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俺がが生きてて歩いたた後にに尾がが引いてててってとってもも気持ちが悪いい。。

先日、大学時代の旧友と再会した。

もしかしたら5年以上、もっともしかしたら10年くらい会ってなかったかもしれないけど、全然変わってなくて会わない間も友達でいてくれたような気持になってうれしくなった。

変わらないと言いつつもやはり年取ったなぁと感じるのは昔話や近況報告が割と飲みの席での会話のメインディッシュになっているというところ。

魔ァ自分はマメに連絡を取るタイプでもないし、サークル連中の仲良かった腐れ縁たちともここ5年以上は連絡取り合ってないし、連絡先すら知らなかったりする(最近では割と落ち着いたけどスマホを水没させたりぶっ壊すことが多く、そのたびに連絡先がリセットされるのだ!)

と、いった習性が自分にはあるため、やはり情報ツウでもないし、なんならTwitterもFacebookもInstagramもほとんどやっていない。(tiktokだけは見てる)
あるのはこの駄文を量産する為に作られたnoteだけなので、他人や友人が何をしているか特別興味もないし、生きてるかスラも知らないので自ずとそういう話を聞いてしまっていたりする。つまり、興味がないと言いつつもやはり少しは聴きたい気持ちがあるというわけね。

これは友人に対して突き放して興味がないと言ってるわけではなくて、どうせ俺のセンスのいい仲間たちは離れててもセンスのいいおもろい事してなんとか生きてるだろうみたいな安心というか、楽観的な思考が常にあるから特別気になったりはしないんだ。と思う。

でもまぁきけるチャンスがあるなら聞くか、程度に共通の友人とかの話に花を咲かせていた。

自分は基本的にもう昔バンドをやっていてシーンと呼ばれるとちょっと気恥ずかしさもあるけどそういったコミュニティだったりでそれなりに友達ができていい思いをさせてもらった身なので、ここ数年は10~20前半の若者にその席と責を明け渡して、なんとなく引きこもって暮らそうと日々を細々と謳歌している。


だから、久しぶりにあった彼らから僕と共通の知り合いが喧嘩して気まずくなっている事を噂が回って知られていたことが少し気持ちが悪かった。

自分は過去の記事でもかいたような気がするのだけど、自分の言動が自分の意図したもの以上に他人の想像や言伝をつたって変容していくのがとてもじゃないけど耐えられない。し、キツイ。

これが原因で他人とメチャくそ距離を置いてSNSもほとんどやっていないというのもある。
そのことに関しては、過去の記事にも書いていたことがあるのでこれ以上は言わないけど、やはり久しぶりに会う友達からも自分の歩いた場所、言動だったりに尾が引いて、それが伝染して別のもの別の言葉になって伝わってしまう事がとてもじゃなく辛くて気持ちが悪かった。

でも、久しぶりに会えた友達の笑顔や、彼らがアタシと会わなかった間に経験した興味深い出来事の話などを聴けてアタシは幸せでその不快感を中和することができた。

アタシの友人知人がのぞき見趣味でもしこの記事を見つけることができたならアタシの事はほおっておいてもらって、噂話なんかもほどほどにしてもらえるとアタシはとてもうれしい。
自分の歩いた道に根も葉もないうわさだったり、事実とは形を変えた噂だったりが尾を引いてついてくるのが非常に気持ちが悪いから。


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