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Cの時代 〜出逢い〜

10月最後の金曜日。
アミカさんに呼ばれ、渋谷に来ていた。夕暮れのハチ公前広場は相も変わらず人でごった返している。習い事をしている場所が宇田川町なので、渋谷を使うことは少なくなかったが、こうして人と待ち合わせをするのは久しぶりだ。JR山手線の改札前でぼんやりと突っ立っていると、道行く人々が肩で風を切って移動しているのが分かる。その速さは歩くというより強歩だ。
普段の自分もあんな感じなんだろうな。せわしなくて、焦っていて。1分1秒、限られた時間を無駄使いしないよう、必死だ。必死で、必死で、必死で…そんなに必死で、私たちは一体何を手に入れたいのだろう。
そんなことを考えていると、ポケットの中のスマートフォンが小刻みに震えた。手を突っ込んで画面を振れる。アミカさんからLINEが来ていた。もうすぐ、集合する時間だ。どうしたのだろう。アプリをタッチして一番上に来たトークを開く。すると、

「ごめん、今日いけなくなっちゃった…私の上司が来るはずだから、ここに向かってもらっていい?https://www.・・・」

えええ?!
スマートフォンを持ったまま愕然とした。
アミカさんが来られないなら、別日で設定してくれても良かったのに。
初対面の会社の社長(しかも、スタートアップの)と二人で会うなんてどうしよう…私服で良いと言われたから、いつもの服装で来てしまった。
今から着替える、なんてもちろんできない。仕方ない。服装のことは突っ込まれたら、潔く謝ろう。

帽子を深くかぶり直し、短く息を吐いた。

スマートフォンで指定されたURLのお店に向かった。
名前の聞いたことあるようなないような小料理居酒屋だった。食べログに載っている値段は3999~4999円、評価は☆3.5。一応現金とカードは持っている大丈夫だ。

代官山方面に行く坂を上り、目的地へ到着した。店の中に入っていく。いらっしゃいませ。品の良い年増の女性が暖簾を潜り出てきた。待ち合わせなんですけど、と会釈すると、彼女はにっこりと微笑んで私を席に通した。そこは半個室になっており、襖のような木の引き戸がついていた。まだ、社長は来ていないらしい。私は帽子を外しながら奥のソファ席に座り、きょろきょろと辺りを見回した。
人を待っている時間、というのはやけに長く感じる。私は決してその時間が苦手ではないが、初対面となれば話は別だ。しかも、食事の席。一体、大の大人とどんな話をすればよいのだろう。あまり堅苦しくてもいけないし、かといって砕けすぎるのもいけない。うーん、困った!

手汗を拭こうと、脇に置いてあったおしぼりに手を伸ばした。その時、

「あー、遅れてごめんねぇ」

間延びした謝罪と共に、扉が開いた。慌てて手を膝に戻し、背筋を伸ばす。

「あっ、いえ、大丈夫です。初めまして、いつもお世話になっている……」

そういうセリフが、口からさらさらと出てくるはずだった。
けれど、彼を見た途端、全てが吹っ飛んでしまった。
あんぐりと口を開けたまま、私は何も言えなかった。

失礼なやつ、と思ったことだろう。けれど、彼はにっこりと微笑んで、頭を下げた。

「初めまして。河原です」

デニムのジャケットに、黒いリュック。
ご柄だが、小洒落た雰囲気。

間違いない。
アミカさんの上司の河原さんは、あの、おじさんだったのだ。

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