見出し画像

小学校のカリキュラムはあまりにも厳しすぎるのではないだろうか?

私は以前書いた記事において「学校では特定のスキルを身に付けるよりも精神力を育むことに重きを置いたほうがいいのではないか?」ということについて見ていったのですが、私がこのように主張する最大の理由は子供の頃の段階では誰にどのスキルが必要になってくるかが分からないからとなっているのですね。

そもそも現代の学校教育に関して「勉強なんて将来の役に立たない!」というような声がよく聞かれるのですが、それでも幼い頃から将来に役立つスキルを鍛えるなどということは正直かなり難しいのではないかと思うのです。

例えば幼い頃から野球をしていた少年が大人になるとプロ野球選手になる、幼い頃から水泳を習っていた少女が大人になると水泳のオリンピック選手になるなどというケースもないことはないのですが、それでもこのようなケースは非常に稀であり、大抵の場合は子供の頃に身に付けたスキルと大人になってから必要となってくるスキルは違うものなのではないかと思うのですね。

皆さんのなかには「子供の頃から将来に役立つことをしておくべき!」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、実際にはそれは非常に難しく、やはり大半の子供が将来どのような職業に就くのかが分からない以上は幼い段階から将来のために特定のスキルを身に付けておくというのは非常に難しいことなのではないかと思うのです。

そしてそのような経緯から私は幼い頃から特定のスキルを身に付けることを求めすぎず、精神力を育むことに重きを置いたほうがいいのではないかと主張しているのですが、それでもそれを実際にやろうとすれば大きな改革が必要となることからなかなか簡単なことではないことでしょう。

まぁこのように私は小学校においては精神力を育むことが大切になってくるのではないかと主張しているのですが、このように主張する理由の1つとして「小学校のカリキュラムが厳しすぎるから」というものがあるのですね。

個人的には勉強が得意であったことから小学生の頃は私自身はそれほど学校の授業で苦労した記憶はないのですが、それでも現代の「授業、授業」の小学校の状況は学校に通う一部の生徒からしたら非常につらいものとなっているのではないかと思うのです。

そしてただ単につらいだけならまだいいかもしれないのですが、実は私が思うにはこのような状況が生み出してしまうのが生徒と教師の「不和」なのではないかと思うのですね。

当然ながら学校の教師は課されたカリキュラムを期間内に終わらせなければならないことから毎日生徒たちに必死に声を掛け、授業に集中するように呼びかけることだと思うのですが、それでもそのような行為は一部の生徒からすると非常に鬱陶しくムカつくものなのではないかと思うのです。

その結果勉強が苦手であり授業が退屈な生徒と教師の間では不和が生じ、そのような経緯から一部の教師は生徒から嫌われることから心をやられてしまうことになってしまうのではないかと思うのですね。

学校のカリキュラムをどんどん重くし、授業がつらいものになっていけばなっていくほどそこに対する生徒たちの不満の矛先は教師に向けられることになってしまうのではないかと思うのです。

そしてそのような経緯から生徒と教師の仲がどんどん悪くなってしまい最終的には教師が生徒から嫌われることになってしまうことにもなるのではないかと思うのですが、それでもそれは非常に可哀想な話だと思うのですね。

そのような理由から私は小学校のカリキュラムが重すぎるのは学校の教師にとってもあまりよくないことなのではないかと考えているのです(-_-;)

授業数の増加は教師と生徒の不和を生むのではないか?

仕事10

これは完全に私の勝手な想像となっているのですが、個人的には学校のカリキュラムが厳しすぎると生徒と教師の間に「不和」が生じやすくなるのではないかと考えているのですね。

なぜなら学校の教師たちは生徒たちに勉強をさせなければならないことから「そこしゃべるな!」というふうに注意をしたり、「早く席につけ!」というふうに怒らなければならないことだと思うのですが、それでもこのような行為は一部の生徒からすると非常に鬱陶しいものなのではないかと思うからなのです。

そしてこのように教師VS生徒という構図が生まれると多くの方は教師は間違っておらず悪いのは生徒というふうに思われるかもしれないのですが、それでも個人的には小学校の生徒たちがこのような教師に対して腹を立てる理由も分からなくはないのですね。

個人的には幼い頃から勉強は得意であり常にテストでは80点以上をキープするような子供であったことから私自身が学校の勉強が苦痛に感じることはそれほどなかったのですが、それでも勉強が苦手な子供からしてみれば学校の授業というのは本当に退屈なものであることでしょう(80点以上というのはすべてのテストにおいてではありません。平均的な難易度のテストでは80点以上とれていたということです)。

例えば勉強が苦手であまり好きになれない子供にとって朝から『国語』『算数』『理科』『社会』という科目がズラッと並んでいれば当然それは気分がいいものではなく、やりたくなくなってしまうのではないかと思うのですね。

さらに授業中におしゃべりなどをしていれば大抵の場合は教師から叱られるものだと思うのですが、それでも授業中にいい子にしている子供はただ単に勉強が好きなだけかもしれないことからそこに不公平感を感じてしまう子供が出てきても仕方がないのではないかと思うのです。

要は学校側から「授業中は大人しくしていなさい!」というふうに求められ、その要求通り大人しくしている子供は教師から「いい子だね!」と褒められ、逆に騒がしくしている子供は教師から「大人しくしろ!」というふうに怒られるものだと思うのですが、それでも前者は必ずしもいい子というわけではなくただ単に勉強が好きだからこそ後者と比べて授業における精神的な負担が少ないだけなのかもしれないのですね。

例え同じ授業でも元から勉強が得意でありさらに勉強が好きな子であればその授業は比較的楽しいと感じることでしょうし、逆に勉強が苦手でありさらに勉強が嫌いな子からしてみれば授業は非常につまらなく退屈なものであることでしょう。

要は同じ授業でも勉強が得意な子と苦手な子では感じ方がまったく違うということなのですが、そのような違いがあるにもかかわらず前者が学校の教師から「いい子」として褒められ、逆に後者が「悪い子」として怒られれば後者が不満を持つのも仕方がないことだと思います。

そもそも現代の公立の学校の生徒の多くは当然ながら子供のほうが「勉強がしたいから!」という理由で通っているわけではなく、大半が強制的に学校に通わされているだけであり、そしてその学校で勝手に「いい子」と「悪い子」の尺度が決められてしまっているということなのですね。

例え同じ授業でも元から勉強が得意な子からしてみればそれほど精神的な負担にはならないことだと思いますし、逆に勉強が苦手な子からしてみればそれは非常に退屈でつまらないものとなることでしょう。

しかしながらこのような違いがあるにもかかわらず現代の学校では前者のほうがいい子として褒められ、後者のほうが悪い子として怒られてしまうのですから、後者のほうが不満を持つのも仕方がないのではないかと思うのですね。

そして例えば勉強が苦手でありじっとしていることが苦手な小学生からしてみれば、朝から『国語』『算数』『理科』『社会』というような科目がズラッと並んでいればそれは当然ながら憂鬱な気分にもなり、なかなかそのような生活には耐えることができないのではないかと思うのです。

その結果授業中に次第に集中力が切れていき近くの子とおしゃべりなどをしてしまうことになるのではないかと思うのですが、当然ながらそのようなことをしていれば教師から注意されたり怒られたりすることでしょう。

そのような経緯から次第にこのようなタイプの子供は教師に対して不満を抱くようになり、なかには教師のことが嫌いになってしまうという子供たちも出てくることになるのではないかと思うのですね。

子供たちからしてみれば朝から国語や算数、理科、社会などの授業をさせられれば嫌気が差してくることだと思うのですが、その一方で教師のほうはきちんとカリキュラムをこなさなければならないことから子供たちに対して勉強をするように促したり時には注意して怒ることもあることだと思うのです。

しかしこのような教師の振る舞いは一部の勉強嫌いな子供たちからしてみれば非常に鬱陶しいものであり、その結果教師が子供から嫌われてしまうことになるのではないかと思うのですね。

そしてそのような経緯から私は小学校のカリキュラムはあまりにも厳しいものにはしないほうがいいのではないかと主張しているのです(-_-;)

『授業中に騒ぐ子=悪い子』という考え方はおかしい?

仕事5

ここまで小学校のカリキュラムが厳しすぎると教師と生徒の間に不和が生まれるのではないかということについて見ていったのですが、やはりいい教師であればあるほどいい意味で子供たちから嫌われる傾向があるのではないかと思うのですね。

もちろん不当な体罰をしたり生徒に向かって傲慢な態度をとって嫌われるというのであればそれは論外なのですが、逆に生徒から好かれる教師であったとしてもその教師が生徒から嫌われないように生徒に媚びるような教師であればその教師もまたいい教師とは言えないのではないかと思うのです。

やはりいい教師であればあるほどいい意味で生徒たちに対して厳しく接することから生徒からは嫌われてしまう傾向にあるのではないかと思うのですが、そのような経緯から考えるに小学校のカリキュラムをあまりにも厳しいものにすると教師と生徒の間には不和が生まれやすくなるのではないかと思うのですね。

個人的には小学校の教育にあまり関心がなかったことからまったく知らなかったのですが、2020年4月からは『外国語』の授業が実施されることから授業時間が35時間も増えるというのです。

==以下引用==

2020年教育改革の英語教科化にともない、小学校の中学年~高学年は、現行の学習指導要領よりも年間35時間ほど授業時間が増えることが決まっています。

引用元:2020年、小学校は大忙し?
==以下引用==

2020年4月から施行される新小学校学習指導要領では、「外国語」、「外国語活動」などの授業が完全実施され、授業時数(コマ数)も増加し、教科書の厚みは3割増と言われています。

引用元:小学生の時間割を徹底解説!1日の流れ、学年別科目のコマ数、授業時間の特徴とは?

個人的には「年間35時間」というふうに言われるとあまりピンと来ないのですが、それでも教科書の厚みが3割増になると言われると相当増えるのだなというふうに思われされてしまいます^^;

そのような経緯から考えるに以前と比べてさらに小学校のカリキュラムは重くなるであるということが分かるのですが、このように授業時間を増やしていくと心配になるのが個人的には教師と生徒の関係となるのですね。

生徒は以前よりもさらに学校で勉強する時間が増えるということになるのですが、それでも毎日毎日朝から国語や算数、理科、社会などの科目に取り組んでいれば正直嫌気が差してくることでしょう。

当然なかには勉強が得意な生徒もたくさんいることからそのような生徒たちにとってはあまり負担にはならないかもしれないのですが、その一方で勉強があまり得意ではない生徒からしてみればやはり平日は朝から夕方まで勉強勉強というのは正直気が滅入るのではないかと思うのですね。

そして今の小学校の教育は基本的には生徒がそれぞれの席に座っており、その前で教師1人1人が授業の内容を説明していくというスタイルになっているのですが、これは正直あまり面白くなく我々大人でも毎日あるとなると気が滅入るような形態なのではないかと思うのです。

我々大人の多くもやはり朝から夕方までそれぞれの席に座り教師の話を聞いてそれをノートに取るという作業をするとなれば、それは非常に退屈でつまらないと感じることになるのではないかと思うのですが、それが勉強が嫌いな子供であればなおさらそうであると言えるのではないかと思うのですね。

そしてその結果一部の勉強が嫌いな子供たちが勉強に嫌気が差し、周囲の子供たちとおしゃべりをしたりすることになるのではないかと思うのですが、そうなったときにそのような生徒を注意し時には怒るのが教師の役目なのではないかと思うのです。

しかしこのような教師の注意や叱責に関して素直に反省する子供もいれば、その一方で教師のこのような態度に腹を立て教師のことを嫌いになるような生徒もいるのではないかと思うのですね。

その結果私が思うにはこのようなタイプの生徒たちのなかには教師に対して反感を抱き、教師のことを嫌いになるような生徒たちも出てくることになるのではないかと思うのです。

そして私が思うには小学校で課されるカリキュラムを過剰に厳しいもの、ハードなものにしてしまうとこの傾向がどんどん顕著になっていきやはり生徒から嫌われてしまうような教師が増えてしまうことにもなるのではないかと思うのですね。

私は確かに学校の授業中に大人しくせずにおしゃべりをしてしまうような生徒も悪いとは思うのですが、その一方で今の小学校のカリキュラムは子供たちにとっては厳しすぎるのではないかとも思っているのです。

私が思うには確かに朝から夕方までいくつかの楽しい授業を除いてそのほかのつまらない授業でしっかりと教師の話を聞き、ノートを取っている子供たちは素晴らしいと思うのですが、その一方で授業中におしゃべりをしてしまったり騒いでしまったりする子供がいるのも無理はないのではないかとも思うのですね。

私が小学校中学年、高学年の頃もやはり理科の授業や社会の授業はあまり面白くなかったという記憶があるのですが、このようなつまらない授業が子供たちにとっての苦痛であり、そんな授業に嫌気が差し一部の子供たちが騒いだりおしゃべりをしたりしても仕方がないのではないかと思うのです。

そのため私は今の子供たちに『授業中に騒ぐ、授業中におしゃべりをする=悪い子』というレッテルを安易に張るのは少し問題なのではないかと思うのですね。

その理由は今のカリキュラムは子供たちにとって非常に厳しいものとなっているのではないかと感じているからであり、授業中に騒ぐ子供やおしゃべりをする子供がいるというのであればそれは騒ぐ子供たちのほうが悪いというふうに考えるのではなく、「子供たちに課されているカリキュラムが厳しすぎる」と考えてみてもいいのではないかと思うのです。

そして近年は教師の生徒に対する体罰などに対する世間の目が厳しくなったことから、子供たちが授業中に騒いでいたとしてもなかなか静かにさせることができず手を焼いているという教師の方も多いのではないかと思うのですが、そのような状況においても騒ぐ子供たちが悪いと考えるのではなく学校から子供たちに対して課されているカリキュラムが厳しぎると考えてみてもいいのではないかと思うのですね。

前述したように2020年4月からは英語が完全に教科化されることからさらに学校では授業料が増えたということになるのですが、学校での授業の負担が厳しくなり生徒たちがそこに対して不満を感じるようになった場合その不満の矛先が向かうのは『教師』となるのではないかと思うのです。

例えば授業中におしゃべりをしている子供を注意する、授業中に集中せずにボーっとしている子供に対して注意するなどということをすれば当然一部の生徒からは「〇〇先生うぜー!」「あいつムカつく!」などというような声が上がってくるのではないかと思うのですね。

その結果教師と生徒の間に不和が生まれてしまうことになるのではないかと思うのですが、近年は生徒から嫌われることを恐れている教師も少なくないのではないかと思うのです。

私自身英語が教科化されることは先ほど初めて知ったのですが、このように授業数を増やしていけばその分だけ生徒にも教師にも負担が増し、さらには生徒のほうも教師に対して不満を抱きやすくなるのではないかと思うのですね。

そのような経緯からどんどん教師というのはつらい職業となっていくことになるのではないかと思うのですが、私が思うには生徒と教師の不和を避けるためには今のような学校をつらい勉強の場とすることから楽しく学べる場へと変えていくことが大切になってくるのではないかと思うのです。

例えば勉強の苦手な小学4年生の生徒が朝から『国語』『数学』『理科』『社会』などという授業をこなしていれば途中で集中力が切れ、おしゃべりをしてしまったりするのも無理はないのではないかと思うのですね。

このような状況でも「おしゃべりをする生徒のほうが悪い!」というふうに主張される方もたくさんいるとは思うのですが、その一方で学校のカリキュラムが厳しすぎるのではないかと感じる方もいるのではないかと思うのです。

私は後者のタイプなのですが、まだ小学生の子供が朝からこのような勉強勉強というスケジュールとなってしまえばなかには当然勉強に嫌気が差してしまうような子供もいるのではないかと思うのですね。

しかし当然ながら現代の小学校ではそのような集中力が切れておしゃべりをするような子供に対して「おしゃべりはやめなさい!」というふうに教師が怒ることになるのではないかと思うのですが、なかには教師のこのような叱責を良く思わないような生徒もいることでしょう。

その結果このような生徒と教師の間では不和が生じ、一部の生徒が教師のことを嫌いになってしまうのではないかと思うのですね。

要は私が主張したいことは現代の小学校のカリキュラムは厳しい、カリキュラムというよりも授業の内容が面白くなくつまらなすぎることから一部の生徒が授業を嫌がるのも仕方がないことだと思うのです。

しかしそのような生徒を「悪い子」として叱責しなければならない風潮があると次は教師が生徒から嫌われることになってしまい、その結果教師が非常に苦しい思いをしなければならないということになるのではないかと思うのですね。

そのような経緯から私は学校の授業内容を今のような教師が一方的に話をして生徒たちがそれをノートに取るというようなつまらない授業形態から、子供たちの多くが楽しく授業をすることができるような形態に変えていけば体罰の問題や教師が生徒から嫌われるというような事態などの多くも解消することができるのではないかと思うのです。

そもそも授業中におしゃべりをしたり集中力が続かず授業を聞かない子供たちがいるとその子供たちを「悪い子」として見なす風潮が現代の日本にはあるような気がするのですが、本当に彼らは「悪い子」なのでしょうか?

私が思うには確かにおしゃべりをするような子供にも非はあると思うものの、それでも現代の日本の小学校の授業はあまりに退屈でつまらないのではないかと思うのですね。

そのような経緯から考えるに子供たちがおしゃべりをしたりしてしまう理由は子供たちのほうばかりに問題があるのではなく、学校側がつまらない授業を提供するからなのではないかとも思うのです。

そして現代の日本では例え生徒がおしゃべりをしようともふざけていようともそれほどきつく怒ることができないという風潮があることだと思うのですが、これでは教師のほうも子供たちがふざけていたとしてもお手上げになってしまうことでしょう。

しかしそのような問題の多くは小学校の授業の内容をつまらなく退屈なものから、楽しく子供たちが積極的に学ぶことができるようなものへと変えることができれば解消されるのではないでしょうか?

学校側が提供する授業がつまらなく退屈なものであれば一定数の生徒が授業に魅力を感じず、悪ふざけをしたりおしゃべりをしたりするのも当然のことであると言えることでしょう。

しかし授業の内容をそのような退屈なものから生徒が積極的に身を乗り出して参加することができるようなものとなれば、そもそも子供たちも必要のないおしゃべりをしたりもせず自発的に授業に参加するという状態を作ることができるようになるのではないかと思うのですね。

そのような経緯から私はこれからの小学校はこれまでのつまらなく退屈な授業から子供たちが楽しいと感じ自発的に参加するようなものへと変えていくことが望ましいのではないかと思うのです^^

今回のまとめ

仕事11

今回の記事では小学校の授業があまりも負担が大きいものとなっているのではないかということについて見ていったのですが、個人的にはテストの点も良く成績も良いほうだったのですが、それでもやはり小学校の授業は一部の生徒にとっては負担が大きいものとなっているのではないかと思うのですね。

まぁ私は教育関係者というわけではないのですが、それでも私が子供の頃も学校の授業と言えば教師が前で教科書の内容を説明しそれをノートに取るということの繰り返しであったためあまり面白くなかったというのが本音なのです。

そのような経緯から考えるに私とは違いあまり勉強が得意ではなくさらに勉強が嫌いだという子供たちにとっては毎日の授業は非常につまらないものとなってしまっているのではないかと思うのですね。

これまでは授業中におしゃべりをしていたり教師の話を真面目に聞いていなかったりすると「生徒のほうが悪い」ということになっていたのではないかと思うのですが、個人的にはこれは学校側が生徒に課す授業の負担が大きすぎることも原因の1つなのではないかと思うのです。

やはり授業の内容はつまらないものが多くあまり面白い授業というのはないのですが、このような授業を増やしていくと教師と生徒の間に不和が生じやすくなったり、教師から生徒への良心のある暴力などが生まれてしまうのではないかと思うのですね(生徒におしゃべりをやめさせるために軽く小突くなど)。

そもそも私が子供の頃も生徒がおしゃべりをしていたりふざけたりしているとその生徒のほうが悪いということになっていたと思うのですが(正直記憶があまりないため半分くらいは想像です)、これは生徒のほうのみが悪いのではなく授業があまりにも面白くないことや、つまらない授業が多いことが原因であるというふうに考えてみてもいいのではないかと思うのです。

そして授業の内容を生徒たちが自発的に取り組むことができるような楽しいものとしていけば教師の生徒に対する体罰や教師と生徒の不和の問題などの多くは解消されることになるのではないかと思うのですね。

このように私は教師が生徒に対して体罰を行ってしまう理由、教師が生徒から嫌われてしまう理由の1つとして「授業があまりにもつまらなく退屈だから」もしくは「つまらない授業が多く一部の生徒にとっては耐え難いものとなっているから」というものがあるのではないかと考えているのです。

しかしだからと言って私は学校の授業を体育のサッカーのような半分遊びと言えるようなものにするべきであると主張しているわけではなく、子供たちが自発的に参加しようと思えることができさらに子供の成長に繋がるような授業内容を目指すべきではないかと主張しているのですね。

例えば私が子供の頃にはクラスのなかで5~6人ほどのグループを複数作り、さらにそのグループを2グループずつに分けていき、その2グループ同士でディベートをするという授業がありました。

例えば「車と電車はどちらを使うほうがいい?」というようなお題を出され、1つのグループは「車派」、もう1つのグループは「電車派」となりそれぞれの自分の選んだほうの利点についてまとめたり相手チームの弱点についてまとめたりして発表するという授業だったのですが、この授業は非常に面白かったことのですね(記憶が曖昧なためどこかで記憶が改ざんされている可能性があります^^;)。

この授業をした際にはグループみんなで車の利点について調べたり(私のグループは車派でした)、ディベートで使う用に絵を描いて用意したりなど様々な作業をしたのですがこれらの作業は非常に楽しく多くの生徒が自発的に取り組んでいたのです。

そしてこのような授業は多くの生徒が楽しいと思えるものだと思うのですが、このような生徒が自発的にやりたいと思えるような授業をどんどんしていくことが大切なのではないかと思うのですね。

もちろん学校では読み書きや漢字、普段の生活で使うような四則演算なども習ったほうがいいことから1から10までこのような『楽しい授業』をすることは到底不可能だと思うのですが、それでもこのような『楽しい授業』を増やす試みはしてもいいのではないかと思うのです。

どうしても我々の感覚からすると授業というのは教師が話していることを真剣に聞きノートに取るという構図を頭に思い浮かべてしまうのですが、このような授業は非常に退屈であり、あまりにつまらないことだと思うのですね。

そしてこのような授業が朝から何回も続けば勉強が嫌いな子供たちが騒いだりおしゃべりをするのも無理はないのではないかと思うのです。

現代は教師の生徒に対する体罰が大きな問題となっており、私も体罰には反対派なのですが、それでも学校側が生徒がつまらないと思うような授業ばかりを提供していれば生徒側としても授業中におしゃべりをしてしまったり騒いだりしてしまうのも無理はないのではないかと思うのですね。

その結果なかには体罰をして生徒を黙らせる、言うことを聞かせるという教師も出てくることだと思うのですが、体罰の原因の1つとしてこのように「授業がつまらないから」というものがあると考えてみるのもいいのではないかと思うのです。

毎日のようにつまらない授業が何時間も連続であれば生徒のほうが授業中に騒いでしまうのも無理はないと思いますし、そのような状況となってしまえば一部の教師が体罰をしてしまうのもある意味無理はないことと言えるのではないかと思うのですね。

そのような経緯から小学校の授業を可能な限り生徒たちが楽しいと思えるような授業にしていく、生徒たちが自発的に集中することができるような授業にしていくということを考えてみるのもいいのではないかと思うのです。

「楽しいと思える授業」と主張するとなかには「そんなのは無理だ!学校の授業というのはつまらないのが普通なんだ!」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、それは常識に凝り固まった見方をしているからなのではないでしょうか?

もちろん子供たちには絶対に教えなければならないこともたくさんあることからすべての授業を楽しいものにするのは不可能だと思うのですが、その一方で今の教育ではわざわざ教えなくてもいいことを教えていたり(役に立たない知識を授けていたり)、「教師が生徒の前で板書し、それをノートに書き写していくのが授業」という先入観に捉われてしまっていることからつまらない授業ばかりをしてしまうという方もいるのではないかと思うのですね。

私が思うには小学校でつまらない授業を可能な限り排除していき、創意工夫をして生徒たちが自発的に参加しようと思えるような楽しいと思える授業を増やしていけば体罰の問題や教師が生徒から嫌われるなどという問題などの多くを解消することができるのではないかと思うのです。

小学校の授業がつまらなく退屈なものばかりになってしまうとなかには体罰をしてしまう教師も出てくることだと思いますし、生徒から嫌われ精神的に病んでしまうような教師も出てくるのではないかと思うのですね。

もちろんこれですべての問題が解決するなどとは到底思ってはいないのですが、それでも学校の授業を可能な限り楽しいものにすると考えてみてもいいのではないかと思うのです^^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?