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【短編】ビロードのような味わいを

「はぁあ…。」

わたしはその日何度めかの溜息を吐いていた。
気が重い。好きなことも何もやる気にならない。
何とはなしに手元のスマホの画面を見れば、前々から約束していた親友との遊びを早めに切り上げて帰ってきてから早くも数時間が経過しようとしていた。道理で外が暗いわけだ。
こんなにただ家の壁を見詰めながら溜息をくだけになるのなら、やっぱり親友と一緒にカラオケに行けば良かったかな、とチラリと思う。孤独感にじわりと涙が滲んでくる。

「………はぁあぁあぁ。」

涙を堪えれば、代わりに溜息が落ちる。先程よりももっと重い。

「明日が来るの、いやだな…。」

わたしは誰も居ない家の中、ぼそりと小さく呟いた。
そして、溜息の原因に思いを馳せる。

……………
………………………


ちょっと気になる人が居た。2年一緒に働いたバイト先の同僚だ。2人ともほぼ毎日のようにバイトに入っていたものだから、色んな話をするようになった。そこそこ仲も良かったと思う。
その人がもうそろそろ誕生日だったから、プレゼントを用意したのだ。
赤ワインが好き、と言うので一所懸命調べた。同じワインでも産地によって味も違う。それとなく話を振って、イタリアンワインが好きというところまで聞き出すことができた。
好きそうな香りのイタリアンワインの赤のボトル、そして合いそうなおつまみも一緒に購入した。
大学生の自分でもバイト代で買えるくらいの高くないもの。
それを、贈るつもりだった。

誕生日の日、彼のシフトは入っていなかった。だから、渡すなら誕生日の前日。
その日が近付くにつれ、段々とそわそわしてくる。嫌なそわそわではない。寧ろ、何処か楽しい気分だ。


そして、彼の誕生日の前々日の今日。ふと思ったのだ。

 ─突然ボトル渡されたら、持ち帰るのに大変では?

だから。今日の仕事中、2人になったときに聞いたのだ。

「あの。明日、少〜し重いもの渡されたら、帰る時、困る?」

同僚の方をチラリと横目で伺えば、同僚は眉間に皺を寄せていた。

「えーっと、」

言葉を濁した彼は、「クリスマス前だし、皆さんでお分けいただいて」と返事をしてきた。

「いやあ、それが分けられないんだなぁ。…やっぱり困る?」
「…………。」

2回めの問いに返されたのは静寂だった。
途端に気不味い空気が漂う。
直前までわくわくと膨らんでいた心が萎んでいく。最早芯までポッキリと折れそうだ。

「…まぁ、いいや。人にあげるでも何でも。取り敢えず持って来るから、好きにして。」

隣に居る同僚の方を見る勇気はもう無かった。
ただ、バイト先で流れる陽気なクリスマスの音楽を背景に、まっすぐ目の前の窓の外を見詰めながら笑ってそう言うのが精一杯だった。

……………
………………………


その後も何となくギクシャクしてしまっている気がして、その空気感に潰されそうになった。
幸い今日はわたしのシフトが午前で終わりだったから、そのまま逃げるようにバイト先を後にしたのだ。
その後に遊ぶ約束をしていた親友に会ったが、午前中の会話が延々とフラッシュバックする始末。気分が乗り切らず、いつもより早めに解散してしまった。


なんのことはない。ただ、「贈り物を断られそうな流れになった」。それだけのこと。
そもそも、用意したのだってこちらの勝手だった。
だからそれを断られたって仕方ないことなのだ。
相手にだって、受取拒否する権利もあるだろう。
普通のことだ。本当に、ただそれだけのこと。
なのに。
それだけのことの筈なのに。それが妙に堪えた。

 ─プレゼントとか、考えなければ良かったのかな。

断られる可能性や相手の迷惑になるかも知れないことを微塵も考えず浮かれていた自分を恥ずかしく感じる。ただただ後悔だけが押し寄せてきた。

「…っ。」

思い出したらまた鼻がツンと痛んできた。それだけのことなのだから、泣くほどのことじゃないから、と自分に言い聞かせる。
ちょっとでも気分を上げようとコンビニで小さなケーキを買ってみたものの、食べる気にすらならなかった。
我ながら重症だ。

ふと、目を上げれば、自室の大きな姿見が目に入った。
鏡の中の人物は酷く不安げに眉間に皺を寄せ、目元は赤く、眉は八の字を描いている。

 ─あ。なんだ、わたし…、

もう限界じゃん、と。
思ったその瞬間、ポタリと透明な雫が手の甲に落ちた。視界があっという間にボヤける。

恋とは言えないくらいの淡い気持ちだった筈なのだ。
それなのに、こんなことになってから自覚するなんて。

「本当に、馬鹿だなあ。」

零れ落ちた声は震えていた。気付いてしまえばもう止められなかった。
想いも涙も嗚咽も、ひとりきりの部屋にただただ流れ落ちていった。



ひとしきり泣いたところで、スマホが着信を告げた。先程まで一緒に遊んでいた親友からだ。
スマホを耳に当てれば、彼女の元気で優しい声が聞こえてきた。

『ねえ! やっぱり元気無いの気になって電話しちゃった! どしたの? 何があったか、わたしに聞かせてよ。』

-------


『何それ。あり得ないんですけど。』

電話の向こう側、一連の話を聞いた親友は開口一番にそう言った。
いつもの癖でおちゃらけた調子で笑いながら話したのに、親友の声のトーンは真面目だった。

『え。何そいつ。いや本当に無いわ。ていうか、誕プレのことだって気付いてないんじゃない? それか、借りを作るのが途轍もなく嫌か。』

いずれにせよ無いわ、と彼女が電話の先で言う。

『誕生日いつなん?』
「明後日。でも当日会えないから渡すのは明日。」
『誕プレって言った?」
「言ってない。」
『それ絶対気付いてないってー!!』

手の中の小さな端末から響く彼女の絶叫に笑みが浮かぶ。大好きな親友はいつも明るくて優しい。

「…ごめんね。早く帰ってきちゃったのに、こんな話まで聞いてくれて。ありがとう。」
『いや、そんなん謝らないでよ! 電話は全然良い! ただその男の所為で折角のわたしらの楽しい時間が縮小されたのが本気で我慢ならん。』

「今度埋め合わせする!」と返事をすれば『いや、わたしら被害者だし。今度その男を呼び出して何か奢らせよう?』と言葉が返ってきた。
声のトーンから察するに多分本気だ。きっと今彼女の目は据わっているのだろう。
その様子が目に浮かぶようで、思わずフフッと笑い声が漏れる。

『…少し元気になった?』
「うん。ありがとう。」
『明日、どうするの?』
「……渡してくる。受け取って貰えなかったら…そうだな。捨てるしかないかな。
他の人にあげるのもその人に失礼だし、持ち帰って自分で処理したらわたしズタボロになりそうだし。」

泣きながらワイン一本空けたら胃にきそう、とボソリと呟けばカラカラと彼女が笑った。

『そしたら2人で飲もうよ! ワインで女子会なんて最高じゃん!!』

気付けば、この世の終わりかと言うほど落ち込んでいた気持ちが上向いていた。本当に彼女には敵わない。
親友に礼を告げ、電話を切る。
彼女には必ず何某かのお礼をしよう。わたしはそう決め、翌日に向けて気合を入れ直したのだった。




翌日。バイトに向かう前、わたしは既に泣きそうだった。前日の勢いは何処へやら。緊張し過ぎて心臓が口から出そうだ。
ポコンとスマホが間抜けな音を発する。画面を見れば、親友からメッセージが届いていた。

『昨日の話、彼氏にしてみたんだけどさ。なんて言ったと思う?』

親友の彼氏はだいぶ年上の社会人だ。そんな落ち着いた大人の男性が今回の話を聞いてどう思ったのか。…気になる。
そのままスマホを見詰めていると、ポコンと続けてメッセージが送られてきた。

『「そんな失礼なヤツ、居るの???」って!』
『なんなら、知り合いみんなに聞いてみたけどみんな同じこと言ってたわ。』
『だからやっぱり誕プレだって気付いてないよ。大丈夫! 頑張れ!!』

更に続けてポコンポコンと浮かび上がるメッセージと可愛らしいスタンプに笑みが浮かぶ。

 ─なんか、大丈夫な気がしてきた。

わたしはいつもの鞄と紙袋を手に取り、家を後にした。

-------


─いや無理無理無理無理無理無理無理。

始業してから数時間。わたしは頭を抱えていた。
気合を入れはしたものの、矢張り怖い。緊張感が半端じゃない。我ながらとてつもなく挙動不審だ。
とは言っても、仕事に支障をきたす訳にはいかない。仕事の話は今まで通り彼としていたが、内心はバクバクだ。自然と距離をとってしまう。

しかし、今問題なのはそんなわたしの心情ではなかった。
今日に限って、いつも以上に彼が近くに寄って来るのだ。

 ─おかしい。なんでだ。

確かに、いつもわたしと彼が話をするときは距離が近い。もしも第三者が同じ距離感で話し掛けてきたら「ねえねえ、パーソナルスペースって知ってる?」と言いたくなるような近さ。
その代わり、お互い用がある時や話がある時以外はビックリするほどそばに寄らない。わたしも彼も、基本的には人の近くに寄らないタイプなのだ。

にも関わらず。

ふと気付けば隣に居たり、真後ろに居たり。
書類や道具の受け渡しをすれば、いつも以上に指先が触れ合う。
普段は一瞬触れ合うことがあるかないかくらいの頻度なのに、物を受け渡しするとほぼ間違いなく指が触れる。しかもいつもより時間が長い、気がする。彼の指先がスルリと指を撫でる感覚に心臓が早鐘を打つ。

ただでさえ、「プレゼント断られたらどうしよう」という気持ちを抑えつけながら仕事をするのに苦労しているというのに。
彼はわたしを仕留めに来たアサシンか何かなのだろうか。


先程なんて酷かった。
2台並ぶPCのうち1台で入力作業をするわたしの隣に後輩女子が座ったところ、彼がすすっと近付いてきた。そして。

「俺、そこのPC使って作業があるから、席変わって貰ってもいい?」

と後輩女子を退かして自分が席に座ったのだ。

わたしは心の底から絶望した。
わたしが奥の席に座っていたものだから、隣に彼が来ても逃げられない。
猫のフレーメン現象みたいな変な表情をしてしまうくらいに動揺した。眉を八の字にし、口をいーっとした表情は彼からは見えていない筈だったのに、思いがけず彼が振り返ったものだから思いっきり見られてしまった。恥ずかし過ぎて穴があれば入りたい。


そして今。
先に休憩に入った彼は、休憩室の中から、机に頭を乗せたままこちらをじっと見詰めてきていた。
いつも休憩中は顔も伏せて眠っているか、頬杖をついてスマホを見ているかなのに。何故今日に限ってこんななのか。

 ─いや本当に何でよ…!

そんなことを考えている今も尚、わたしの横顔に彼の視線が刺さっている気がする。
顔を向けずにチラリと視線だけを投げれば、案の定、彼は先ほどの姿勢のまま微動だにせずにこちらを見詰めていた。
背中をじっとりと汗が伝う。

 ─というか、状況が逆では。

わたしがワインを渡す隙を窺う為に彼を見詰めて彼が気まずい思いをする、というのならわかる。

何故わたしが彼に追い詰められているのか。

更に頭が痛いことに、こんな状況にも関わらず今日わたしは彼とこのままラストまで一緒なのだ。終業時刻を迎えた時、果たしてわたしは息をしているのだろうか。…心の底から心配だ。

-------


そうこうしているうちに、終業時刻を迎えてしまった。時間というのはこんなにもはやく流れるものだっただろうか。
皆がどんどんと帰路についていく。

 ─ヤバイヤバイヤバイ。

タイムリミットが近付いていた。
このままだと本当にワインを持ち帰る羽目になる。断られたとかじゃなく「自分の勇気が出なさ過ぎて」という最低の理由で。
それだけは絶対に避けたい。


終業時刻が同じ時はいつも、わたし達はなんとなく2人一緒にバイト先を出る。そしてそのまま外で立ち話をするのだ。
習慣とは恐ろしいもので、前日からあんなにギクシャクしていたにも関わらず、今日もなんとなくお互いの準備が終わるのを待ってから一緒にバイト先を出た。

クリスマス前の街は夜のマントを羽織り、昼間よりも煌びやかな表情を見せていた。いつも立ち話をする場所までやってきて、2人で立ち止まる。

目的を達成するまで意地でも帰れないのに勇気が出ずに一日逃亡し続けたわたしと、前日素気無すげないことを言っておきながら今日一日わたしの近くに居続けた彼。

2人揃ってまるでそんな状況を忘れたかのように、いつものように話し始める。
もしこの2日間のわたしたちのことを親友が見ていたならば、「2人とも何考えてんのかわからない」と怒るのだろうなと思う。
気付けば話し始めて1時間以上が経過していた。いつもの流れなら、もうそろそろ別れるタイミングだ。…流石に、わたしももう腹を括らなければならない。
ジワジワと逃げ続けたわたしはやっと意を決する。─もうどうにでもなれ!

「あー。で、あの。これ、一日早いんですけどっ! 誕生日おめでとう…!」

昨日言ってたものです、と紙袋を差し出す。
正面から彼の顔を見る勇気は無い為、上目遣いでそろそろと彼の様子を窺う。
彼はスッと背筋を正した。そして。

「ありがとうございます…!」

紙袋を受け取ってくれたのだった。

「良かったぁああ…!」

思わずヘナヘナと膝から崩れ落ちる。

「ていうか、昨日! ごめんなさい。あの時、自分の心情とか色々あってあんなこと言っちゃったけど。あの直後からずっと俺、なんであんなこと言ったんだろって、酷いこと言ったなってずっと気になってて。
本当に、ありがとうございます。」

彼が真っ直ぐに自分の目を見て言ってくれる。心の底から幸せだと思った。

「こちらこそ、受け取ってくれてありがとう…!」

受け取ってくれた安堵で「…本当は本人に言う話じゃないと思うんだけどね。昨日あれ言われた後に本当に落ち込んでね」と思わず暴露してしまった。それを聞いた彼が「それは本当にごめんなさい」と慌てる。
彼の様子から、本当に喜んでくれているのがわかった。…もしこれが演技ならば、わたしは本気で人間不信になる。

「気を遣わせてしまってごめんね。受け取ってくれて、本当にありがとう。」

多分今のわたしは、今まで彼に見せた中で一番良い笑顔をしていると思う。

想いを伝えた訳でもなんでもない。
それでも、ただいつものように彼と話が出来る。
それだけのことがただただ嬉しかった。



受け取ってはいただけたけど、わたしには軽くトラウマが残ってしまった。
暫くは赤ワインを見るだけでこの日のことを思い出しそうだ。

一度断られた苦味と、気付かされてしまった若い恋心の酸味。

もしいつかこの恋が熟成し切ったら、それらも良いアクセントと感じるようになるのだろうか。
うまく溶け合った味わいを、2人で楽しめる日が来れば良い。

いつか笑ってワイングラスを傾けることができるように。
わたしは自分を磨き上げることをそっと心に誓った。

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