条の二(武器の不使用)
(a)締約国は、各国が飛行中の民間機に対して武器の使用を差し控えねばならず及び、要撃の場合には、航空機内における人命を脅かし又は航空機の安全を損なってはならないことを承認する。この規定は、国際連合憲章に定める国の権利及び義務を修正するものと解してはならない。
(b)締約国は、各国がその主権の行使として、その領域の上空を許可なく飛行する民間航空機に対し又はその領空の上空を飛行する民間航空機であってこの条約と両立しない目的のために使用されていると結論するに足りる十分な根拠があるものに対し指定空港に着陸するよう要求する権利を有し及びこれらの民間航空機に対しこのような違反を終止させるその他の指示を与えることができることを承認する。
 このため、締約国は、国際法の関連規則(この条約の関連規定、特に(a)の規定を含む。)に適合する適当な手段をとることができる。各締約国は、民間航空機に対する要撃についての現行の規則を公表することに同意する。
(c)すべての民間航空機は、(b)の規定に基づいて発せられる命令に従う。このため、各締約国は、自国において登録された民間航空機又は自国内に主たる営業所若しくは住所を有する運航者によって運航される民間航空機が当該命令に従うことを義務とするために必要なすべての規定を自国の国内法令において定める。各締約国は、そのような関係法令の違反について重い制裁を課すことができるようにするものとし、自国の法令に従って自国の権限のある当局に事件を付託する。
(d)各締約国は、自国において登録された民間航空機又は自国内に主たる営業所若しくは住所を有する運航者によって運航される民間航空機がこの条約の目的と両立しない目的のために意図的に使用されることを禁止するために適切な措置をとる。この規定は、(a)の規定に影響を及ぼすものではなく、また、(b)及び(c)の規定を害するものではない。

 このように、シカゴ条約第三条の二においては、民間航空機に対し武器の使用を差し控えねばならないこと、要撃の場合には航空機そのもの、そして航空機内の人命を危うくしてはならないことが規定されている。民間航空機に要求できるのは、あくまで指定空港への着陸等の指示であり、戦闘機に搭載される機関砲やミサイルといった武器の使用は基本的には許されないのである。
 民間航空機に対する武器の使用といえば、1983年の大韓航空機撃墜事件を連想する読者も多いだろうが、このシカゴ条約第三条の二は、まさにこの事件を契機として制定されたものだ。多くの人命の犠牲の上で、新たな国際法が制定されたのである。

そもそも虚偽だった可能性が高いベラルーシの主張
 ベラルーシ当局の対応を、シカゴ条約第三条の二に照らして検証してみよう。まず、(a)に関しては問題が無いと思われる。当該ライアンエアー機はベラルーシ空軍のMiG-29戦闘機に要撃されたものの、機体への射撃・警告射撃といった行為は行われなかったからだ。
 しかし、(b)に関してはどうであろうか。確かにベラルーシ当局の「機内に爆発物が仕掛けられている」との言い分をそのまま受け取ると、(b)に関しても問題は無いと言える。当該ライアンエアー機は「その領空の上空を飛行する民間航空機であってこの条約と両立しない目的のために使用されていると結論するに足りる十分な根拠があるもの」に該当し、戦闘機による要撃、指定空港への着陸指示も容認される。
 問題は、ベラルーシ当局の言い分が虚偽である可能性が極めて高いことだ。
 冒頭で述べた通り、ライアンエアー機内では爆発物は見つからず、ロマン・プロタセヴィチ氏が拘束されている。「機内に爆発物が仕掛けられている」とのベラルーシ当局の言い分はプロタセヴィチ氏拘束のための方便と見るのが妥当であろう。
 従って、ライアンエアーFR4978便はシカゴ条約第三条の二が言うところの「その領空の上空を飛行する民間航空機であってこの条約と両立しない目的のために使用されていると結論するに足りる十分な根拠があるもの」には該当せず、ベラルーシ当局は要撃の権利を有しない。ベラルーシ当局はシカゴ条約第三条の二、特に(b)項へ違反したと筆者は見る。

「空の自由」を踏みにじるベラルーシ当局
 世界中の航空機を地図上で追跡できるアプリ「フライトレーダー24」を眺めると、今回の一件を受け、ベラルーシ領空を迂回する航空機が数多く存在することに気付かされる。まるでベラルーシ上空にぽっかりと穴が空いているようだ。「ベラルーシ領空は安全に飛べない」との認識が多くの航空会社に共有されているのだ。
 今回の一件で、ベラルーシ当局はシカゴ条約で保障された「空の自由」を踏みにじったと言える。東ヨーロッパの中央部に位置するベラルーシの領空は、多くの航空機にとりヨーロッパとアジアを繋ぐ空路の一部として用いられてきた。日系航空会社に属する航空機も例外ではなく、日によってはベラルーシ領空を通過し欧州の各都市へ向かう。日本にとり、今回の一件は決して対岸の火事ではない。
 例えば、ロシアがシベリア上空で同じことをしたらどうなるだろうか。中国が本土上空や南シナ海といった領域で同様の行為に出たらどうなるだろうか。「空の自由」は崩壊すると言っても過言ではないだろう。日本から欧州に向かう便に搭乗した方ならばお分かりだろうが、現にロシアは領空を通過する飛行機の乗客のパスポート番号を提供するよう求めている。ベラルーシの一件のような事態を避けるべく、日本はG7諸国らと連携し、「空の自由」を守るべく行動すべきだ。
(了)

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