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何が羨ましいのか気付いた話

時々、自分の抱く感情が醜くて嫌気がさす。

毎日を全速力で駆け抜けて
息切れした時に立ち止まって見る景色は
いつしか、いつもSNSになっていた。

「おいしいスイーツが食べたいな」
「次の休みこそは、遠出したいな」
「ちょっと贅沢したいな~」
とか考えると、
SNSを見て参考にするルーティンが完成している。

そして、実際にSNSを開くと
「みんな、どうしてるんだろう、、、」

本当に付き合いの濃い友人、
なんとなく繋がっている同級生、
昔の同僚など、
同じ時間を生きる皆がどう過ごしているか、
疲れた心で、ガードを張らずに見てしまう。


SNSはあくまで、人生の一部を切り抜いているだけ。
その一部分の切り抜きが
あたかもその人の人生すべてのように見える。
発信している人は
そう見せたいと思っているのかもしれないけれど。

それはまるで風刺画のようにも思える。

こんなに素敵なお料理、
こんなに素敵なお部屋、
こんなに素敵な旅行、
こんなに素敵な家族、

私自身、人の投稿を見て
僻みのような感情が芽生えることもある。
嫉妬する気持ちがゼロというわけではない。

しかしながら、
その人と人生を交換したいか?と問うと
決して、交換したいとまでは思わない。

ではなぜ、嫉妬するのか?
昨日やっと、私は気付いた。
今、この瞬間を必死に生き過ぎて、
「SNSに素敵な投稿をする余裕があること」に
嫉妬しているんだと。

私の日常の中には
写真を工夫して撮影して
コメントを書いて投稿する
時間も心も余裕がなくなっていることに気付いた。

育児、家事、仕事に追われ、
自分が勉強する時間も自分で確保する。
時間が惜しい。
時間が足りない。

本当は家族も料理も仕事も大好きで
時間をかけて関わりたい。
けど、同時に自分だけに割ける時間も欲しい。

私は本当に欲深い人間だ。

私の母は「あなたは贅沢」という。
そんなことは自分が一番知っている。
誰に言われなくても。

フェミニストでもないけども
生き方はそれぞれだし。
選ぶのはどんな時でも自分自身。

投稿されている料理も部屋も旅行も
確かに、いいな~と思う。
しかし本当は、
その投稿ができる時間や
心の余裕があることに、いいね!と
押している自分がいるようにも思える。

キャリコン試験が7/3に終わったら
少しだけ、ゆっくり過ごそう。



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